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説教題:「神の宮」

聖書:歴代志下7章11〜18節

   今朝与えられた箇所は、イスラエルの歴史が記されている歴代志からです。

 1章1節の冒頭には「アダム」が登場し、ノア、アブラハム、ダビデ、ソロモン、北イスラエル王国の王達と南ユダ王国の王達のことが順次記されています。

この歴代志の最後の部分は歴代志下36章23節で「ペルシャの王クロスはこう言う、『天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに賜わって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆、その神、主の助けを得て上って行きなさい』」と、ペルシャ帝国のクロス王が、バビロニア帝国の奴隷となっていた南ユダ王国の人々に対して、エルサレムに帰り、第二神殿を建てるように命じた所まで記されているのです。

 つまり、神様により創造されたアダムから始まったイスラエルの歴史が面々と記されていることから、世界中何処を探してもこれほどしっかりとした系図を持っている民族は存在しないことが分かります。

 その歴史の中でも、1章1節に「ダビデの子ソロモンはその国に自分の地位を確立した。その神、主が共にいまして彼を非常に大いなる者にされた。」と記されているように、神様が特別にソロモンという人物をイスラエル建設の為に大きく用いられたことが分かるのです。

 ソロモンは、主が自分を用いて下さった事に対して、1章6節「祭壇に燔祭一千をささげた。」、神様に対して10節「わたしに知恵と知識とを与えてください。だれがこのような大いなるあなたの民をさばくことができましょうか」と、知恵と知識を与えて下さるように願っているのです。

 神様は11節12節で「富をも、宝をも、誉をも、またあなたを憎む者の命をも求めず、また長命をも求めず、ただわたしがあなたを立てて王としたわたしの民をさばくために知恵と知識とを自分のために求めたので、知恵と知識とはあなたに与えられている。」と、ソロモンの願いを叶えて下さったのです。

 ソロモンが最初におこなったことは、2章1節で「主の名のために一つの宮を建て、また自分のために一つの王宮を建てようと思った。」と記され2章5節「わたしの建てる家は大きな家です。われらの神はすべての神よりも大いなる神だからです。」と、神様を礼拝する大きな神殿を建てることでした。

   しかし、ソロモンは自分がどんなに大きな神殿を建設したとしても、6節で「ただ彼の前に香をたく所に、ほかならないのです。」と、神様の前に自分をわきまえていたことが分かります。

 このソロモンの思いは、神様を礼拝する教会は、どんなに立派な荘厳な教会であったとしても、礼拝する者が神様に香を焚くところ、つまり神様を礼拝する場所であり、建物に目を奪われてはならないことを教えているのではないかと思うのです。

 ソロモンは、神殿を建設するために、神様から頂いた知恵と知識をふるに使い、長さ26.4メートル幅8.8メートル、高さ13.2メートルの神殿を建設したのです。

 第二神殿は、長さ46メートル、幅27メートル、高さ45メートルなので、ソロモン神殿の約倍の大きさなのが分かります。

 ちなみに福生教会は、長さ13.5メートル、幅13.5メートル、高さ7.5メートル(尖塔の三角部分を入れると9メートル)なので、ソロモン神殿は福生教会より約倍の長さがあったと思われるので、福生教会の駐車場部分までの長さと思うとイメージがわくと思います。

 7章1節では、ソロモンが神殿を建設し終え、今でいう献堂式で感謝の祈りを捧げ終ると、燔祭と犠牲の献げ物が天から火が降りて来て、その献げ物を焼き神様の栄光が神殿中に満ち溢れたことで、祭司達も神殿に入ることが出来なかったのです。

 この光景を見たイスラエルの人々は、7章3節で「敷石の上で地にひれ伏して拝し、主に感謝して言った、『主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない』」と、主を讃美したのです。

 驚くことは、7章5節に「牛二万二千頭、羊十二万頭であった。こうして王と民は皆神の宮をささげた。」と記されていることです。

 現在日本において、おおよそ牛は一頭50万円、羊一頭は10万円程ですので、牛二万二千頭は11億円、羊十二万頭は1億二千万円なので、合計12億2千万円になるので、献げ物だけでも桁違いの数字になることから、ソロモンは神様に対する感謝の念が非常に大きかったのだと思えることが、7章10節で「皆主がダビデ、ソロモンおよびその民イスラエルに施された恵みのために喜び、かつ心に楽しんで去った。」と記されているのです。

 ソロモンは、主から頂いた恵みと、知識と知恵により「神の宮」を作り終えることが出来、一安心している所へ神様が現れて7章12節「わたしはあなたの祈を聞き、この所をわたしのために選んで、犠牲をささげる家とした。」と言われたのです。

 イザヤ書56章7節に「わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の、祈の家ととなえられるからである」と記されているように、神殿は神様に祈りを捧げる場所なのです。

 イエス様もマルコによる福音書11章17節で「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」とエルサレム神殿を強盗に巣にしてしまったと嘆いておられるのです。

 神様は、祈りの場所としてソロモンに神殿をつくらせたが、ソロモンに対して、将来イスラエルの人々が神様から離れて、神様に対して罪を犯すようになると分かっておられたのです。

 神様は、7章13節で「わたしが天を閉じて雨をなくし、またはわたしがいなごに命じて地の物を食わせ、または疫病を民の中に送るとき」と、神様は時として、雨を降らなくしたり、作物を病害虫により収穫出来なくしたり、また人間が疫病にかかるようにされるお方だと言われているのです。

 神様は他の被造物と異なったものとして人間創造されたにも関わらず、人間が困るようなことをされるのでしょうか。

 それは、神様が創造した人間が困ったり悩んだりしたときに、14節「へりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。」という事だからなのです。

 神様は、常に人が生活の中で、神様を中心にしているかを見て居られるのです。

 ヨハネによる福音書2章19節イエス様が「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」と言われていますが、これはイエス様が神殿そものであり、十字架上で死刑になったとしても、三日目に蘇るということを言っているのです。

 この箇所を通して、神様は私たちに対して「あなた方も一人一人が神の宮であり、神の宮を汚すことがないように、御言葉に従い信仰の道を真っ直ぐに歩むならば、大いなる恵み祝福が満ち溢れると言って下さっていることに感謝いたしましょう。       

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