10月6日 10月13日 10月20日 10月27日

説教題:「祝福にあずかる者」

聖書:ヘブル人への手紙6章1〜8節

   今朝は、ヘブル人への手紙から「祝福にあずかる者」と題して御言葉を聞いて参ります。

 その前に知っておくことは、全世界の人類はノアの洪水から生き残ったノアの3人の息子たちが祖先になっているのです。

 ノアの3人の子供たちは、セム・ハム・ヤペテですが、大まかに分けるとセム系は黄色人、ハム系は黒人、ヤペテ系は白人と分けることができます。

 ここで不思議なことは、ノアから生まれた3人の子供たちがそれぞれの地へと分かれていった時に、肌の色が黄色、黒、白と異なっていったことです。

 三色の色に分かれたことを医学的な視点からみると、人間は太陽から発せられる紫外線から皮膚が守られているのです。

 紫外線を守るためにはメラニンという黒い色素によるものですが、それは皮膚の表皮層にあるメラノサイト細胞がメラニンを生成することで、それぞれの環境によりメラニンの量が異なるためなのです。

 例えばアフリカなど太陽光の強い場所ではメラニンの量が多く生成されるため、肌色が黒くなり、太陽光が弱い所ではメラニンの量が少なく肌色が白くなり、アジアなど太陽光が中間の場所ではメラニンの量が中間として肌色が黄色っぽくなるということなのです。

 余談ですが、このメカニズムを知らない人が「人間はアダムとイヴの2人の人間から生まれたならば、人間の肌色は皆同じではないか?三種の人間が存在することは、神はアダムとイヴを創造したと言う事はナンセンスだと」と言うことがあります。

 本題に戻りますが、イスラエル民族はセム系に属しているので、イエス様もセム系であり、いわゆる黄色人でしたので、アジア人です。

 ヘブル人の手紙は、神様により選ばれた、イスラエル人つまりヘブル人つまりユダヤ人がユダヤ人に向けて書いた手紙なのです。

 その手紙の冒頭のヘブ人への手紙1章1節から2節で「神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。」と記されているのです。

 この箇所を解釈すると「全能の神様は、イエス様がこの世に派遣されるまでは、神様が選んだ預言者たちにより、神のところへと帰るようにと、さまざまな事を通して語ってきたが、一人子イエスに全権を委ねこの世に遣わせたことにより、預言者時代を終らせたのである。」となりました。

 つまり、預言者時代とは、神様がイスラエル人と契約を結んだことであり、最初の契約が創世記6章18節で、神様が「わたしはあなたと契約を結ぼう」とノアとの契約を結び、ノアの洪水の後9章13節で「わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。」と契約の記しとして、虹を表すことをされたのです。

 神様はレビ記26章42節において「そのときわたしはヤコブと結んだ契約を思い起し、またイサクと結んだ契約およびアブラハムと結んだ契約を思い起し、またその地を思い起すであろう。」と、ノアの後のイスラエルのそれぞれの人との契約をしたことがまとめられているのです。

 旧約聖書には「契約」(ブリット)は284回も登場する重要な言葉なので、イスラエルの民は「神との契約」を信仰の中心として考えていたし、現在でも信仰の中心としているのです。

 預言者時代の契約から、神様の一人子イエスとの契約に変ったのが、いわゆる旧約の時代が終り、新約の時代になったということなのです。

 6章1節でフランシスコ訳で「そういう次第ですから、キリストについての初歩的教えは差し置いて、より完全な教えを目指して進みましょう。つまり、死をもたらす行いからの悔い改めと神への信仰、また、洗礼についての教えと按手、死者の復活と永遠の運命を決める裁きなどの基礎的教えを再びやりなおさないで、完成を目指して進むことにしましょう。」と記しているのです。

 この箇所を解釈すると「イエスとの契約という初歩的な教え、信仰について、洗礼について、按手、死者の復活、永遠の命、再臨時の審判などの基礎的な教えはひとまず置いておいて、主イエス・キリストを信じるということを心掛けることだ」と言っているのです。

 3節を解釈すると「主が、難しい教えを探求するのではなく、幼な子のごとくイエス・キリストを信じるということを許してくださるなら、そうすることにしようではありませんか」と言っているのです。

 4節5節6節でフランシスコ訳では「たとえ、人々がひとたび光に照らされて天の賜物を味わい、聖霊にあずかり、神の善い言葉と、来たるべき代の力とを味わっても、堕落してしまえば、その人々を悔い改めさせることは不可能です。彼らは自分で、神の子をまたもや十字架につけてさらしものにしているからです。」と訳されているのです。

 常に語っている事ではありますが、一人の人間がこの世に生まれ出たのは、偶然に生まれて来たのではなく、神様に選ばれ神様のご計画によるものであり、その人の一生涯も神様の御手の中にあるのです。

 神様の見守りにより、生きている間に祝福そして多くの恵みを降り注がれていたとしても、堕落するならばつまり信仰の道を捨ててしまうならば、十字架上で死なれたイエス様をさらしものにすることになり、その人を悔い改めさせることは不可能だと言っているのです。

 7節では「大地は、しばしば降る雨を吸い込んで、耕す人々のために役立つ作物を作り出せば、神に祝福されたものとなります。」と、全能の神様が地上で生きる者に対して必要な作物を収穫できるようにされているというのです。

 8節では「しかし、茨や薊を生えさせれば、それは価値のないものとなり、やがて、呪われ、ついには焼かれてしまいます。」と、与えられた土地をちゃんと管理していなければ、作物は雑草により実を結ぶことが出来ず、結局は焼かれてしまうと言われているのです。

 9節で「愛するみなさん、このように話していても、わたしたちは、あなた方が、救いに入るため、より善い状態にあると確信しています。」と記されていますが、ここを解釈すると「主イエス・キリストを信じている信仰者の皆様、あなたがたが現在信仰者として主との契約を大切に、再臨の時にイエス様より右の方へ分けられ、御国への凱旋ができるような状態であると確信しています」と語り掛けていることが分かります。

 10節に「神は不正な方ではありませんから、あなた方の働きや、あなた方がかつて聖なる人々に仕え、今もなお仕えることによって、神の名のために示したその愛をお忘れになることはありません。」と記されているのです。

 私たちの人生は短いものですが、その短い中でも、主を信じる信仰そして主への忠実な僕としての働きに対する報いを主が忘れず覚えていて下さると言っておられるのです。

 11〜12節まで「わたしたちは、あなた方一人ひとりがみな、その希望を完全に実現するために、同じ熱意を最後まで示すことを切望してやみません。それは、あなた方が怠け者にならず、信仰と忍耐によって、約束のものを受け継ぐ人々に倣う者となるためです。」と記されているのです。

 主なる神様は、わたしたち一人一人に、一生涯を信仰者として、なまけ者の信仰者にならず、信仰者としての忍耐を忘れず、主を中心としての生涯をおくり、主が約束して下さっている、御国への凱旋をはたすことが出来るようにすることで、人々の模範としての生涯を送りなさいと言われているのです。

 私たち一人一人は、主により預けられた肉体を持っているので、その肉体の良き管理者とならなければならないのです。

 主は、信仰者を祝福して下さろうとしておられるので、その祝福にあずかる者になるように信仰の道を踏み外さないことが必要なことなのです。         

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