自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・御殿場線の蒸気機関車
238.足柄平野を行くD52・御殿場線/国府津〜松田

0003:j6−3-3:D5270牽引の貨物列車発車〉
下曽我駅発車か。背景に白銀の箱

〈0001:5−11−12:「爆煙のD51」、昭和43年3月11日撮影〉
下曽我発車はD51であったのは?

〈0002:15−9−2:松田駅発車の上り旅客列車、昭和43年6月30日撮影〉
懐かしい“矢羽根”の付いたポイント標が見える。松田駅構内の国府

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〈紀行文〉 昭和40年の末に、冬の御殿場線での富士山バックのD52牽引の列車の撮影に成功したことから、富士山の存在に気を取られることなく御殿場線を撮影に訪れるようになった。
わが埼玉県から御殿場線を訪ねる時には、大抵は大山街道(おおやまかいどう)と呼ばれている国道246号(東京−厚木ー秦野−御殿場-沼津間)を通い詰めたものだった。この国道は国道1号線のバイパス的役割で、関東系屋の山沿いを南下して箱根山地に近ずくと、酒匂川(さかわがわ)に沿っている御殿場線と並行して御殿場から沼津へ抜けていた。この道筋は江戸中期ころからは丹沢山地にそびえる大山(標高 1,252m)に祭られた阿夫利神社に参詣する「大山参り」の道となり、江戸から秦野(はだの)までは大山街道として親しまれて来ていたのだった。
さて、元 東海道本線であった御殿場線は相模湾に面した東海道本線の国府津駅を起点にして気候の温暖な足柄平野を横断してサミットの
御殿場をめざして箱根外輪山景の山並みと丹沢山塊のあいだの酒匂川の谷を登って行くのであった。この足柄平野は、北は丹沢山地、東は大磯丘陵、西は箱根外輪山の山々が囲み、南は相模湾に面していて、最北部に当たる西丹沢の山地から流れてきた酒匂川が平野に入り込み、東に流れた後、松田町辺りで大きくカーブを描いて北から南へと貫くように流れて相模湾に注いでいる。それ故にこの平野は酒匂川が運ぶ土砂が長きに渡って堆積してできた典型的な沖積平野で、関東平野の南西端の外に位置ずけられている。そのなだらかな平野の大半は水田地帯が占めている。
 ここで、国府津駅から山北駅までの沿線風景を紹介しておこう。先ず相模湾の海辺に近い国府津駅の裏側に迫った蘇我丘陵の末端の崖との間に国府津機関区が設けられていた。
そして、国府津駅を出ると高架線となり東海道本線の左側を離れて北西へ進むと、富士山が左手に見えてくる。やがて新幹線の高架下を抜けた。当時ここで疾走する新幹線のサイドビューと黒煙を上げて高架下を抜けたD52の姿を捕らえた貴重な写真が雑誌に発表されて注目を集めていたことが懐かしい。
この先は、遠くに箱根外輪山の山々と、そこから北へ張り出して足柄峠や金時山のある尾根などをを背景にして、広々とした水田となり、右手には国府津駅から寄り添って来た低い蘇我丘陵が雰囲気の良い里山風景を演じていた。やがて右手に蘇我梅園が広がり始めると下蘇我駅となる。ここにはセメント専用貨車の到着の専用線があり、それに3kmほど先の酒匂川原から採取した砂利の出荷用の専用船も伸びていた。確か国府津機関区のC11が区間貨物列車の685レを牽いてきて、ここで入れ替えをやっていたのを見た覚えがあった。
ここを出て直ぐに水道橋をくぐり、酒匂川沿いの畑の開けている低地を直線で北上してゆく。右上ての空中では東名高速道路の高架橋が「やじろべい(カンチレバー)工法で」建設中であり、左手前方の山の中腹には工事中の第一生命ビルが見えてくると、上大井駅となり、次いで相模金子駅と過ぎて行く。やがて、小田急電鉄小田原線をオーバークロスして川音川を渡ると松田、駅構内に入った。右から小田急との連絡線が合流して来た。松田駅には2面3線のホームがある。北口駅舎側には1番線のみのほーむで、小田急直通列車が専ら使用しているらしい。南口駅舎側には御殿場線の上り列車の2番線、下り列車の3番線のある島式ほーむがある。松田駅を出ると10‰程度の上り勾配になり、しばらくの切り通しを抜けると、右側から山が迫って来て、左窓には酒匂川や富士山を望むことができるようになり、右には国道246号が併走する。右にカーブすると程なく築堤上にある東山北駅を過ぎる。大きく左にカーブする。いよいよ谷が狭くなってきた。この足柄平野の山麓では、初夏は爽やかな日差しの中にみかんの花の香りが漂い、秋を迎えると、みかんの鮮やかなオレンジ色に彩られるのであった。やがて山北駅が近づいてくるはずだ。
 さて、ここに掲げた写真についてコメントを述べてみたい。
先ず一枚目は、D5270号の引く上り貨物列車の発車ふうけいである。右に腕木式信号機が二本設けてあって、片方は2段となっているのに興味を覚えて列車を待ち構えた覚えがある。背景には遠い雪の山々が眺められたことから平坦地で、下曽我駅発車ではないかと思うのだが。
 二枚目は「D51の爆煙シーン」である。どこの駅だったかは明確ではないが、下蘇我駅発車の下り貨物列車とでも仮にしておきたい。
この黒い煙のすごさには驚かされた。撮影は電化も近い昭和43年3月11日とあった。 3枚目は初夏の松田駅発車風景を川音川鉄橋の辺りで狙った。D5272号牽引の国府津駅行旅客列車である。手前には昔ながらのカンテラの着いた標識、それに矢羽根のポイント標識が並んでいた。
遠くの右側に見えるのは一番線に入った小田急のDC特急であろうか。
 さて、ここからは御殿場線で活躍するD52型蒸気機関車の印象について語ろう。
御殿場線は格下げされたとは云え37kg/mレールの元甲線という恵まれた線路規格から、昭和19年にD52が配属され、昭和43年6月30日まで旅客列車を牽引していた。
私にとって、八高線で見慣れたD51型よりも一回り大きく頼りがいがありそうに感じられる顔つきだが、国府津機関区のカマのヘッドライトは、巨体に似つかわしくない小さなシールドビーム一つばかりであって、どうも私は好きになれそうもなかった。そのような中で、D51101号機は小郡から転じたカマでシールドビームではなく通常のライトをつけていたのに巡り会うとホットしたものであった。
また、サイドからの外観では、煙突がシリンダの排気口より前にせり出しているのが目に付くが、これは牽引力の増強のための重心の前方移動のためであると聞いた。
その数年後にC59やC62に対面して見ると、戦時中設計のD52のボイラー前面の煙室扉が無骨な平面になったりしていて、美しさに欠けるのは仕方がないのかも知れない。
大宮工場製の回転式火の粉止め装置(クルクルパー)を煙突に装着しているカマが多かった。・国府津機関区のD52の在籍・
1962年(昭和37年)には7両(62, 70, 72, 236, 335, 403, 460)が在籍していた。そして、1967年昭和42年)までに62・236・403・460が廃車となり、76・101が転属してきて、5輛の在籍となっていた。
 続いてD52の誕生の背景とその性能や構造について触れておこう。
第二次世界大戦の後半には内航船の運輸送力の低下によって、鉄道貨物需要が逼迫してきていた。そこで、1200tの貨物列車を牽引して幹線を運用できる機関車が求められ、D51形をパワーアップして誕生したのがD52型であった。ボイラーを可能な限り大型化し、粘着重量を高めると共に出力を向上させた。軸配置はD51形と同一だが、ボイラー大型化の効果により最大動輪周出力は1,660馬力となって、日本最高の出力を発揮した。しかし、戦時中と云う状況から戦時設計が行われ、銅系材料が節約され、代用材が多数使われるなど、造りとしては非常に質の悪いものであった。特に、ボイラー用材の幅広鋼材が不足したため、各缶胴の長さを変え、用材の寸法取りを合理化した。煙管長は5000mmで統一されていた。原設計は甲缶で、全て鋲接により組み立てられており、将来の増圧(18kg/cm2)を意図して2列鋲式であったが、これの出来ない缶もあった。
さらに、細部の設計変更も許容されていた。
■構造の特徴
ボイラーの溶接による量産法の確立や、ボイラー限界設計の実車における見極めによる安全基準の獲得が得られた。鋳鋼製台枠の採用や石炭の燃焼効率を高めるため、ボイラーに燃焼室を設けたりしている。
・製造
全部で492両が製造される計画であったが、終戦により285両で製造は打ち切られた。
本形式のボイラーを流用したC62形が49両、また
従軸を2軸として軸重を軽くしD62形に20両が改造されている。

・保存:
7両が静態保存されており、御殿場線沿線には2輛がある。
1)2010年10月から御殿場駅にD5272号機が保存されている。それと同時に、御殿場駅周辺にはD52が描かれているマンホールの鋳鉄製の蓋などが知られている。
2)山北駅脇の鉄道公園にはD52 70号がほぞんされている。

撮影:昭和42〜43年

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・「御殿場線の蒸気機関車」シリーズのリンク
315. ぷろろーぐ:東海道線の箱根越え・御殿場線/国府津機関区の扇形庫
237.富士山の裾野を登る・御殿場線/沼津〜富士岡
239.かっての補機のメッカ「山北駅・御殿場線:東山北〜谷峨
240.酒匂川をさか登ってサミットへ・御殿場線:山北〜御殿場