自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・八高線の北部を訪ねて(高麗川以北)
186.  春の 神流川 鉄橋 ・八高線/小川〜群馬藤岡

〈0001:bP00823:八高線 神流川橋梁〉
埼玉と群馬の県境をなす神流川に架

〈0003:13116:八高線、278レ、荘−児玉〉
線路端の坊主になった桑の木も、春蚕の頃には緑一色と

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〈写真撮影メモランダム〉
 最初の〈0001〉は、八高線の神流川鉄橋の下流ニ架かっている国道254号の道路橋の欄干の間から、逆光を避けて手持ちのコニカプレスで撮った作品である。西に回った春の陽光に沈んだ上武産地を背景に真白く浮き上がって蛇のように上下した煙を従えた上りの貨物列車が長い鉄橋を軽やかに渡って行った。
 次の〈0002〉は埼玉と群馬の県境にある神流川へ向かう途中で和紙の故郷で知られる小川町から荒川に沿った谷口集落である寄居との間にある小さな峠へ向かって改装する列車を梅の花を前景にスナップした。
最後の〈0003〉は丹荘−児玉の間で撮ったスナップの一枚である。八高線を通して運行する貨物はC58牽引のはずなのに、この列車はD51 817号が仕業に当たっていた。

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〈紀行文〉
東京の郊外では「川越街道」で親しまれている国道254号線(東京ー川越−児玉−藤岡−佐久−松本)を北上して児玉を過ぎると、間もなく県境の神流川を藤武橋で越えることになる。この上流数百mの所に全長約500mと云う長いプレートガーターの神流川橋梁が遠くに眺められた。橋桁のスパンが 19.2mなので数え切れないほどの橋脚が並んで長い橋を支えていた。その藤武橋の手前で国道に別れを告げて、土手の下の道をたどると容易に橋詰めに出た。土手に登ると、こちらの右岸の辺りは篠竹が繁茂していて意外に見通しは良くなかった。また、丹荘駅方の少し先には長さ35mほどの五明橋梁が阿保領用水の排水路を跨いでいた。そこで、元に戻って堤防を越えて幅広い河川敷に入ってみると、小さい石が沢山転がった河原と、土で覆われて雑木が茂り始めた部分とがあったが、川の流れは狭い感じで水量も冬なのか、それ程多くはなかった。この川は群馬/埼玉/長野県が境を接する三国山(標高 1,818m)に源を発し、多くの支流を集めて急流をなして下っていることと、下流で高崎方面の水を集めた烏川と合流した上で利根川本流に注いでいることから、豪雨期には水はけの悪さからしばしば洪水を起こす暴れ川であったので、異様に広い河川敷と高い堤防に守られていたのであった。昭和37年に建設が始まった東京都の水道源を兼ねた下久保ダムが完成してからは、この広い河川敷はもてあまし気味となり、河原の一部には森が広がりつつあった。それでも川の流れに近い岩石のゴロゴロしている河原からは何にものにも邪魔されずに列車をサイドから撮ることが出来た。やがて鉄橋を渡って来たのは、八王子行きのC58牽引の貨物列車で、白い煙を蛇のように踊らせるようになびかせながら軽快に走り去って行った。それは、「子供たちが喜びそうな“おもちゃの汽車”のように見えたのも楽しいひとときであった。

撮影:1968年(昭和43年)2月

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・「八高線の北部を訪ねて(高麗川以北)」シリーズへのリンク
404. 「新しき村」から・八高線/毛呂−高麗川
346. 外秩父山地を行く T・越生〜小川町
347. 外秩父山ろくを行く U ・八高線/小川町〜寄居
306. 上武鉄道(元 日本ニッケル鉄道)の古典SL・八高線/丹荘駅