自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・「東部のナローゲージ王国、イースト・ブロードトップ炭坑鉄道」・プンシルバニア州
042.  煉瓦造りの扇形庫から鉄道工場を望む ペンシルバニア州

〈0001:〉
EBT鉄道の扇形形機関庫からの全

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〈紀行文〉
 あメリカ最古の高速道路であるペンシルバニア・ターン・パイクをー東に走り、トンネルヲ幾つか抜けて、間もなく州道75号に降りた。そして、更に田舎道を小さな峠を越えて広い谷間に出ると、目の前に古めかしいが、石造の建物の並んだ十字路が現れて、珍しく黄色の点滅信号がぶらさがった街“ORBISONIA”に入っていた。SLのシルェットの看板に誘われるように右折すると、広い踏切の右には、二階建の停車場、左手には渋い赤サビ色のペンキを塗った鉄道工場、高いツウィン煙突が銀色に輝き、その手前は扇型機関庫らしい特徴のある屋根、そして多数の石炭ホッパー車の群れ、中を覗くと手押しのターンテーブルと数量のミカドSL、それに線路はまるでOHゲージの鉄道基地レイアウトとそっくりの配線、それに三線四季の路面軌道を設けてトロリー電車も走っている様で、何でも揃っている風景に圧倒されてしまった。
先ず、何故、こんな歴史的産業遺産がペシルバニアのアレベニー山地の真ん中の谷間の街に残っているのか不思議であった。それが理解できたのは、町の古い歴史を語った新聞の復刻版を読んでからであった。
 この街から11マイル程下ると、JANIATA河筋に出ることになり、マウントユニオンの街があり、ナローゲージのイースト・ブロード・トップ(EBT)鉄道が外界と接する唯一の連絡口なのである。このJANIATA川はペンシルバニア州の東半分を流れて大西洋に注ぐサスケハナ河の大支流であって、その昔からフィラデルフィアと ピツバーグを結ぶ中央ルートとなっており、運河や鉄道のメインルートに当たっているのである。
 実は現在、EBT炭坑鉄道の基地となっている所の地名は「ロックヒル・ファーネス(Rockhill Furnace, Pennsylvania州、ロックヒル
熔鉱炉)」であるのだが、これは昔の鉄造りの歴史を示す地名なのである。17世紀の独立戦争が起こると、欧州からの工業製品の輸入が難しくなり、植民地に手工業が起こり、機械工業も生れ始めていた。それらの工業は石炭ボイラーによる蒸気機関が動力であり、原材料である鉄材を必要としていた。当時の鉄造りは、豊かな森林を伐採して、木炭を作り、高純度の鉄鉱石と石灰と混ぜて、急流に設けた水車動力による「フィゴ」で風を吹き込んで行なう木炭製鉄が主流であった。それらの何れの資源も豊かなアレゲニー山地は製鉄炉が各地で営まれ、フィラデルフィヤはそれらを背景にして当時のアメリカ第一の都会として経済と政治の中心として栄えたのである。その中でも特に目立って開発されたのが、優れた鉄鉱石と石炭と豊富な森林資源のあるEBTの走る谷であったのだった。
所で、初期の鉄造り、木炭製鉄は、木炭を作る森林の豊かさで決まるとさえ云われていた。例えば、1トンの鉄に対し、2.5トンの鉄砿石、0.15トンの石灰、7.2リッポウメートルの木炭、それは500平方メートルの原始林から得られる木炭の量が必要なのであった。
この町は、1960年に創設、200年祭を祝った古くから木炭製鉄で栄えた土地柄で、旧式の熔鉱炉から1週間に10トンもの銑鉄が作り出され、ストーブなどの鋳物や鍛治屋の使ぅ鉄条片に作られ、馬の背にゆられてフイラデルフィァに運び出されて行ったと云う。1830年頃になると、この谷間に純度45%と言うとぴ抜けて優れた鉄鉱石と良い品質の石炭が発見され、ペンシルバニア州最大の規模の熔鉱炉で石炭製鉄が始められた。それは48基の石炭コークス製造炉と、24台の石炭ボイラー、その蒸気によってシリンダー直径48インチ、ストローク 8フィートの二台の直径 8 Mのはずみ車をもっ蒸気機関によって送風機が運転され、一日15トンもの銑鉄が作られるようになり、東部は元より西のピッツバーグ市まで出荷されたと伝えられる。しかし、これらの痕跡は、僅かに残る木炭炉の廃墟や、大量に発生したスラグがEBTの長い築堤や、線路の道床に利用されていることで、その歴史を残すのみである。
この谷の入り口に当たるマウントユニオンにPRR(ペンシルバニア鉄道)の幹線が開通したのが1850年6月のことであった。この付近のそれぞれの谷では、そのPRRに接続する鉄道を建設しようとする機運が高まりつつあった。そこへ、この谷では新たに優れた品位の石炭の露頭が発見され、その鉱区権が資本家により申請され、炭坑鉄道敷設の申請が出されたことから、従来からの谷の人々による鉄道建設の申請と競合することになり、その決着が遅れていた。そのうちに南北戦争が起こったために更に遅れたのであった。そして、1871年になって、やっとEBT鉄道石炭会社が発足し、やがて1873年に、マウントユニオンからロックヒル・フアネスの11マイルを処女列車が走った。更に続いて、建設は進んで、トンネルを掘り炭鉱山までの32マイルが完成した。1881年の記録によれぱ、14万トンもの石炭と、2万トンの鉄が輸送されたと云う。その後石炭の品質の優秀さは船舶用の燃料として証明されたこともあって、この事業は益々の隆盛に向かった。
その後10年間に、この鉄道の近代化をに目指した経営者の出現によって、現在我々が目にすることの出来るEBT鉄道の姿が生み出されたのである。
それは先ず、石炭輸送の能率化のために、線路のグレードアップを全線にわたって行って、一日 五本の1,000トンもの運炭列車と8本の旅客列車の運行を目ざした。そのために必要な貨車の整備を目標とした鉄道工場を再建し、ツイン煙突の残る工場では、ホッパー車の製造と自動連結器とエアーブレーキの全面採用工事が行われ、SLの全ての修繕が出来るようになった。そして今も残る 6輛のボールドウイン製のナロー・ミカドSLが順次落成入線し、彼のねらった近代化は成功裡に実績を向上させて行った。それは53マイルの路線、50万トンの石炭と30万人の旅客の輸送を年間に果すという金字塔を打ち立てた。その後、次第に自動車と道路の発達が旅客列車を廃止に追い込み、世界第一次大戦中の活況ののちは石油の波に押され,優良な石炭はあるのに1956年に廃業するに至ってしまったのである。
さて、ここで銀色に塗られた二本煙突で象徴される鉄道工場の周囲を御案内しよう。先ず、前日運転当番のナロー・ミカドaD15はターンテーブル脇のアッシュ・ビットで残り火を溜めている。この3フィートの鉄道は、外界への連絡は標準軌のPRRとなることから、一切の修理が、このロックヒル・ファーネスの基地でできる様に工場が設計され維持されてきた。二本の煙突は驚いたことに、二台の100 馬力の蒸気ボイラーのためのもので、蒸気エンジンはおそらく製鉄所のフイゴ動力を活用して、1902年に再建された工場に設置されたのだろう。従って、ベルト,プーリーで全ての動力は固定式の蒸気機関で駆動されるように設備が残されている。現在はモータ駆動で使用している。そこには、機関車二輛が入り、動輪のタイヤの削整は勿論、タイヤの交換も容易に可能である。水圧テストをするプランジャー水圧ポンプはボイラーの注水ポンプと兼用だと云う。隣りは鋳物工場、軸受のバビットメタルや鋳鋼の鋳込もやっ
ていたのであろう。鍛工場には蒸気ハンマーが設置され煙管の鍛接が行われたものと思われる。透けたガラス窓から眺められる機械の博物館は今にも動き出しそうな20世紀始めの鉄道工場である。裏には、250輛余りのホッパー車を製造した工場があり、厚い鉄板のプレス、ベンダーがやはりクラシックマシンの姿で保存されているのだ。
この一世紀逆戻り(TURN OF CENTURY)の機械や道具類、工場の雰囲気は全く生きたままでの科学歴史博物館で、磨かれてツンとすました展示博物館と比べ、その生々しさの迫力に驚かされるのは私だけではないだろう。
この板張りの鉄道工場を縫う様に機回り線が配線され、砂処理、氷室、ペイント工場、本社建物が並び、何んと言ってもアームストロング製の手押しターンテーブルと扇型庫が見応えがある。赤練瓦に白いメジ(目地)の付いた腰、その上に木造のガラス窓,いつか盛岡の機関区での情景が目に浮ぶ雰囲気である。この八線式の扇型庫内に今いつでも火の入るミカド4輛と、一部の部品を流用された 2輛の計6輛が静かに出番を待ちつづけている。木製の観音開きの扉が、上げシャッターになっているのは、このEBTに唯一のふさわしからざるものではないだろうか。
広いヤードには35トン積から鋼板でカサ上げされ40トン積となったホッパー車が留置され、この鉄道が石炭と共に生きて来た証し(あかし)を誇っているのである。鉄道工場は渋い赤レンガ色のぺンキ塗りとダークグリーンの客
車と言っクラシックな色彩はよく似合っていた。
そこで、 次の43.では何故ナローゲージが採用されたのか、見事に揃ったボールドウイン機関車工場製のミカドSLについて述べることにします。

撮影:1979年
発表:「レイル」誌・1983年9号


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・「東部のナローゲージ王国、イースト・ブロードトップ炭坑鉄道」シリーズのリンク
・「東部のナローゲージ王国、イースト・ブロードトップ炭坑鉄道」シリーズのリンク
083. EBTナローゲージ♯15のポートレート・ペンシルバニア州
043. ナローゲージ名物“Stub Switch”のある風景・ペンシルバニア州
044. ナローミカドの牽くチューリスト列車・ペンシルバニア州
082. 盛夏のEBTナローゲージ・トレィン・ペンシルバニア州