1.サイフォン
私はギリギリ、60年代生まれ。ジャニス・ジョプリンやジム・モリスンがこの世を去った頃。当時の日本っていったら高度経済成長の末期で、一億総中流なんていわれてたそうですが……。うちはそのころ自宅で両親が皮加工をしてる、いわゆる超弱小マニュファクチュア。裁断機のガタガタいう音が一日中してました。今思えば決して中流とは言い難い。コークスで風呂を沸かし、牛乳を飲むときはスプーンが必要でした(表面に浮いたホコリをすくうため)。そんな我が家の食器棚に不思議な形の、たいへん好奇心をそそられたものがありました。それはめったに棚から出されることはなく、父がたまに使うときも、ガラスでできたそれはとても脆いような気がして、触るのがためらわれました。ただ、アルコールランプで温められた水が、管をのぼっていって、色がついてまた下に溜まるのが不思議でしかたなく、ジッと様子を見つめていました。
それがサイフォンという名前だということは後になって知りましたが、私の最初の珈琲に関する思い出です。
おそらく、当時のうちにとっては珈琲は贅沢品だったのでしょう。めったに使われることがなかったのはそういう理由だと思います。父にとってサイフォンを使うときとは、切り詰めた生活の中でのたまの息抜きだったのでしょう。
2.牛乳のお伴
私が珈琲をおいしいと思えるようになるのはずっと後のこと。我が家は、子どもは牛乳と決まっていました。たまに飲めるのはパンピー、カルピス、三ツ矢サイダー。珈琲は砂糖を入れても飲めたものじゃありませんでした。そんな私も小学校にあがり、楽しみの時間といえばご多分にもれず給食。特に皆が待ちわびていたメニューは、ソフト麺、カレー(なぜか決まってグリーンピース入り)、そしてミルメーク。そう牛乳に溶かすアレ。コーヒー味の。牛乳のキャップを開けてそのまま入れちゃうと溢れちゃうから、一口飲んでから入れるんですよねー。キャップをもう一回つけ、シェーカーみたいに振って溢れさせちゃうヤツが必ずいたりして…。さらに牛乳拭いた雑巾は臭かったりして……。
まがい物ですが、おいしいコーヒー(カタカナ表記が相応しい)との出会いはその時ですかねー。本物とはまだまだ先の話。
3.食後には
洋の東西を問わず、食後は飲み物で締めますが、私が食後に習慣付いたのはお茶が最初でした。紅茶、珈琲に比べたらやはり一番苦くないというのが理由でしょうか。後味もあまり残らないし。そんな私の前に現れたのが徐々に活況を呈してきた外食産業でした。「もっと気軽に洋食を」というコンセプトのもと、安っぽい似非っぽい高級感を我々に押し付けてきたアレ。いわゆるファミレス。「どのパスタにもパルメザンとタバスコ持って来んじゃネーよ!」って憤懣やるかたない例のやつ。まあ、でも利用させていただいてますよ。
そこで聞かれるのが「お飲み物は何にいたしますか?」である。セットではたいていコーヒー(カタカナ表記が相応しい)か紅茶。もうこの頃私は高校生ぐらいなのだが、粋がりたい盛りの頃のことで紅茶=婦女子の飲み物、コーヒー=大人の男、という図式が作られているわけです。まさかいくらなんでもメロンソーダは頼めないでしょ?
で、はじめは旨いとも思わず(砂糖を入れるのも子どもの所業だから)無理して、「コーヒー…、食後に。」なんてウエイトレスさんに言っちゃったりしている自分がいるわけです。そんなことが繰り返され、段々舌が慣れていったというか、麻痺していったというか。
4.コーヒーから珈琲へ
大人になるにしたがって行動範囲も広がり、勤めはじめ自由にできるお金も持てるようになり、給料後の贅沢に都心へ出かけることも増えました。その頃、父はとっくに家内制手工業を辞め銀座に勤めに出ていたので、SONYビル下のカーディナルを教えてもらって、映画の帰りなんかによって行くこともありました。そこで飲む珈琲は、「ファミレス」の「サービス」の「お替り自由」のコーヒーとは似て非なるもので、まさに珈琲と書き表したくなるほど、味に格式があるのでした。ただ単に苦いだけの飲み物ではなく、香ばしいかおりと、酸味と甘みが渾然一体となり、スタイルではなく実際「美味しい!」と感じられたのです。珈琲を美味しく感じられる自分がやっと「オットナ〜!」になったと実感できたのです。
4.こだわりだすと
大人の嗜みにはこだわりがあり、またこだわることで粋になるということなのでしょうか。皆さん嗜好品には各々好み、持論の類があるでしょう。煙草の銘柄、飲み屋はキリンがあるかサッポロがあるかで選ぶとか、ウィスキーはやはりシングルモルトに限るとか……。
煙草、酒を嗜めない私がこだわりだしたのが必然的に(?)珈琲。インスタントだとお腹をこわす体質上、一番お手軽なドリップを自宅で始めました。ドリッパーはどこの家庭でもあるカリタの白い陶器。ペーパーフィルターは臭いが付くので、メッシュのものにしたり、豆は酸化するので自宅でミル挽き。と道具を買ってみたけど豆は結局ドトールだったりして。一昨年エスプレッソマシンを購入して感じたのは、店によって豆のまま買ってきても鮮度がまったく違うってこと。チェーン店は安いけどイタリアンはローストし過ぎだし、クレマが全然出ない。そこで自家焙煎している店を探したり、とこだわれば限がないし、こだわりはじめると家で淹れても「オッ! 喫茶店と同じ味」と自惚れてみたりと楽しさが増してくる。
そんな私の昨年の誕生日プレゼントが、ミルと銅製のサーバー。このサーバーのおかげで湯温が適度になり、細く注げるので珈琲粉をプックリさせてドリップできるようになりました。
お湯を沸かし、豆を挽くと飲むまでに時間がかかりますが、その一手間が茶道で言うところの「お手前」のようで、落ち着いた気持ちになり、雑駁な日常から切り離された特別なひとときに変化するのです。
定年より5年くらい早めに退職して、喫茶店をやりたいなんて夢があるものだから、もっとこだわらなくてはなんて思っています。利き酒のように、豆の違いを勉強しなくては。まだまだ入り口です。
01.
20. 2002 |