ゆ〜らゆら日記




「やっとハッピー」 Theピーズ

いつまでもバカのそばを離れないで
休まずに手を抜かずにハマらないで
死ぬまであそぼう まかせろだぜ
どこまでもいこう 壊れるまで

出来るだけ無理してでも同じトコにいよう
やっとハッピー 文句ねぇ 張り切ってしまえ
この世の終わり 大騒ぎか
気づかないまま バカに かわいー君
ここで消さねーぞ もったいねぇ

キズつけたりしない 出来ない そんな度胸ねー
そんでそんなヒマもない 仲良ししてるしかねー
死ぬまで一緒だ 離れないぜ
どこまでもいこう 壊れるまで

カン違いでもいー おら飛んで来い そんままでいー
やっとハッピー やっとハッピー まかせろだぜ

ここで消さねーぞ もったいねー 調子に乗っぞー
Hey チクショウ死なねーぞ もったいねぇ

やっとハッピー やっとハッピー
どハッピー OK
手放さねーぞ

2002年 10月31(木) うろこ雲びっしりの朝の空

このところ目の下がピクピク痙攣してまして、それはマグネシウムが足りないからだと会社で言われたので、ピーナッツばかり食べたらその夜に胃がキリキリしてきまして、実はビタミンBが足りないようで、それよりも睡眠が足りないようなので、ぐっすり寝て、チョコラBBを飲んだら少し良くなって、でもまだ治らなくて、風邪もひいちゃいまして、なんなのだろう?

2002年 10月30(水) とんかつ定食

ふと横を見るといつのまにか異星人と晩ごはんを食べていました。

2002年 10月28(月) 意地になって長生きするぜ

電車が江戸川を渡るとき富士山がうっすらと見えました。
どうやらぼくはマグネシウムが不足してるらしいのです。
99円ショップでピーナッツを3袋かいました。ポリポリポリ

2002年 10月27(日) ブラつく

上野に行きました。異星人と一緒でした。
不忍池でハトの水浴びを見ました。
骨董市でチャイルドブックを見ました。異星人があゎーあゎーと言いました。
上野公園で三味線二人組を見ました。すごいことやってんのにバカでよかったです。
子どもを連れたおじさんに動物園の場所を聞かれました。正確に教えることができました。
こども図書館のコンピュータでコドモノクニの絵をたくさん見ました。
音を消してたのでヘッドホンは付ける意味ありませんでした。ずっと付けてました。
純喫茶「丘」でチキンライスを食べました。異星人のハヤシライスを少しもらいました。
異星人は口をあけて天井を眺めていました。

新京成線に乗って柴又に行きました。.日の光が好いです。
帝釈天でお参りしました。江戸川の土手に向かいました。
二人組のおばさんに寅さん記念館の場所を聞かれました。違う道を教えてしまいました。

迷子になった おばさんが この僕に道を聞いてきた
「どっちに行けばいいですか?」 その目が少し 潤んでる
でたらめに 指を差した わからないけど 指を差した その通りに歩いてく
おばさん さようなら

「でたらめに指を差せ」 カステラ

江戸川の土手を散歩しました。
野球やサッカーをする人たち。犬の散歩する人。家族で遊びに来てる人たちがたくさんいます。
矢切の渡し舟は観光客がたくさん乗っていました。空くのを待っていました。
不思議な乗り心地でした。水の音が気もちいです。日が暮れてきました。向こう岸の土手が綺麗でした。
寒くなってきました。土手を転がる少女がいました。寒くなくなりました。
帝釈天の参道の店は片付けをしていました。

金町に行きました。
純喫茶「ボン」を見つけました。店のおじさんが
「すみません。今日はもう終わりなんです。
すみません。」とやさしい声でした。また来よう。
純喫茶「テンダリー」を見つけました。
ぼくは最近、居酒屋より喫茶店が大好きです。

晩ごはんはそば屋でいかの一夜干しと舞茸そばを食べました。
ビールは飲みました。店は閉まりました。

ウロウロしてモスバーガーでコーヒー飲んで入り浸っていました。
ずっと隠れていた月が出ていました。

2002年 10月26(土) 夢のような夢だ

昼に起きて部屋掃除をして持ってる音楽たくさん聴きました。
電話嫌いなのに電話を2回かけました。ないことです。快挙です。

2002年 10月24(木) タイムトリップ喫茶

お昼に会社の近くの細い狭い古い喫茶「ミモザ」に入りました。
ずいぶん前から気になっていました。
TVのついた店の奥に60過ぎの女性とその娘?30才くらいの女性が立っていました。

昔懐かしい壊れたインベーダーゲームのテーブル席に座ろうとすると
「そこは座りずらいのでこちらどうぞ。」
とやっぱり古ーい感じのテーブル席に座りました。
壁には大小様々な絵画が掛けられていました。
アラレちゃんの本は2巻と6巻だけありました。
メニューは店の奥に貼ってある紙に手がきで書かれていました。
食事メニューにはサンドウィッチ、焼そば、焼うどん、スパゲッティなどがありました。
ナポリタンを頼むとトントントンと何かを切る音が聞こえてきました。
テーブルの上に塩と粉チーズとタバスコがのった銀のトレイと白い紙とその上にフォークを置きました。
しばらくするとジュワーと炒める音が聞こえてきて美味しそうなにおいが漂ってきました。
テーブルの上に置かれたナポリタンはまさしくナポリタンでした。
ビンに入った粉チーズをスプーン2杯ほどかけて食べるとやっぱりナポリタンでした。
なすだと思って食べたものはシイタケでした。
店を出るとき「お忘れ物のないように」と声をかけてくれました。
他にお客さんは誰も入ってきませんでした。
週に1度ここに来ようと思いました。

バイトが終わって帰りにギャラリーG8に寄って絵本の原画展をみてきました。

へなちょこがデジカメを手に入れたみたいです。

2002年 10月23(水) イエイ

今日は母の誕生日ということでステーキにありつけました。
イズミさんが作ったお米、ほんと旨いよ。

2002年 10月22(火) 風をあつめて蒼い空

今日はバイトを休んで異星人に連れられて上野動物園に行ってきました。
水浴びするスズメを見ていきなり感動した異星人は、あらゆる小動物で腰くだけてました。
レッサーパンダやプレリードッグやマーモットを目の前にした時には「あわわあわわ」言ってました。
ぼくはやめたつもりのビールをとうとう飲んでしまいました。

その後ぶらぶらして入った純喫茶の「カヤバ」と「丘」は昔からずっと変わらないままなのでしょう。
店の古い感じにやけに溶け込んでしまっている異星人はやけにうれしそうにしていました。

遠くの空のオレンジ色したまあるい月を眺めていました。

晩ごはんに天ぷら定食を食べました。
ビールは飲みました。

それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を

「風をあつめて」 はっぴいえんど

2002年 10月21(月) おいしいよーん

晩ごはんは白菜とネギたっぷりの鍋でした。
今年イズミさんが作って送ってくれた新米をおいしくいただきました。

2002年 10月20(日) 祭りの後の寂しさを感じつつ?

明日は姉の誕生日ということで姉の家族がやって来まして、ティラミスとお寿司を食べることが出来ました。
やめたつもりのビールも飲むことが出来ました。

2002年 10月19(土) 盛り沢山だった

昨晩残ったスキヤキの鍋をあっためてたら、いつのまにか指をやけどしていました。

で、今日は異星人と一緒に川越のお祭りに行って来ました。
川越のお祭りは山車祭りで、29台もの立派な山車が川越市内を練り歩きます。

首に手拭いを巻かれた犬が飼い主に「ほら!山車来たよ!」と言われてくるりと逆向いちゃいまして
「そっちじゃないよ!」と怒られてました。(涙)

とぼけた警備員さんがとぼけた道を教えてくれたおかげで川に辿り着いちゃいまして
コイ
や人面魚や鴨やアヒルや見たことのない鳥などを見ることができました。
久々にヘチマを見ました。

中央通りには電線がなくて空がすっきりしてました。
通り沿いの建物は蔵造りになっていて、サンクスまでもが古い造りになっていました。
中華そば屋さんや喫茶店などいい雰囲気をかもし出している店がたくさんありました。
山車の混雑に巻き込まれて身動きがとれなくなりました。
異星人は山車の上で笛を吹くお姉さんにだらしなく見とれていました。

菓子屋横町では高い帽子をかぶったコックさんが絵を描いていたり、あやしいおじさんが道端にあやしい絵を並べてたり、懐かしい丸い郵便ポストがあったり、店の前の小さな掘に大量のコイが泳いでいたり、串に刺したきゅうり1本をかじりながら歩く人々がいたり、そして山車が通り過ぎ。。。う〜ん。。。この感覚は。なんだろ?メルヘン?
とりあえずぼくらの頭の中はきゅうりのことでいっぱいになってしまいまして、で、必死に探し求めたきゅうりはやはりきゅうりなのでありました。
異星人には串に刺したきゅうりがよく似合います。
芋ビール片手につまみを求めてさまよい歩いていると創作漬け物や豆の試食にありつけました。

大正ロマン夢通りではお祭りの今、なぜこの曲?てのがかかっていたり、昔のまま時間が止まってしまってるような店構えのパン屋さんがあったり、店も人も時代に取り残され感があって、異星人にはよくお似合いでした。

五百羅漢を観ようと訪れた喜多院では「
だるまをここに置かないで下さい」という看板が強く印象に残りました。
立派に育った木がたくさんあるのでぼくは根っこに何回かつまずきました。

喫茶「マイウェイ」でケーキセットを食べて入り浸っていると外は大雨になりました。
傘を求めて走り回り、いざ傘を手に入れると傘のことしか頭になかったものだから、ただ歩いてました。

だらだらと意味のない遠回りして辿り着いた甘味所ではけんちんうどん一杯で店が終わるまで入り浸っていました。
やさしい店のおばちゃんがお茶を何度も入れてくれました。

2002年 10月18(金) わーい!新米だー!

夜のアドバルーンはなんか無気味だなあ。
家に着くとなんだかあやしい?茶色い袋。
おそるおそるバリッと破くと中身はうれしー!今年5月にぼくらが植えたお米だよー!
お世話になった富士宮のイズミさんからの贈り物です。
ありがとーう!おいしく食べよー!

2002年 10月16(水) 日記みたいにいい天気

朝食に昨日の残りカレーを食べてワタナベイビーを聴きながら電車に乗りました。
とてもいい天気なので一駅前で降りて会社まで歩いているとアドバルーンというものを久々に見ました。
すごくいい日になりました。
髪を少し切りました。
最近は渚にてを聴きながら家に帰ります。

岩の上でスッポンが
自分よりも大きな欠伸をしてる
白い雲がヨットになって
さかさまになって浮かんでる
田舎の新聞記者が手帳につけてる
日記みたいにいい天気
ぼくは糸のついてない棒っきれで
うとうとしながら夢をつる

池のほとりの時計から
数字が水に飛び込んで
ぼくの見えない糸のまわりを
魚みたいに泳ぎはじめる
「あの日君に逢ってから
君が好きだということを知りました」
ボート小屋での一日は
ぼくのたった2行のラブレター

いつかぼくのボート小屋に
君も遊びに来て下さい
来る時は船乗りが飲むという
強いラム酒を忘れないでね
青い空の下に寝ころがって
針のない時計になりましょう
手を胸の上においたまま
漂うふたつのまあるい時計

「ボート小屋便り」 友部正人

2002年 10月15(火) 雷さまごめんちゃーい!?

映画監督を目指してがんばっている夜のバイトのK君が今週でやめるそう。
時間が合わず顔を合わせることはあまりなかったのですが、お互い何かあったらと。
有名な監督になったらじまんしよーっと!

夜は雷が鳴っていてお風呂に入るのよそうかと思いましたが、泣きながら入りました。

2002年 10月13(日) 君はきっと勝てるのだー!だー!

今日はF1日本グランプリ!いよいよ最終戦の鈴鹿なのだ!
今年デビューした昨年のイギリスF3チャンピヨン佐藤琢磨選手は期待されながらもマシンの不調に自らのミスも重なってこれまでなかなか結果が残せませんでした。けど
最終戦の地元鈴鹿に来て予選は自己最高の7位!
前にいるのはフェラーリ、マクラーレン、ウイリアムズのトップチームのみ!
そんで決勝はやったぜ5位!初ポイントだ!
そうだよ琢磨くん!君は勝てるドライバーとしてF1に乗ってるのだよ!
ぼくもがんばろー!

2002年 10月12(土) 痛い目をみるまで恋だ

今日は立川の高島屋へ谷内六郎の世界展を観てきました。
パトカーの音を聴けばものすごい凶悪事件を想像し、屋根から雪が落ちる音を聴けば屋根からお相撲さんが落ちるのを想像し、床屋さんのぐるぐる廻る色の行方を想像し、カチカチする時計の音、風がふけば、雲を見れば、楽しいことだったり不安なことだったり、とっても繊細な谷内六郎さんは子どもの頃に感じるようなことを絵に表します。
そんな泣けてくるほど繊細な絵を子どもの頃を懐かしむように観ている人たちがたくさんいました。
そんな中、なんだかひとり変わった見方をしておられるお姉様が展覧会場にひとり。
「うぷぷ、うぷぷぷぷっ」と見る絵見る絵がつぼにはまっちゃってるようで、笑ってるのでした。
天国にいる六朗兄やんが
「え?!え?!え〜〜〜?!そんな〜〜〜ん そこで笑うの〜ん?!ごほっごほっ」
と嘆いているのが目に浮かびました。
でも確かにとってもチャーミングだったなあ。ロマンチストでかわいこぶりっこ、とにかく純粋でストレート。
どの絵もすごくわかっちゃって親近感が湧いちゃって。だから?毒もはくさ。
そんな絵がとにかくたくさん盛り沢山で充実しちゃって外に出たら夜になってたよ。
どうやらすごく長いこと「谷内六郎の世界」にいたんだなあ。あーおもろかった。

そんでこだわりの喫茶店にも「うぷぷぷぷ」と笑う腰くだけがひとりと
「え?!え?!え〜〜〜?!そんな〜〜〜ん それは笑えるえ?!ごほっごほっ」
と嘆く人がひとりいるのでした。

2002年 10月11(金) 今日は

朝からゆらゆら帝国を聴いていました。
Theピーズを聴きながら会社に行きました。
お昼はチキンカツカレー中辛大盛りとサラダとコンソメスープ食べました。
バイトが終わって銀座の伊東屋でオイルパステルつうのを二色泥棒してみました。
渚にてを聴きながら家に帰りました。
家ではダイナマイツを聴いてみました。

2002年 10月10(木) 光と影のファンタジー

バイト帰りに銀座の教文館という本屋さんで藤城清治さんの影絵展を観て来ました。
昔から東京電力のCMでよくみているあの影絵です。
影絵の原画?を観るのは初めてで、とても新鮮でした。
影絵というもの事体がすでに幻想的な感じですが、藤城さんの世界はまさ光と影のファンタジー。
朝があって、昼があって、夕暮れがあって、夜があって、春夏秋冬があって。
こうなったら虹やら風船やらブランコやら徹底的に平和な世界を作り続けて欲しー!
そんでギャラリーを出ようとすると「ちょっとすみません。」と受付のお姉さん
「また観に来て下さい。」てただ券もらっちゃたよ。

「お父さんがこっちにも絵があるぞと言って鏡に向かって歩いて行きました。」
感想ノートより

2002年 10月9(水) バイト休んで

始発電車に乗って絵を描いてました。
6時過ぎに家に着きました。
夕方に玉葱キャベツスパゲッティを作って食べました。
あとはずっと寝てました。

風は長い着物をきて
朝の通りを目覚めさせる
ぼくは朝と手をつなぎ
夜まで眠ることにした

雨はおくれてやって来て
村の祭りを中断させた
オートハープを抱えた少女が
駅で電車を待っている

君が歌うその歌は
世界中の街角で朝になる
君が歌うその歌の
波紋をぼくは眺めてる

「朝は詩人」 友部正人

2002年 10月8(火) みんなの表情がよかったなあ

カレーライスを食べる夢をみて起きました。
駅へ歩いてると白い大きな飛行機がすごく低い所を旋回していました。不思議でした。
バイトが終わり銀座のギャラリーG8でイラストレーターの津々井良さん(つつらら兄やん)と待ち合わせしました。
つつらら兄やんとは友部正人さんのファンとして知り合って、ぼくは兄やんがイラストレーターの津々井良さんだということは知っていたのですが、ぼくがこのHP「坊さんごっこ」を作った時に兄やんもぼくの絵を知っていたとわかった時は驚きました。

一緒にぼくの友だちのバンド、ギャーテーズを観に行こうと今日が初対面です。
ドキドキしながらG8に向かいました。
G8に着くと数年前にぼくが初めてイラストの仕事をやったときにお世話になったおもしろい言葉遊びの文を書く石津ちひろさんが男の人と話してました。
「久しぶり〜。少し背のびたんじゃない?」と石津さん。
「はい」とぼく。
ほんで石津さんと話していた
男の人はなんとつつらら兄やんだったのでした。
知り合いの知り合いは実は知り合いだったのでした。
ぼくと兄やんは井の頭線に乗ってライブハウス「マンダラ2」のある吉祥寺へ向かいました。
会うまではドキドキ緊張していましたが、友部正人さんの話、イラストレーションの話、つつらら兄やんのこと、たくさん話していると初対面という気がしませんでした。
吉祥寺に着いてマンダラ2に向かう前にトムズボックスという本屋さんに連れていってもらいました。
前に友だちに教えてもらったのですが初めて来ました。
小さなスペースに絵本や自費出版の本がたくさん詰まっている素敵な所でした。
ぼくは武井武雄さんの「ハツメイハッチャン」とへなちょこな友だちに「へなちょこ王」を買っていきました。
またこよう。
夕食に春木屋で中華そばを食べていよいよマンダラ2へ向かいました。

ギャーテーズは元々、富士の裾野にある弘願寺というお寺の清僧さんとよばれる知的障害を持つ3人のお坊さんが在籍していたのですが、弘願寺の住職だったバンマスの角田大龍さんが14年ぶりに戻って来た弘願寺の創立者にお寺を返すと、清僧さんは音楽活動や絵画陶芸などの創作活動を行ってはいけないということになってしまい、今回は急遽、清僧さんのいないギャーテーズとなりました。
「あいつらと一緒にやりたかった。」
お寺の意向に合わず一昨日にお坊さんをやめたばかり大龍さんの心の奥底にある本当の気持ちだと思いました。
今まで清僧さんに向けられていたものは全てその音に向けられるようになり、ぼくらもその音の洪水を真正面から浴びることになりました。
それはギャーテーズそのものでした。
「ギャーテーズはギャーテーズなんで」
ギャーテーズはこれからも宇宙です。

ライブ後、やめたつもりのビールを飲みながらたくさん集まった友だちとよかったよかったと楽しくおしゃべりしました。
ヘなちょこな友だちがほっぺたにひよこのシールを貼ってくれました。ぼくは「ヘなちょこ王」をあげました。
驚いたのはギャーテーズの寺田佳之さん(per)がつつらら兄やんとなんと友だちで約20年振りの再会らしい。。。
世間が狭いのか?つつらら兄やんいったい何者?

帰りはお茶の水まで来たところで電車がなくなってしまい、泊めてくれそうな唯一の友人はお仕事中、マンガ喫茶「ゲラゲラ」で始発電車を待つことになったのですが、ゲラゲラ笑ってる人は誰もおらず、へんな雰囲気の中ぼくひとり「ついでにとんちんかん」読んでゲラゲラ笑ってるのは虚しいので、「バカボンド」読んでました。

2002年 10月7(月) あの感じ

バイト帰りに銀座松坂屋へ。友だちが送ってくれたチケットで宮?正明展を観てきました。
日本の風景や世界の風景を幻想的に描いた絵がたくさんありました。きれいで気持ちがよくてあくび出ました。

ぼくの大好きなギャーテーズ、清僧さんの活動が???のようです。
ライブハウスで叫ぶ清僧さん、自分で描いた絵をうれしそうに次々と見せてくれる清僧さん、
弘願寺の気持ちのいい風。
ギャーテーズの空気や清僧さんの絵は「あ。いいんだぁ。」というぬけた感じ。
絵も、生きてりゃ度々おこるつらいことも、こんがらがることなかったんだなあと。
清僧さんに感じさせてもらった「あの感じ」を大切にしよう。



絵 小山大橋さん

2002年 10月6(日) だらけた

来年の鎌倉。友部正人さんの30周年記念コンサート「あれからどのくらい」のチケットをとりました。
部屋に掃除機をかけました。かた焼そばを食べました。残りは寝てました。

2002年 10月5(土) 結婚おめでとう!

今日は高校の頃からの友だちN君に結婚披露宴に呼んでもらったのでバリっとスーツだったのだ。
豪華なお料理たくさん食べて、やめたつもりのビールを少しだけ飲んで
お嫁さん奇麗でやさしそーで、だから?遊びに行くぞー!遊んでね?

2002年 10月4(金) テレサがいたんよ

今日は早く寝ようとテレサテンの「淡淡幽情」聴いてたらじ〜んときちゃって寝れなくなりました。

2002年 10月3(木) へーい!夜はハンバーグだい!

お昼にするが亭でラーメンライスを食べた後、会社近くの古本屋の前を通ると
「おーいおーい!」と芸術新潮。わー!谷内六郎さんの特集だぁ!
泣けてくるよーん。

2002年 10月2(水) 台風一過

太陽がすごくまぶしかったなあ。空がすごく青かったなあ。町の人はみんなすごく歩いていたなあ。
お昼に食べた肉野菜炒めはたまねぎがすごく多かったなあ。ご飯おかわりすごくしたなあ。

2002年 10月1(火) 台風といえば

戦後最大級?の台風が関東を直撃して家が大きく揺れていました。
台風といえばぼくが小学校低学年の頃にほんとに大きな台風がやって来まして家は床上浸水になりました。
1階にある家財道具をみんな2階にあげたり、近所の人がボートに乗っておにぎりを持って来てくれたり。
台風が去って水が引いた後は家を消毒する
臭いでいっぱいになりました。
たまにどこかで消毒の臭いを嗅ぐとその台風のことを思い出します。
まだ子どもだったぼくは「家はどうなっちゃうのだろう?学校は休みなの?」恐怖に脅え震えてました。
下の文はそんな状況の中で書かれた文を復元したもので、学年の文集になりました。


「夢がかなう10月」 友部正人

夢はすでにかなえられた
ぼくは未来に向かっておじぎした
心臓をゆすりながら思いつくことは
新しいパンのかおりだけ
10月である
おととしの今ごろは何してた
ぼくらは新品の指輪を買って
古いいさかいに別れを告げた

街にたむろする野良犬どもを
ひっぱたくための長い杖を持ち
疲れた足をほぐしながら
男ははるばるやって来た
10月である
朝は変装してやって来る
とてつもないほら吹きが
人をしあわせにする詩を書いた

夢はすでにかなえられた
ぼくは朝の公園にたどりついた
老人は杖から解放された
犬の鎖ははずされた
10月である
ギンナンは枝からふり落とされて
絵描きは踏みつぶされた歩道に
おうど色の絵の具をまきちらす

ぼくらの一人前になるやり方じゃ
いつまでも半人前にしかなれやしない
半人前になることこそぼくの夢だった
それこそぼくの一人前になるやり方さ
10月である
それは岩の上に立っている
木枯らしは黒い手袋で
お日様のヌードにふれたがる