6月4日  6月11日  6月18日  6月25日

説教題:「キリスト者」

聖書:使徒行伝11章19〜26節

 今朝の聖書は、使徒行伝から与えられましたが、イエス様はユダヤ人でユダヤ教徒、そしてユダヤ教のラビだったので、現在のキリスト教は存在していなかったのです。

 使徒行伝1章8節で、イエス様が天に帰られる前に弟子たちに「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」と語っておられるのです。

 イエス様の言葉通りに天に帰られてからしばらくして、弟子たちが七週の祭りつまりペンテコステの時、エルサレム神殿に詣でていた時のこと、使徒行伝2章2〜4節をみると「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」と記述されているように、イエス様の弟子たちが、通常ヘブライ語を使っていましたが、地中海に面する諸外国の言葉を話しだしたことが最初だったのです。

 その時遠くの国々からエルサレム神殿に来ていたユダヤ人たちが、使徒行伝2章11節「あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」と、イエス様の弟子たちは突然聖書に預言されていることを力強く語りだしたことに驚き、使徒行伝2章12節「みんなの者は驚き惑って」そして13節「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と、驚く人々と馬鹿にする人たちがいたのです。

 それに対し、イエス様の弟子の筆頭であったペテロさんが16節からとうとうと語りだした内容は、ユダヤ人であればだれでも知っているヨエル書2章28、29節「その後わたしはわが霊を、すべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。その日わたしはまた、わが霊をしもべ、はしために注ぐ。」とヨエルが預言されていることが、今私たち弟子たちに起こったのだと言ったのでした。

 ペテロさんの演説は力強く語りだし、あなたがたもイエスという人物がローマ帝国により十字架刑により神殿墓に埋葬されたことはご存じでしょう「このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。」(使徒行伝2章32節)、全能の神様がイエス様を甦らされたことを私たちは身をもって体験したからこそ話すことが出来ていると言っているのです。

 ペテロが確信をもって話した所、それを聞いたユダヤ人たちが37節で「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と弟子たちに質問したのです。

そこでペテロさんは38節で「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」と語ったところ、41節で「彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。」と記されているのです。

 キリスト教は、全能の神様を信じているユダヤ人が、神様の一人子である復活のイエス様を信じた三千人の人々により突然増えていったことが分かります。

 その後、更に主イエス・キリストを信じるユダヤ人たちが増えていったことで、ユダヤ教の議会であるサンヘドリンにおいても捨て置くことが出来なくなり、使徒行伝4章16節「あの者たちをどうしようか。あの者たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムのすべての住民に知れ渡っていて、われわれはそれを否定しようもない。」と記されているのです。

 「あの者」とは、サンヘドリンの議員たちが軽蔑をこめて「あの男たちをどうしよう」と言っていることがわかります。

 神の国の福音を宣べ伝え始めた当時は、まず人々に軽蔑されていたことを深く考えれば、現代においても同じことで、神の国の福音を知らない人々に語る時はまずその人から軽蔑されるものなのです。

 イエス様がマタイによる福音書13章において、種まきの例えを話されていますが、道端に、岩地に、いばらの中にまかれた種は実を結ぶことがありませんでしたが、良い地にまかれた種だけが豊かな実を結ぶことが出来たと記されています。

 つまり、神の国の福音を伝えても、75%の人々に軽蔑されると言われていることを思うと軽蔑されて当然だと思うことが出来るのです。

 主イエス・キリストを信じた人々のことを「あの者たち」という言い方をしていたのですが、使徒行伝11章1節で「異邦人たちも神の言を受けいれたということが、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちに聞えてきた。」と記されているように、神の国福音がユダヤ人だけではなく、異邦人も主イエス・キリストを信じ、バプテスマを受け「あの者」と言われる人々が増えていったのです。

 使徒行伝11章18節「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」とユダヤ人としてイエスを信じた人々は、異邦人がイエス・キリストを信じ、告白し、バプテスマを受け、その後にユダヤ教の契約の記しである割礼を受けなければキリスト者と認めることが出来ないと言っていたが、異邦人でもイエス・キリストを信じ、聖霊のバプテスマを受けることで割礼は必要のないことだというペテロさんの話に納得したのです。

 そのような時、19節にステパノ問題が勃発したことから、「ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。」と記されているように、当時の状況が見えるのです。

 ステパノさんの問題をわかりやすく解釈すると、主イエス・キリストを信じるユダヤ人でも大きく二つに分かれていて、ヘブル語を話す人たちのことをヘブライオイといい、ギリシャ語を話す人たちのことをヘレニスタイと言っており、ステパノはギリシャ語を使うヘレニスタイに属していたのです。

 使徒行伝6章に記されているように、主イエス・リストを信じる人々は、信仰共同体として共産主義的な生活をしていたことから、それぞれの食料を持ち寄り、人々に分配していましたが、どうしてもヘブル語を話す人々には多く分け与えられていることから、ヘレニスタイから不平不満が出てきたのです。

 食料分配の役割を担っていたステパノはそれに対して意義を申し立てたことでヘブライオイの人々の力によって、最終的には使徒行伝7章58節「彼を市外に引き出して、石で打った。」と殺害されてしまったのです。

 そのことがあったなか、ユダヤ人で主イエス・キリストを信じる人々はユダヤ人には福音を語ることが出来たが、異邦人には語る事が出来なかったのです。

それは、異邦人がイエス・キリストを信じる決心をしたら、割礼問題で頭を悩ますことになるという背景があったからなのです。

 そのような中20節で「クプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、主イエスを宣べ伝えていた。」と記されているのです。

 クプロ人とはキプロス島の人でクレネ人とは現在のエジプトの隣のリビア周辺出身のヘレニスタイの人がアンテオケに行き、主イエス・キリストの福音を伝えたのです。

 クレネ、リビア、そしてアンテオケと距離的には地中海を直線距離で測っても、3千キロ以上あり、海上から陸路からどちらから行くにしても大変な時間と労力を要したでしょうが、アンテオケに住んでいた異邦人で主イエス・キリストを信じたギリシャ人にも呼びかけ、主イエス・キリストを宣べ伝えたとあるのです。

 この聖書箇所は、主イエス・キリストを宣べ伝えることで重要なことは、21節で「主のみ手が彼らと共にあったため」と記されており、ただ人間の労苦、人間の思いだけでは福音は伝わらないということなのです。

 主のみ助があるからこそ21節の後半で「信じて主に帰依するものの数が多かった。」つまり、主に立ち帰った人々が沢山起こされたということなのです。

 アンテオケにおいて、主イエス・キリストを信じる人々が多かったことはエルサレム教会にも聞こえてきたので、それを確かめるためにバルナバさんをアンテオケに派遣したところ、バルナバはアンテオケにおいて主イエス・キリストを信じる人々の信仰が確かなものであることを見、その信仰を保つようにと励ましたのです。

 そして、アンテオケでは沢山の人々が主イエス・キリストを信じたことで、26節で「このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。」と記されているのです。

 ギリシャ語の原文をみると、クリストスと言われるようになったとありますが、アンテオケにおいて異教徒たちが主イエス・キリストを信じる人々にキリスト者とあだ名をつけたことが、これ以降キリスト者と言われるようになったのです。

 このように、わたしたちキリスト者はさまざまな抵抗はあるでしょうが、どのような状況においても福音を力強く伝えてゆくことを神様から命じられいるのです。      

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