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説教題:「神のものは神に返せ」

聖書:マタイによる福音書22章15〜22節

 今朝は、大変分かりやすい説教題で、イエス様が「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と語っている箇所から御言葉を聞いて参ります。

 イエス様の時代、ユダヤ民族はカナンの地に住んではいましたが、ローマ帝国の支配下にありました。

 ローマ帝国という国はイタリア半島で誕生した都市国家で1世紀から2世紀が最も栄え、地中海を囲む殆どの国を併合して強大な国になり、それぞれの国々から税金を取り立て、その税金によって帝国が動くことができていたのです。

 ローマ帝国は税金を取り立てるためには、取り立てることができる人数の把握だったので、確実な方法として、何処で生活していようと生まれた場所に帰られ、そこで登録させるという方法だったのです。

ルカによる福音書2章3節に「人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。」と記されている通りなのです。

余談ですが、今から8年前日本国民にマイナンバーカード制度を適用し始めましたが、普及率が71%で3300万人は登録されていないとのデータがあるので、登録ということは、莫大な時間と労働とお金が入り用なことがわかります。

 ローマ帝国は、なるべく登録の為の出費をおさえるため、支配下にあったユダヤ人たちから税金を取り立てるため、取り立て業務をユダヤ人に託していたのです。

 マタイによる福音書10章3節に「3 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ」とルカによる福音書5章27節で「レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。」と記されているのです。

そしてルカによる福音書19章2節「そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。」と記されているのです。

 ローマ帝国は、税金を取り立てる取税人を採用するときに、入札という制度を取り入れていたのです。

取税人になりたいと思う人は、入札会場において、自分が思った金額を書いたものを入札箱に入れますが、希望者の入札が終ると係官がその箱の中から入札金額の高いものから選んでゆくので、ザカリヤは高額入札者だったと想像することが出来るのです。

余談ですが、入札制度は現在でも国・県・市・村などで何かの事業のため、民間業者に入札させ、入札価格の低いものが選ばれる制度です。

 取税人の給料は取税人を委託したローマ帝国からではなく、自分が決めた給料とローマ帝国が決めた税金を徴収していたのです。

これもローマ帝国が自分の腹を痛めないように決めていたことがわかりますが、取税人の給料を自分で決めるため、高い給料を自分に支払うということが許されていたのです。

 ザアカイという名前はヘブル語で「純粋な」という意味がありますが、ルカによる福音書19章7節でイエス様がザアカイの家に入ったことで、ユダヤ人達はイエス様に対して「彼は罪人の家にはいって客となった」と言っている箇所があります。

 ザアカイもユダヤ人で、ローマ帝国に任命された取税人の頭であり、金持ちだということで、罪人の頭というレッテルを貼られ、ユダヤ共同体でも一緒に食事をするような人は居なかったと思われるのです。

 そのような訳で、否応なくユダヤ人たちはローマ帝国に税金を徴収され、ユダヤ人である取税人に徴収されることに承服できないと思っている人々が大勢いたのです。

 そのような状況のもと、取税人を弟子としていたイエス様の所に、パリサイ人たちがヘロデ党の者たちと一緒に、罠に掛けようと近づいて来たと15節に記されているのです。

 ヘロデ党とは「ヘロデのために身命をなげうち、ヘロデ家のために事をなず人々」と辞典に記されていることから、ローマ帝国から任命されているヘロデ王に従っている人々のことなので、ローマ帝国の税金の徴収は、総督であるヘロデ家に任され、ヘロデ家は取税人を任命していることから、パリサイ派の人々はローマ帝国の税金のことでイエスに質問し、その返答によっては、ローマ帝国の政策に逆らう者として罪に定めることが出来ると思ったのです。

 イエス様に対してパリサイ派の人々の挨拶は16節を解釈すると「先生(デダスカロス)、あなたは神様から与えられた御言葉の通りに弟子たちを教え、誰に対しても遠慮せず、人々の顔色をうかがうことされない方です」と、心の中では「なんとか、このイエスをぎゃふんと言わせようと」と思っているので、歯が浮いたようなことばなのです。

 ここで、パリサイ派の人々が貶めようとしている言葉をイエス様に投げかけるのです。

 17節で「あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」という言葉だったのです。

 新改訳聖書と新共同訳聖書では原文で「カイザルに税金を納めることは正しいことか」と記されている事から「律法にかっているか」という言葉にしているのです。

 ユダヤ共同体のユダヤ人たちは、心からローマ帝国に税金を納めたいと思っている人は居なかったと思いますが、それはパリサイ派の人々も内心では税金を納めたくはないと思っていたのではないかと思うのです。

 イエス様は、パリサイ派の人々の悪意を知って「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。」と言われたのです。

 「悪意」とは「害心、邪悪、悪徳」という意味があり「偽善者」とは「仮面芝居の俳優、役者、演技者、偽善者」という意味があり、この所ではイエス様が「パリサイ派の人々が神の前にしなければならない事を、違う形に置き換えようとしている」と辞典に記されています。

 御言葉を使って人を陥れようとする箇所は、悪魔がイエス様を貶めようとしている箇所で、マタイによる福音書4章でイエス様が悪魔に試みられるために御霊により荒野に導かれた時の事、悪魔はエルサレム神殿の一番高い場所に連れて行き、6節「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」と詩篇91篇11節12節の「これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。」を引用しているのです。

 それに対してイエス様は申命記6章16節「あなたがたがマッサでしたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。」と書いてあると言い返しているのです。

 偽善者とは、さも自分は神様の前では正しい者だと言いながら、その裏では神様がいむべきことをしている者のことなのです。

 イエス様は、パリサイ派の人々に19節でローマ帝国に納める税金として使われている貨幣を持って来なさいと命じたところ、デナリ一つをもって来たのです。

 イエス様は、その一日の労働賃金に相当する、1デナリ銀貨を持ってこさせ、デナリ銀貨の表面に掘られている肖像と刻みつけた文字を見て、これは誰の肖像と記号かと質問したのです。

 その質問に、当然パリサイ派の人々は、カイザルつまりローマ皇帝の肖像だと答えたので、イエス様は「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と答えられたのです。

 その答えに、言葉によって貶めようとした人たちは、22節を解釈すると「イエスの答えを聞いて、この人を御言葉によって貶めることが出来ないと思い、イエス様から離れていった」となるのです。

 イエス様は、パリサイ派の人々に対して「ローマ帝国の税金のことで、私を貶めようとしたが、あなたがたは全能の神を信じ、信仰者としての道を歩んでいると自負しているが、あなたがたは聖書に命じられている神のものを返さなければならない」と言われたことで、それが出来ていない自分を顧み、すごすごとイエス様から離れていったのです。

 私たち信仰者は、全てのものが神様によって与えられているが、神様は「神のものは神に返しなさい」と言っているのです。

 ルカによる福音書19章8節でザアカイはイエス様に対して「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」と自分の罪を悔い改めているのです。

私たちも神様からの恵みを受けるだけ受けて、神様のものをお返しすることを躊躇することのないようにしなければならないのです。  

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