5月5日  5月12日  5月19日  5月26日 

説教題:「イエスの祈り《

聖 書:ヨハネによる福音書17章20~26節


 今朝は、イエス様が天のお父様のご計画に従って十字架上で死ぬ前に弟子たちに別れの説教をされた後に長い祈りを天のお父様にされた箇所から御言葉を聞いて参ります。

 17章1節~3節において「父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい。あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。《とイエス様が全能の神様に祈っているのです。

 イエス様が「父よ《と呼びかけている言葉をギリシャ語辞典で調べてみると、三つの意味があることが分かります。

 先ず第一に、万物の創造主、すべての生命の起源・源泉として、特に人間生命の源をたどれば神の創造に発するところ。
 第二に、主イエス・キリストの父として、全能の神が一人子を与える犠牲的愛の主体。
 第三に、キリスト恵みに預かるとき、罪人が義とされて霊的な意味で神の子とされ、神を父と呼ぶことを許される意味。と記されているのです。

 キリスト者が「天のお父様《と呼びかけることは、主イエス・キリストを信じ神様の前に義とされた者に許されている言葉だということをしっかりと認識していなければならないことになります。

 そして、イエス様が人間として十字架上で死ぬことは「永遠の命を授けさせるため《と記されていますが「授ける《というギリシャ語は「機会を与えてやる《という意味もあることから、神様の前に信仰により義とされた者は、永遠の命を得る機会が与えられたということで、全ての信仰者が与えられるとは限らないということになるのです。

 詩篇1篇6節に「主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる《と記されており18篇21節で「わたしは主の道を守り、悪意をもって、わが神をはなれたことがなかった《と25篇4節で「主よ、あなたの大路をわたしに知らせ、あなたの道をわたしに教えてください《と詩篇には数多く、神様の大路についてと私たちが信仰の道を歩む小道について語られているのです。

 神様の言葉である聖書は一貫してローマ人への手紙10章9節10節で「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。《と、主イエス・キリストを信じることにより、永遠の命を得る権利を頂く事が出来ると言われており、一人一人に与えられた信仰の小道を踏み外す事がないようにと主が言われているのです。

 今朝のヨハネ福音書17章17節に「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。《とイエス様が天のお父様に、一人一人の信仰者が神様から与えられた小道を踏み外さず歩んでいる人を聖別してくださいと祈っているのです。

 イエス様の祈りの理由について21節で「どうか、すべてのものを一つにしてください。父よ、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしをお遣わしになったことを、世が信じるようになるためです。《とフランシスコ訳聖書で訳しているのです。

 22節23節でイエス様の祈りが続きますのでフランシスコ訳聖書により見てみますが「また、わたしはあなたからいただいた栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らのうちにおり、あなたがわたしのうちにおられるのは、彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしをお遣わしになったこと、そして、あなたがわたしを愛してくださったように、彼らをも愛してくださったことを、世が知るようになるためです。《

 神の栄光とは何でしょうか、それはヘブライ語のカヴォード(尊厳、完全さの輝き)からドクサと言う言葉に訳されていることで「良い評判、評価、ほまれ、賞賛《という意味から神のほむべき偉大さ、その聖・義・愛・贖罪・業など卓越した様を表現するという意味と考える事が出来るのです。

 ヨハネによる福音書5章19節でイエス様が「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。《と言われているように、イエス様も神様の一人子ではありますが、天のお父様からいただいた栄光をもって、一人一人の信仰者も栄光を持つ事が許されているのです。

 フランシスコ訳聖書17章24節で「父よ、あなたがわたしにお与えになった人々が わたしのいる所に、ともにいるようにしてください。世界の造られる前から、あなたがわたしを愛して、お与えくださった、わたしの栄光を彼らに見せるためです。《と記されているのです。

 私たちキリスト者は、神様の御子であるイエス様を信じた人々が、来たるべき御国においてイエス様と共にいることが出来るようにしてほしいと父なる神様に願っており、天地万物が創造される前からイエス様が父なる神様に愛されていたことを知るのです。

 25節でフランシスコ訳聖書「正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っています。そして、この人々も、あなたがわたしをお遣わしになったことを知っています。《と訳されているのです。

 この世には大勢の人間がいますが、神様によって創造されているという認識を持っている人の存在は殆どないのです。

 だから、神様の御子であるイエス様が神様によってこの世に使わされ、神の国の福音を宣べ伝えることを命じられているのです。

 だから、26節をフランシスコ訳聖書では「わたしは、彼らにあなたの吊を知らせました。また、これからも知らせます。わたしを愛してくださったあなたの愛が、彼らにあり、また、わたしも彼らのうちにいるようになるためです《と言われているのです。

 イエス様が神様に祈っている祈りは、弟子たちばかりではなく、この世に生まれ、この世で生活している全ての人が救われるようにという祈りであり、このイエス様の祈りが私たち一人一人の祈りと結びつくようにしなければならないのです。

 そして、イエス様は特に、17章21節で「みんなの者が一つとなるため《22節で「わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるため《23節で「駆られが完全に一つとなるため《と、全能の神様、御子イエス様、聖霊様が一致しているように、信仰者一人一人も信仰により一致し、神様とも一致することがイエス様の願いでもあることをしっかりと受け止めてゆかなければならないのです。    

最初に戻る2月の説教集 3月の説教集 4月の説教集