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説教題:「イスラエルは主の所領」

聖 書:詩篇114篇1〜8節

先週は、イスラエルの民が主なる神様に選ばれた選民であり、イスラエルの民が主なる神様の栄光を現すために生かされていると御言葉を聞きました。

 そして、今朝は主なる神様が選民に与えられた土地がイスラエルだと記されているのです。

 114篇1節で「イスラエルがエジプトをいで、ヤコブの家が異言の民を離れたとき、」と記されているのです。

 原文をみると「イスラエルがエジプトから出た時、ヤコブの家が異なる言葉を語る民から」と記されているので、口語訳聖書で「異言の民」と訳されていると誤解を招くことになります。

 エジプトは、紀元前3200年頃から初期エジプト語といわれるものが存在しており、イスラエル民族がエジプトを脱出するときは、紀元前1300年とされているので、その時は新エジプト語が使われていたと言われているので、エジプトという国は文化的にも大変優れていたことが分かります。

 余談ですが、現在カイロ博物館は4年前に大規模の改修が行なわれ、エジプト文明国立博物館になっており、20万点の収蔵品数があり、中でもツタンカーメンの黄金のマスクは有名です。

 私は、34年前に関谷定夫先生とツアーを組み、カイロ博物館に行き、もちろんツタンカーメンの黄金のマスクを見てきましたが、驚いたことは、紀元前1300以上も前の、外科用手術メスが沢山陳列されており、そのメスは現在のメスの形と同じだったからです。

 また、カイロプラクティック(脊椎矯正)カイロ(手)プラクテック(業)も、古代エジプトでは施術されていたことが文献に残されていることから、1895年アメリカの医師であるダニエル・デービット・パーマーという人がその文献の通りに、突然耳が聞こえなくなった召使いに首の骨を矯正したところ、耳が聞こえるようになったことから本格的に勉強しこの施術法を発展させ、現在ではカイロプラクティックの大学があり、国家試験を合格した者が、カイロプラクターとして活躍しているのです。

 イスラエル民族は、エジプトの捕囚となってから400年の間にエジプトの文化を学んだことは事実なのですが、古代エジプトの宗教は多神教であり、ラー、イシス、オリシス、ホルスなの多くの神々を信仰していましたが、イスラエル民族はヤハウエの神を信じることを曲げなかったのです。

 主なる神様は、400年間エジプトの文化を取り入れさせ、モーセの指導のもとエジプトを脱出し、途中シナイ山においてモーセにイスラエル民族の柱となるトーラーを与えられたことで、現在に至るまでトーラーはイスラエル民族の生きるための糧となっているのです。

 114篇2節を原文でみてみると「ユダは彼の聖なるものになる。イスラエルは彼の納める所領になった」と記されていることから、カナンに入ったイスラエル民族は北イスラエル王国と南ユダ王国になったと言っているのです。

 3節を原文で見ると「海が逃げ去るのを見た。ヨルダン川は後ろに向きを変えた」と記されているのです。

 モーセの後継者としてヨシュアがイスラエル民族の指導者としてカナンの地に入っていきましたが、最初に抵抗を受けたのはエサウの血流れをくむカナンに住んでいた遊牧民のアマレク人だったのです。

 また、「海が逃げ去る」とあるのは、古代の地中海東岸地域に住んでいた海の民と言われていたペリシテ人と考えると、ヨシュアがペリシテ人と戦った記述はありませんが、サムエル記や士師記にはペリシテ人との戦いが詳細記されているのです。

 また「ヨルダン川が後ろに向きを変えた」という表現ですが、ヨルダンという国は紀元前1世紀ころには交易の中心となるペトラを首都とするナバテア王国が栄えていたことが分かっていますが、ヨルダン川は万年雪であるヘルモン山から流れ出て、イスラエルヨルダン、レバノン、シリアを通り、海抜か400bの死海に流れ込み、この地域の主要な水資源として今でも流れている川ですが、ヨルダンが後ろに向きを変えることは決してないので、4節に「山々は雄羊のように躍った。丘は羊の群は息子たちのように」と記されているように、水資源はイスラエルに富をもたらしたことを言っているのではないかと思うのです。

 5節には「なぜ、海よお前が逃げ去るのか。ヨルダン川よ、お前が後ろに向きを変えるのか」と記されているのです。

 6節をみると「山々よ、雄羊のようにお前たちは躍る。丘よ、羊の群が息子たちのように」と記されているのです。

  この5節6節は大変抽象的な表現であり、解釈が難しいことではありますが、その答えが7節にあるような気がするのです。

 7節で「主の面前に地よおののけ。ヤコブの神の面前に」と記されており、8節に「岩を水海に変える者、硬い岩を泉の水に」と記されているのです。

 水とはマイムというヘブル語であり、ヨハネによる福音書4章にはイエス様とサマリアの女の話があります。

 イエス様がユダヤからガリラヤに行く途中サマリヤを通って行かれましたが、ヨハネによる福音書4章5節で「イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあった」と記されているのです。

 サマリヤの女は井戸に水を汲みに来ていたのですが、イエス様のは女性に7節「水を飲ませて下さい」と願ったのです。

 イエス様は13節14節で女性に「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。

しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」と言ったのです。

 余談ですが、ユダヤ人が作ったマイムマイムというイスラエル民謡があり、日本でもフォークダンスで踊ることがあります。

 この歌は、イザヤ書12章3節に「あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ。」と記されており、ヘブル語では「ウシャバテム・マイム・ベサソン・ミマアイネー・ハイシュアー」訳すと「そしてあなたがたは、歓喜の中で水を汲み上げる。救いの泉から」となるのです。

 つまり、イエシュアーという言葉は、主イエス様のことであり、主イエス・キリストを信じると喜びをもって朽ちることがない水、つまり命に必要なものを与えられるということがうたわれているのです。

 イザヤ書12章5節では「まことに、偉大な業をなした主を誉めうたえ、主は全地に知られている」と記されているのです。

 主なる神様に選ばれたイスラエル民族は、主のご栄光を世界中の人々に知らせると共に、地に住む人びとも、全ての主なる神様の所領のもとに存在しているので、いがみ合うことなく、争うことなく、共に主なる神様によって誉を得ることができるようになって欲しいとこの詩篇114篇は語っておられるのではないかと思うのです。

 私たちも、主の御手の中に存在している、主の所領であることをしっかりと肝に銘じて日々生活をして行くことが大切なことなのです。      

 

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