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説教題:「しんがりは神」

聖 書:イザヤ書52章11〜15節

 今朝の説教題は12節の「イスラエルの神はあなたがたの、しんがりとなられるからだ。」との御言葉から「しんがりは神」と題を付けました。

 この52章の背景にあるのは、南ユダ王国がバビロニア帝国に滅ぼされ、捕囚となったイスラエル民族に対して、必ずエルサレムつまりシオンに戻ることが出来るとの預言を通して、イスラエルの民に対して神様が叱咤激励していることなのです。

 神様からの叱咤激励は、イエスを信じる信仰者に対しても叱咤激励してくださっていることを思いながら、御言葉を聞いてゆきたいと思います。

 12節は「主は、あなたたちの前を行く、あなた達を後衛する者は、イスラエルの神」と記され「あなたは急いで逃げるように行かなくてもいい」とヘブル語聖書に記されているのです。

 それで、12節を分かりやすく解釈すると「神様があなたの前後を守っているので、今置かれた状況から逃げだしたり、その状況から飛び出ようと慌てなくていい」と神様が言っておられるのです。

 私たちは人生の途中において、今置かれている状況がいいのか悪いのかと悩むことがありますが、その場所も神様が遣わしてくださっているので、じっくりと祈ることが必要であることを教えておられるのであり、その背景には神様が私たちの前後を守っていて下さるという有り難い御言葉なのです。

 52章1節において「さめよ、さめよ」と繰り返されていますが、ヘブル語の「さめよ」とは「奮い立て」という意味なので「奮い立て、奮い立て」と読むことができることで、信仰者は置かれている状況の中で、自分の信仰を奮いたたせよと、主が叱咤激励されていることが分かります。

 神様は「主イエス・キリストを信じた者よ、主の教えを守り信仰の道を歩むことで、罪の世に生きていることに甘んじている者たちは近づいてくることができない」と2節を解釈することが出来るのです。

 イエスを信じている信仰者と、信じていない者ととは根本的に異なるものであり、それぞれの考えや意見は平行線上にあり、決して交わることが出来ないものなのです。

 だいぶ昔の事ですが、私の所へ未信者の母親が来られ、イエスを信じている息子の事で悩みを相談しに来られた事がありますが、私はその母親に「同じ土俵の上に上がらなければ、息子を理解することが出来ないです」と言ったことがあります。

 天地万物を創造された神様は、2節において「主イエス・キリストを信じ、神の前に義された者は、この世のしがらみを振りほどき、この世において身体に付いた塵を綺麗に払い落とせ」と言われているのです。

 私たちは、イエス様を信じた時、子供の時、青年の時、大人になった時、老人の時、それぞれに違っており、年齢に関係ないのです。

 マタイによる福音書18章3節から5節でイエス様が「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」と言われています。

 イエス様は、幼な子のような心で、イエス様を受けいれることであり、年齢は関係ないと言っておられるのです。

 コリント人への第一の手紙13章11節に「わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。」と記されているように、大人になった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった、つまりイエス様を信じた時には、何も疑わずイエス様が神の子と信じたが、信仰歴が長くなるにつれて、幼な子の信仰を捨ててしまったということなのです。

日本の教会においても、イエスを信じ教会員となったけれども、教会に来なくなった人は、会員数と同じほどの人数なのが現状なのです。

 52章3節を直訳してみると「あなたたちは、無料で売られた。また、金を払わず買い戻される」となっています。

 この「無料で売られた」という言葉は、神様は北イスラエル王国や南ユダ王国は、アッシリア帝国、バビロニア帝国に蹂躙されることを、神様が許されたことであり、イスラエルの民を買い戻す、つまり贖うのも神様がなされたことにより、アッシリア帝国もバビロニア帝国も地上から消滅していることからあきらかなのです。

 人間がお母さんのお腹から出、神様によって命の息を吹き込まれた時から、この世で生きるものとなったのですが、神様は人間の心に自由に悪魔が入り込むことを許されており、それを選択するのはその人本人なので、無料で売られたという言葉が使われているのではないかと思うのです。

 そして、イエスを信じることも、そのお金を払うことはなく、神様に義とされると言っているのではないかと思うのです。

 預言者イザヤは、イスラエルの民がエジプトで奴隷になっていたことから数千年経過したとき活動していましたが、52章4節で「わが民はさきにエジプトへ下って行って、かしこに寄留した。アッシリア人はゆえなくイスラエルの民を虐げた」と記されています。

ユダヤ人にとって、紀元前1300年頃、神様がイスラエルの民をエジプトの奴隷から脱出させてくださったことを決して忘れることがないようにと、現在でもペサハつまりエジプトから脱出するときに、災いから過ぎ越すために神様が命じたことが出エジプト記12章5節「一歳の雄の小羊」7「家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。」とあり、13節「わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。」ということから、過越の祭を執り行っているのです。

私たちは、この世の世事に惑わされることにより、救われた時に感激が徐々に薄れてくるものですが、主に救われ涙を流したことを決して忘れることがないように、常に幼な子の心を保ち続けることが大切なことなのです。

9節には「廃墟となったエルサレム、あなたたちは共に喜びの声を上げ、喜び歌え。なぜなら、主はイスラエルの民を慰め、エルサレムを贖った。」と記されていますが、エルサレムが贖われ回復したのは、1948年今から75年前に預言が成就しているのです。

10節「主は聖なる腕をまくった。すべての諸民族の目の前で。私たちの神の救いを見せた」となります。

 イスラエルの独立は、全世界を驚かせたことであり、2千3百年以上国をなくし全世界に離散していたイスラエルの人々が、神様が約束してくださったカナンの地において再びイスラエルという国を復興させるなどとは、世界の誰も可能なことだと思っていなかったし、キリスト者たちもイスラエルは聖書の世界だけのことだと思っていたのです。

私は、独立に至までの本を何冊が持っていますが、それを読むと、神様がイスラエル民族の52章12節にあるように「あなたは急いで出なくてもいい。逃げるようにしなくてもいい、なぜなら主があなたたちの前を行く。イスラエルの神はあなたたちを後衛するもの」とあるように、主なる神様がイスラエル独立の為、先となり後となりさまざまな困難を乗り越えて、独立宣言にこぎ着けられたことが分かりました。

13節をみると「見よ、私の僕は栄える。非常にたかくされ、崇められ高くなる」と記されていますが、現在のイスラエルという国の経済力、IT産業がめざましく成長していることがそれを物語っているのです。

15節に「多くの諸国民を驚かす」と記されているように、独立宣言してから75年の今日イスラエルの成長ぶりは目を見張るものがありますが、それも全能の神様がイスラエルの民の前を、そして後ろを守ってくださっているからなのです。

イエス様を信じる私たちも、前後を神様が守ってくださっていることを心から感謝いたしましょう。    

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