4月7日  4月14日  4月21日  4月28日 

説教題:「重要であることを判別する」

聖 書:ピリピ人への手紙1章1〜11節


 使徒行伝16章6節に「それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。」と記されています。

 パウロ先生は、主イエス・キリストを信じ、アジアで神の国の福音を宣べ伝えていましたが、聖霊様がアジアで御言葉を語る事を禁じたことで、パウロ先生はアジアでの伝道を止め、  使徒行伝16章11節から13節で「そこで、わたしたちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。そこからピリピへ行った。これはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。わたしたちは、この町に数日間滞在した。ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした。」との記述があります。

 パウロ先生は、聖霊様の導きによりトロアスの港船に乗り、130`離れたサモトラケ島に寄港し、更に260`を二日間でネアポリスという港に着き、その港から15`離れたピリピに到着したのです。
 パウロ先生にとって大変な思いをしながらやっとヨーロッパの玄関口にあたるピリピの町に降り立つことができたので、神の国の福音がアジアからヨーロッパに伝わるという大きな出来事でもあったのです。

 パウロ先生は、イエス様を信じたユダヤ人だったので、ユダヤ教徒の時と変らず安息日(シャバット)を大切にしていたので、旅を続けている最中でも安息日になれば、シナゴーグ尋ね神様に礼拝を捧げていましたが、ピリピの町にはユダヤ人が少なかったのでシナゴーグ(成人男子10人集まらなければ作ることが出来ない)がなかったのでしょう。

シナゴーグが無い所では、数人のユダヤ人たちが安息日に祈りの場所を決めて祈りを捧げていたので、パウロ先生は川のほとりに行ったらそこに数人のユダヤ人たちがいたのです。

 川のほとりに、数人のユダヤ人達の中に使徒行伝16章14節15節に「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた。そして、この婦人もその家族も、共にバプテスマを受けたが、その時、彼女は『もし、わたしを主を信じる者とお思いでしたら、どうぞ、わたしの家にきて泊まって下さい』と懇望し、しいてわたしたちをつれて行った。」と記されているのです。

ルデヤという女性は、異邦人でしたがユダヤ教に改宗した人で、祈り場に来て祈りに加わっていた人でしたが、パウロ先生の語る神の御子であるイエス・キリストを信じたことで、もっとパウロ先生から話しを聞きたかったので、是非自分の家に泊まって欲しいと懇願したのでした。

ルデヤは紫布の商売人でしたが、紫色に布を染めるということは、紫の色素をもった巻貝から採取するために、一枚の布を仕上げるには多くの貝が必要で、多くの人手が必要なことから高価な布地で、ローマ皇帝だけが許されていたとされている高価なもので、ルデヤは裕福な人だったことが分かります。

余談ですが、現在でもお寺の僧侶の最高位の法衣は紫色であり、大僧正などと言われる僧侶が身につけることが許されています。 ルデヤはヨーロッパにおける最初のキリスト者になり、積極的に伝道活動をしたことからピリピ教会の基礎を作ったと思われるのです。

パウロ先生がピリピ教会の送った手紙の冒頭に「キリスト・イエスに結ばれた聖なる人々、特に、監督者、奉仕者のみなさんへ。」と挨拶しており2節で「父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にありますように。」と神様からの祝福を祈り、3節で「あなた方のことを思い起こすたびに神に感謝し」4節で「いつも喜びをもって、あなた方のために祈っています」と記されているのです。

パウロ先生とピリピ教会が深い信仰の交わりがあったことが分かるのです。

このことは、私たちキリスト者にとっても大切なことですが、それは年齢の違いはあっても信仰の友の存在があるかないかなのであり、信仰の友はお互いを通して切磋琢磨することが出来るからであり、信仰の友を作るように心掛けることが大切なことなのです。

深い交わりとは5節に「最初の日から今日に至るまで、あなた方が福音のために協力してくれたことを感謝しているのです。」と記されている事です。

 パウロ先生が、ピリピのかわらでルデヤに出会い、ルデヤがキリスト者になりピリピ教会の基礎を作り、7節で「わたしは囚われの身にある時」と、パウロ先生が捕縛され牢獄に収監されている時も援助の手を差し伸べてくれていたと思えるのです。

 主の僕としての務めは周りの人に対して「気配り、目配り、心配り」が必要であると言っていることは、イエス様が「自分を愛するように隣人を愛せよ」と命じておられることを具体的に現していることだと思うのです。

 パウロ先生がローマ帝国により獄屋に収監されたことは、ピリピ教会の信徒達にとっては衝撃的な出来事でありましたが、14節「主と結ばれたこちらの兄弟のほとんどは、このように、わたしが囚われの身にあるのを見て信頼し、恐れることなく、ますます大胆に、み言葉を語るようになったのです。」と記されているのです。

 けれども、ピリピ教会とて信仰基盤が一枚岩ではなかったことにパウロ先生は心配していたのです。

15節で「ある人々は、わたしに対する妬みや争う気持ちから、キリストを宣べ伝えています。また、ある人々は、わたしを喜ばせたいという気持ちから宣べ伝えています。」17節で「純粋な気持ちからではなく、対抗意識から、キリストを告げ知らせ、囚われの身にあるわたしに、さらに苦難を及ぼそうとしているのです。」と記されているのです。

 パウロ先生は、妬みや争う気持ちで神の国の福音を語ったり、パウロ先生を喜ばせるために神の国の福音を語ることは本末転倒であり、福音を宣べ伝えるには人の思いを超えたところにあると言っておられるのです。

 初代キリスト教会から現在のキリスト教会に至るまで、教会員として一人一人が異なる考えがあり、聖書の解釈も一人一人が異なりその点では決して一枚岩ではないのです。

教会の中で、自分の思い、自分の考え方を通そうとし、牧師を批判したり、教会員を批判したりすることは、教会の中の混乱を招くだけであり、教会の成長を阻害するので、悪魔の策略にのってはいけないのです。

主の望んでおられるのは、教会が成長することであり、そのためには「信仰による一致」つまり、主イエス・キリストを信じているという一点に尽きるのです。

 21節においてパウロ先生は「わたしにとって生きるということはキリストであり、死ぬことは、まさに益をもたらすものです。」と、自分が生きているのも死ぬことも主のためであり、決して人のためではないと言われているのです。

 パウロ先生は、人に何と言われようと、自分は淡々と神の国の福音を語り続ける福音の戦士として、生きる事も死ぬことも主の御手のなかにあると言っていますが、このパウロ先生の生き方を私たちも学ばなければならないのです。

 今朝の説教題は「重要であることを判別する」と付けましたが、自分が与えられた一生涯の中で何が重要で何が重要ではないかをつねに判別してゆかなければならないと御言葉が語っておられるのです。

 パウロ先生は信仰者として重要なことは27節で「ただひたすら、キリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。」と言われ29節で「ただ、キリストを信じるということだけではなく、キリストのために苦しむということが恵みとして与えられたからです。」と言われているのです。

 礼拝後に2024年度の総会が開かれます。

 福生バプテスト・キリスト教会は、一人一人の現在会員に発言権と議決権が与えられており、教会の運営を一人一人が担っているのです。

 総会は福生バプテスト・キリスト教会の重要な出来事であることを今朝の御言葉を通して語られていることを思います。      

   

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