自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・「冷水峠の筑豊本線と旧 長崎街道を訪ねて T」
252.
プロローグ・筑豊本線
/折尾-筑前垣生−筑前植木
〈0007:特別展示:「レイル」 99号(2016-07発刊号掲載〉
この写真は下記の〈0004〉ど同1です。
〈0001:bP80521:早朝の折尾駅筑豊本線上りホームにて〉
〈撮影メモ:昭和43年11月14日撮影〉:筑豊本線(折尾f、若松f、若松機
筑豊本線のホームにむかうと丁度上りの若松行の272レが入って来た所であった。ガード下のホームは未だ暗くて、人陰はみえなかった。C55のヘッドライトがまぶしい。
〈0002:bQ30411:遠賀川鉄橋にて〉
〈撮影メモ:昭和46年1月撮影〉
遠賀川鉄橋は中間−筑前垣生まの間にあって、かっては3線区間であったから、現在の上下線の間は幅広く空いていた。背後には国道が通っていた。当時は建設初代の鉄橋は既に国産の鉄橋に架け替えられていた。
〈0003:bQ30413:若松行貨物列車・筑前植木-筑前垣生 間〉
〈撮影メモ:昭和46年1月撮影〉
このころは筑豊の炭鉱は全て閉山してしまっているので、積んでいるのは石灰石で、おそらく北九州の製鉄所へ運んで行くのであろう。
〈0004:bQ40643:蒸機列車同志の“すれちがい”の情景〉
〈撮影メモ:昭和46年11月5〜6日〉
筑前垣生駅から南へ(直方方面)へ数百mほど線路脇を歩いて行った所で背中を向けた高低二本の信号柱が上下線の間に建っている所を見つけた。ここで数本の列車をやり過ごしていたところ、「すれちがい」の可能性が感じられたのには緊張した。ともかく一発勝負で撮ったのがこの一枚いである。なんと幸運だったことか。
〈0005bQ40721:上山田発若松行旅客列車〉
〈撮影めも:昭和46年11月5〜6日撮影〉
九州鉄道が飯塚盆地の奥の山田地区まで延伸かいぎょうして、間もなく国有化されて線路名称の制定の際には上山田〜輪は松が筑豊本線となったのであった。この上山田発の若松行の旅客列車は上山田〜飯塚 あいだが紙山田線となってからも朝の通勤時間帯に運行されていた。確か牽引キハ8620型蒸気機関車であったとおもうのだが。
〈0006:bQ40711:蓮(はす)の育つ沼を前景に〈F
〈撮影メモ:昭和46年11月5〜6日撮影〉
沼の水面には枯れた蓮の茎が折れて顔をのぞかせている。
この地方の特産品に(カラシれんこん」がとりわけゆうめいである。それらの原料を育てている蓮沼であろうか。花の咲く頃に訪れてみたいものだ。
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〈紀行文〉
SL撮りの3年目に当たる昭和43年11月に苦情処理の仕事で下関に出掛けたことがあった。その週末の一日を利用して北九州の筑豊本線を訪ねた。それは出たばかりの「鉄道ヒクロリアル」に紹介されていた筑豊本線の筑前垣生(ちくぜんはぶ)駅南方での、かっての3線区間の広い直線区間を8620牽引の上山田発若松行の旅客列車が白煙を上げて快走して来る姿に魅せられたからであった。夜明けを待って下関から
山陽本線の下り普通列車に乗り込んだ。やがて北九州の重工業地帯を抜けると間もなく目指す折尾(おりお)駅に到着した。ここは東西に走る鹿児島本線の高架駅のコームであって、ここの階下の地上には筑豊本線が南北に立体交差していた。このえひは何と、1916年(大正5年)に日本最初の立体構造の駅として建てられたのであった。そして二階から古めかしい煉瓦積の壁に囲まれた狭い階段を降りて地上の筑豊本線のコームに出て、やって来た飯塚方面行きの下り列車に乗り込んだ。ここを出た筑豊本線は九州で初めて複線となった線区であって、次の仲間駅を過ぎるとトラス桁12連(長さ 約400m)の長い遠賀川鉄橋を渡った。その時上り線の鉄橋との間に煉瓦積の橋脚が並んで残っているのが車掌から眺められた。これは石炭輸送華やかなりし頃の中間〜筑前植木間(6.3q)の三線時代の“在りし日の繁栄”を思い出させる3本目の鉄橋の遺構であった。やがて左岸の筑前垣生駅で下車して踏切を渡って東側の線路沿いの山裾を南へと撮影ポイントを探した。この辺りは1954年(昭和29年に)3線が複線に戻されて、使われなくなった真ん中の線路は撤去されたので、上下線同志の感覚が広く離れた形となっていたから大変撮りやすかった。早朝の時間帯は実に多彩な列車が「行き交って(ゆきかって)いてくれたので大いに充実した“ひととき”を過すことができた。そこには、8620本来の姿である小編成の旅客列車を牽いて疾走していたり、複線でなければ味わえない蒸機牽引の列車同志の“すれちがい”などの情景との出会いは大収穫であった。
次いで、筑豊本線の起点である若松駅に向かった。折尾駅のホームでは、すかさずを開けて、今では珍しくなった立ち売りの弁当売りから有名な「かしわめし」(鶏の炊き込みご飯)を購入した。折尾駅を出ると初めは住宅街、徐々に工場が多くなって来て、やがて工場の跡地らしき先に洞海湾が、その対眼には戸畑の町も見えて来た。幾つかの駅を過ぎて、住宅やマンションが現れると終点の若松駅となった。私の訪ねた頃は既に石炭の積み出しに活況を呈していた面影は感じられなかった。隣接している若松機関区ではC55との初見参に酔いしれて時の過ぎるのを忘れた。そして若松発、終点の原田(はるだ)行の列車に乗り込んで、沿線風景を楽しんだのだった。
その後、何度も九州を訪ねているが、その際には必ず「地理の判っている筑豊沿線の「どこか」に立ち寄って名場面を狙ったものだった。
今回は4サイトに分けて筑豊本線の冷水峠を中心に、その沿線の景をご覧に入れたい。
「「冷水峠の筑豊本線と旧 長崎街道を訪ねて」シリースのリンク:
353. 筑豊と筑豊興業鉄道・筑豊本線/若松〜直方〜飯塚
354 長崎街道と長原線の冷水峠越え ・筑豊本線/飯塚〜原田
355 冷水峠越え探訪記・筑豊本線/筑前内野-筑前山家