自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・「渡良瀬渓谷の足尾線」
138.
渡良瀬川渓谷を登るC12重連
・足尾線
/神土−草木
〈0002:2-7-1-2:神土駅の791レ昭和41年10月30日〉
〈0001:15-8-9:渡良瀬川渓谷を行く791レ、昭和43年〉
〈0003:2-7-2-4:発めて挑戦した俯瞰撮影(昭和41年10月)〉
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〈紀行文〉
SLを撮り始めて一年が過ぎた昭和41年の秋となった頃、北関東の一角でC12重連が谷間の急勾配で大活躍している足尾線に食指が動いた。早速、列車ダイヤを調べてみると、重連貨物列車の791レは早暁に起点の桐生駅を発車して、8時01分に足尾駅にに到着するこ云う早朝の仕業であった。常に重連仕業が行われている神土(ごうど)から先ならば明るくなって撮影はできるであろうと見込みを付けて、真夜中の2時に埼玉県の南端からクルマで出掛けた。熊谷で国道4号線から分かれて、桐生から先はは「銅(あかがね)街道」との別称を持つ国道122号日光東京線に入って、途中で谷間の入り口にある大間々(おおまま)駅にに立ち寄ったそして列車の様子を確かめることはできたが、朝早く薄暗くて撮影はあきらめた。そして、狭くなった谷間の道に沿っている幾つかの集落を過ぎて約20qほど走った所で、神戸の集落に入った。この地は渡良瀬川にに流れ込む神戸沢の流れが運んできた土砂が、その合流点付近に堆積してできた扇状地の上に開けていた。国道から右折して川岸へと坂を下ると、神土)駅前の意外に広々とした広場に到着した。この駅名の文字は集落の名前の“戸”が“土”となっていたのにはいささか戸惑った。これは東海道本線の神戸(こうべ)との混同を避けるための工夫であったことが後から判った。
この駅の構内は広く、二面三線のホームがあって列車の交換や、ここで折り変えす列車の扱いが可能になっていた。また、機関車の付け替えのための機回り側線も設けられていて、下り貨物列車の重連仕業の拠点駅であった。それに、下りのSLは給水のため停車時間が長かったようだ。
ここから次の草木駅までの間の渡良瀬川渓谷の車窓風景は素晴らしい。
この神土を出ると間もなく渡良瀬川の右岸(線路の真下)は深い淵となっていて瀞(とろ)のような流れとなった渡良瀬川に張り出した岩盤を長さ50mほどの琴平トンネルが貫いている。この足尾側の出口から先は、こんなに高い、しかも垂直にかなり近い丸石練積の壁を築きあげていた。これはコンクリートで固められたものなのだが、現在のように均一で質の高いコンクリートが十分に得られない明治末ではコンクリートの質量を節約する意味もあって、このような丸石練積の壁が多く作られていたのであろう。今なら途中に段を設けるところだが、のような高過ぎる擁壁(ようへき)は貴重な土木遺産の風景と云えるだろうか。
この辺りからV字谷の谷底をクネクネと走る路線は 22.2‰(パーミル)の急勾配で登って行くのだが、場所によっては犬走りのスペースもなく、バラストが谷底にこぼれ落ちるようなけわしさであった。そして渡良瀬川の本流を二連の 150フイートのトラス桁で構成した第一渡良瀬川橋梁を渡って左岸を進むことになる。河の中にある花崗岩(かこうがん)の岩に大小の穴が見られるようになった。これは御影石の石材を採取が行われていた跡だと云うのだった。やがて草木駅を過ぎた。短い沢入トンネルを過ぎ、右から流れ来る黒坂石川を長さ18mのI型桁鉄橋で渡って群馬県最後の沢入駅に着いた。
さて、ここで写真に付けられた撮影メモを紹介しよう。
初日は791レの発車風景を撮った後、次の793レは当たり外れのないサイドからの構図であった。
そして翌日は、渡良瀬川の対岸の山肌によじ登って俯瞰(ふかん)撮影を試みた。10月30日の季節では、日の出の時刻は遅くて、深い谷間には陽光が未だ当たらなかった。それに、もう少し山肌を登って高い位置を確保すべきであったとの消化不良のママで、再挑戦をせねばと考えながら撤退した。
そして時は流れた。神土−沢入(そうり)の間の渡良瀬川の峡谷に関東各年への水道用水をまかなうための草木ダムの建設工事が始まった。その高さ150mに達するダムの堰堤(えんてい)上武に接近するための工事用の取り付け道路が神土から渡良瀬川を川を渡った左岸の山の中腹に延びていった。今までv字谷の底をはい登る重連の下り貨物列車を俯瞰撮影しようとして、険しい山肌での場所探しに悪戦苦闘していたのが夢のように実現したのだった。しかし、昼間はダイナマイト発破(はっぱ)作業のために立ち入りは不可能であったし、道路への立ち入りが出来るのは作業の開始前の時間帯だけであった。どうしても撮影の対象は791レ を狙うことになった。最初の挑戦は朝7時過ぎ、天気は晴、なのに、谷間まで陽光は届かないのだった。そこで夏の季節が待ち遠しかったのを思い出す。
ある初夏の早朝に、誰も現れていない開削中の道路の先端から撮影を試みた。深い谷間への朝の陽光は未だ当たってはいなかったが、神土からの急坂を登って来るC12重連の吐白い煙がゆっくりと眼下を通り過ぎてゆき、重なり合うドラフトが遠く谷間に消えて行った。
このフイルムを探索中なのでここでお目に掛けられないのが残念である。
昭和42年から建設の始まったダム工事に合わせて、ダムの完成により水没してしまう今までの線路を昭和40年代後半に新しく掘られた長大な「草木トンネル」を含めた新線が設けられた。昭和52年3月にダムの完成となり、地名と同じ文字の神土駅と改められた元、神戸駅を出た列車は全長が5242mの草木トンネルに入り、それを抜けるとすぐに草木湖を新しい第1渡良瀬川橋梁を渡って左岸に移り沢入駅に到着するようになったが、この間にダムのタカサヲ一気に登り詰めているから急勾配は相変わらずで 22.2‰であるようだ。C12は昭和46年10月にDL化されたため、このトンネルを通ることは無かったのである。
撮影:昭和41〜43年。
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・「渡良瀬渓谷の足尾線」シリーズのリンク
231. 桐生機関区のC12たち・足尾線/両毛線桐生駅
282. 渡良瀬渓谷の里山風景・足尾線/沢入〜足尾
283. “あかがね”の故郷への道・足尾線/足尾−間藤−足尾本山