自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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    ・鉄鉱石鉄道 Lake Superior & Ishpeming RR.のSLたち
   112. LS&I 35 装備された テンダー ブースター (ミシガン州)

テンダーブースタ
〈sc-1クラス ♯35のキャブとブースターを装備したテンダ。給水加熱器やブー
スターへの配管、ストーカーのエンジンなどが見える。〉

♯35錆びたままの保管

〈留置されて破損した客車のまどからの風景〉

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〈紀行文〉
  「アメリカ大陸の五大湖の中の最大で最北にあるスペリオル湖周辺で良質な鉄鉱石が発見され、五大湖の水運によって石炭の豊富なオハイオ州やペンシルバニア州と結ばれて、世界でも有数な製鉄業が発達した。」と云うのが中学校の地理で教えられる通り文句であった。
この製鉄に利用される鉄鉱石にも種々あるが、私が訪ねているミシガン州のアッパー・ペニンスラにある我らがマーケットで発見、開発、研究された“スペリオル型”縞状鉄鋼層は各大陸の先カンブリア時代の地層中に大規模に発達しており、現代の鉄鉱源として品質、埋蔵量の面からも重要で、供給量の90%以上を占めるようになっている。その成員は、ほぼ21億年前の時期に、海の中で太古のシアノバクテリアなどのの光合成によって出来た酸素が無酸素状態の海水に大量に溶解していた鉄イオンを酸化して海底に沈殿、堆積させた酸化鉄層なのである。これが北アメリカ大陸では厚さが数百m、長さが数百km以上に達する大規模な鉱床が明らかになっており、その南端の一部に当たるのが、スペリオル湖南側のミシガン州ペニンスラのマーケット鉄鉱区域、次いでミネソタ州北東部のメサビ鉱山などの鉄鉱区域であり、坑道掘り、露天掘りなどがいち早く始められていた。この縞状鉄鋼層は鉄分を35%以上含む鉄鉱石と珪酸塩や炭酸塩鉱物が、それぞれ厚さ0.5〜3cm程度で相互に堆積しているのが特徴の鉱床であった。
所で、この「スペリオル」の名はフランス探検隊が、この湖の水面の標高 183mが五大湖の中で最も高いことから“Superior”(最上級)と名ずけたのであるとか。
さて、の18世紀の鉄鉱石の最大の供給源はミシガン州のペニンスラであって、1891年頃になると、数多くあった鉱山は大部分がCLEAVLAND-CLIFF鉄砿会社に支配されるようになり、鉱石の運搬も自社で行なうことになり レーク スペリオル・アンド・いしゅぺみんぐ鉄道(Lake Superior & Ishpeming Railway:LS&I)が子会社として設立され、1896年にはマーケット市街の北にあるPresque IsleとIshpemingとの間の20マイルが開通して、エリー湖方面に向かう鉄鉱石の運送を一手に担った。
いっぽう、ミシガン湖方面への鉄鉱石はシカゴに通じている シカゴ・アンド・ノースウエスタン(C&NW)鉄道がミシガン湖岸のエスカバーナ鉱石桟橋への運送を担っていた。
このLS&Iでのルート上での技術的課題は、重い鉄鉱石列車を牽引しての低い丘陵越えと途中にある長さ565 フィートの Dead 河橋梁での最大1.63%の急勾配と、桟橋への1.5%の勾配などを克服することであった。また旅客サービスも行われていた。
そして、1897年には Presque Isle 港に丸太材造りの鉱石桟橋が完成し、それは高さ54フィート、長さ1200フィートで160トンの鉱石を貯留できる鉱石ポケットが200個持つ大規模な設備であった。
1910年になると8輛♯18〜25)のクラス SC−4の2−8−0 コンソリデーション蒸気機関車をAlco-Pittsburgh工場(アメリカン・ロコモーティブ会社)・で建造し輸送力を向上させた。そして1912年になるとは二代目のコンクリート製の巨大な鉱石桟橋が開通した。今度は高さ75フィート、全長1250フィート、巾60フィートで、250トンの鉱石を貯留できるポケットを200個を装備した近代的設備であったが1939年には更に長さを2816フィートまで増強した。
1916年には強力なクラス SC-1の2−8−0のコンソリデーション蒸気機関車を五輌(♯31〜35)をボールドウイン・機関車会社(BLW)で建造して、鉱石桟橋への押し上げ力の増強を図った
当時、未だ森林資源も豊富であって、木炭製鉄用の木炭の製造もマーケットの重要な産物であったから、そのための支線として、マーケットから北西へ、Big Bayへの27マイルのルートを建設して、森林開発の運材列車の他、旅客サービスも週に3本のレベルで1950年まで続けた。
1923年にはマーケットから東へ40マイルノパルプ用材輸送をになうMunising, Marquette & South Eastern RWY.などと合併して、Lake Superior & Ishpeming Railroad(LS&I)となり、173マイルのショートライン鉄道となった。1952年には 518万 t の鉄鉱石を運搬し、第 5位の鉱石運送鉄道にランクされた。
一方マーケット市街に近い港に丸太木材製の鉱石桟橋を持っている歴史のある SOO LINE(スー鉄道)も戦時中の繁忙期を過ぎると急速に衰退してしまい、名物の鉱石桟橋も使われなくなり、スペリオル湖岸線の貨物列車もも1日1往復と云う超閑散ぶりとなってしまった。1950年にはいるとAlco RS-3が入線し♯1604となり、デーゼル化が始まった。そして1954年には30輛を超える蒸機が在籍していたものの、既に10輛のDLが稼動していた。やがて、1962年になると、♯19、♯20、♯23の3輛のみが稼動しているだけで、他は引退して側線に保留されていたと云う。
その中の♯24はマーケットからそれ程遠くないミシガン湖岸のウイスコンシン州グリーンベイの鉄道博物館に譲渡され、鉄道ファン列車を牽いていたようである。また、♯33が縁の深かったオハイオ州のホッキング・バレー・観光鉄道へ譲渡されたのは1970年代に入ってからであった。
 その頃になると、埋蔵量を誇っていたマーケット鉄鉱区域も世界第一次・第二次大戦の大きな鉄の需要を満しながら、高品位鉱の大部分は掘り尽されつつあった。
そこで大量に眠っている低純度の鉄鉱石から鉄分の高い部分を抽出濃縮する技術が発明され、それを用いた焼結鉱製造法が完成した。1955年には最初の巨体な Eagle Mills ペレット工場が操業を開始した。このペレットの製造過程は、先ず採掘された鉱石を粉砕し、
磁気や浮遊選鉱などによって選鉱サレる。その鉱石粒はコーンスターチ(とうもろこし澱粉)の接着成分によって約直径1インチの小ボールに成形される。そして約2000F度で回転炉で焼結されてペレットになる。
現在のLS&Iもペレット工場から鉱石桟橋までの16マイルのメインラインを重連ディーゼルが活躍して、なんとか活況を維持しているのが1980年代の姿であった。また、木炭製鉄のために切り尽くした森林も、20年サイクルの造林経営努力が軌道に乗り、パルプ材に利用されるための針葉樹林が生れつつあるのは頼もしい。
そして、LS&Iではディーゼル機化が完了すると、鉱石桟橋の東側に設けられていた立派な扇形庫やメンテナンス工場は絵はがきに当時の模様を残すのみとなり、徹去された跡地は石炭火力発電所の貯炭場に利用されている。しかし蒸気機関車や客車などはビッグ べい支線と共に、1962年に発足したツーリスト鉄道のM&HM鉄道へ1963年に譲渡された。このサービスも1980年代には終わってしまったのだが、蒸気機関車は、その性能が見込まれて各地の博物館や保存鉄道で今なお活躍している例が多い。
 さて、ここからは再びM&HM鉄道の訪問記の続きに戻って、在籍している筈の7輌の蒸気機関車の姿とLS&Iが自らの手で装着したと云われている「テンダー・ブースター」の話題に入ろう。
 出発点のPresque Isle駅の構内を散歩しているとコンクリート製の円形構築物の中にターンテーブルがあって♯20が飾ってあるような風景であった。築堤の向かい側にある石炭火力発電所の低い唸り音、それにペレットホッパー車を40輌牽引した重連DLが桟橋へのアプローチである15パーミルの勾配の築堤をを登る唸り音が重奏して活気が戻って来た。GE U23C型ディーゼル機関車の独特のタイフォンの吹奏音が遠い桟橋の方から響いて来た。そう云えば、現在は鉄鉱石ではなくて密度の高いペレットを運んでいるので輌数は少ないが重いのであろうか。
 午後の列車に乗り込んで左手のヤード側に注目していると、ヤードの詰め所への踏切を渡った先で側線が分岐して林の中に消えていた。やがて松の林の中にチラリと赤錆びた蒸気機関車の姿を見つけた。
実は「保存鉄道ガイドブック」のなかにはM&HM鉄道では8輛の蒸機が在籍していることが明記されており、どこに機関個があるのかと車掌氏に尋ねると、あの側線に留置してあるとの答えであった。
どこのツーリスト鉄道でも、1年に1度くらいは鉄道ファンだけのためのイベントを催しており、特別に重連運転や夜間撮影会などに人気が集まるのであった。ここの駅の近くには客車二輛と錆びた蒸機1輛があり、更に前に述べたターンテーブルに飾られたいつでも動きそうな♯20蒸気機関車がいたのであったが、しかし重連運転ののイベントの話はついぞなかった。
帰って来てから、駅から20分ほど歩いて側線を松林の中に辿ると、二本の側線が伸びており、4輛の蒸機と数輛の客車などが白い砂の広がった一角に留置されていたのを見つけた。
LS&Iのレタリングや車輛番号が消えかかっており、同じ書体のM&HMと書き換えられた二輌のSLが僅かに判別出来る程の荒れ様には驚かされた。
今、使用している♯23と同型機が5輛もあることから、部品の流用も出来るので、当面の運転は大丈夫とはオーナーの一人と云う老エンジニアー(機関士)の話であった。
この中に、てんだーのフロント台車にロッドが取り付けてあるSLが2輌あって、♯35と番号の分からない1輌であった。これは確かに“テンダー・ブースター”(炭水車用補助エンジン)が装備されている照であり、初めて見たテンダー・ブースターであった。
この中の♯35のキャブとブースター付のテンダを出来るだけ近くに寄って採った写真がこれである。良く見ると給水加熱器やブースターの配管,ストーカーのエンジンなどが見えるのは楽しい。これは輸送力増強のために採られた苦心の作であろうと想像しながら、朽ち果てようとする車輌の群れのなかでせつないような気分でひとときを過したことが思い出される。
 ここで1979年時点でM&HMに在籍している7輌のにSLについて外観を試みる。
先ず現役で稼働しているタイプからはじめよう。
●元 LS&I クラス:SC−4
M&HM ♯20,23(稼働中)
(在籍しているのは、♯18,19,20,23,22であろう。)

車軸配置:2-8-0
動輪直径:56in
シリンダー:22x28in
ボイラー圧力:200psi
牽引力:42,000 lbs
重量:315,060 lbs
製造:ALCO ピッツバーグ(1910)
注記1:1928〜34年に自社工場にてテンダー・ブースターを装着改造したもようだが、現在は取り外されている。
注記2:このクラスは主として砿山,ヤード,旅客列車を受け持った。

●元 LS&I クラス:SC−3
・M&HMぬ ♯29(保管中)
車軸配置:2-8-0
動輪直径:56in
シリンダー:23x30in
ボイラー圧力:200psi
牽引力:48,000lbs
重量:394,000 lbs
製造:Alco (1906)
注記:テンダー・ブースター付きで保管中。

●元 ls&i クラス:SC−1
・M&HM ♯35(保管中)
車軸配置:2-8-0
動輪直径:57in
シリッダ:26x30in
ボイラー圧力:185psi
牽引力:60,484  lbs
重量:392,000  lbs
製造: Baldwin(1916)
注記11928〜34年に自社工場でテンダー・ブースター付きに改造して、約8% ぐらいの牽引力の増強ができたと言われた。
注記2:このクラスは砿石列車の桟橋への押上げを担当した。
注記3:テンダー・ブースター付きで保管中。

ここでブースター・エンジンについての知見を述べてみたい。
ボイラーの能力さえあれば従台車やテンダー台車に、2気筒の蒸気エンジンを装備することによって、20マイル/時以下の低速時の牽引力を増加させることができる。1920年頃から、従台車用には LIMA製、テンダー用には FRANKLIN,BETHLEHEM製が造られた。その好例には、石炭輸送の王者 ノーフォーク・アンド・ウエスタン(N&W)鉄道のマレー式の 2-6-6-2 ♯170(自社ROANOKE 工場 1927製)2は大きなテンダーに、2基のブースターを取りつけて、ヤードにおける重量石炭列車の入換作業に好成績を上げた。この二基のブースターは牽引力を34,000 ポンド向ヒさせた。
このテンダー・ブースターでは動力は台車のフロント車軸に伝えられるから、後軸への動力伝達はサイドロッド方式が採用されている例が多い。また、蒸気の供給と排気用のパイプがボールジョイントを使ってレイアウトされているので外見には良く判る。
このブースター・エンジンでは、走行速度が高くなった時にクラッチを外して、エンジンの損傷を防ぐ必要があり、そのメカニズムの保守が大変だったのであろうか。
テンダー・ブースターは速度の関係から入れ替え用の機関車に多く用いられるが、主に戦時中の輸送力増強に効果を出すため北アメリカで採用された。
ls&iの機関車に装備されているテンダーブースターはこれらの蒸機がBLW(ボールドウイン)で落成した時には装備されてなく、戦時中の輸送力増強の一方法として自社工場で装備改造されたものである。
その後に、ツーリスト保存鉄道で稼働する際には、メンテナンスのコストが高いこともあって、特に運行に必要性が無くなった事から取り外している例が多いようだ。
その点が異なるのは、従代車のブースターは重量編成の特急旅客列車用の機関車に当初から採用されている例が多く、チサピーク・アンド・おはいお(C&O)、カナデアン・パシフィック・レイルウェイ(CPR)などの保存機関車には今でも重用されている。
それにしても、テンダー・ブースターが健在な♯35がイリノイ鉄道博物館に保存されているのは嬉しい。先日webで“booster”を検索していたら、グランド・キャニオン鉄道(Grand Canyon Railway、Williams, Arizona.)に買収された元 LS&I ♯29のテンダー・ブースター付きの台車一式が売りに出されているのをみて、いささか痛ましさを覚えた。
次にLS&Iの蒸気たちが2008年の段階でアメリカ中で15輛が現存しておることは驚異的なことではなかろうか。LS&Iの機関車立ちは余程大切に使われて来た証拠であろう。今回の訪問で縁のあった機関車の動静を調べてみたので下に掲げた。
♯番号の次はクラスを示し、次に所属の変遷を記し、現況の判るものは付記した。

●・♯20
M&HM
Grand Canyon Railroad  、部金用として保存。
2007年、Rio Grande Scenic Railroad。
・♯23、SC−4
M&HM、最期まで稼働。
Empire State Museum of New York.のCatskill Mountain Railroadで稼働。
・♯29、Sc−3
m&hm
Grand Canyon Railroad
テンダー・ブースター付きトラックは通常のトラックと交換され、売却予定。
・♯33、SC−1
HOCKING VALLEY Scnic RAILROAD、(NELSONVILLE OHIO):hvsr ♯33
2003、Ohio Central railroad、OCR ♯33
SL機関区に保管、修理を要す。
テンダー・ブースターなし。
・♯35、SC−1,テンダー・ブースター/ストーカー付き
2003、Illinois Railway Museum、(Union, IL、)
展示保存中。

撮影:1979
発表:「れいる」誌

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・「鉄鉱石鉄道 Lake Superior & Ishpeming RRのSLをたずねて」キリーズのリンク
110.LS&I ♯33:ホッキング バレー観光鉄道を訪ねて(オハイオ州)
111.LS&I ♯23:マーケット & ヒューロン マウンテン鉄道・(ミシガン州)
112.LS&I ♯35:装備されたテンダー・ブースター(ミシガン州)