自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役

|  HOME  | SL写真展 ( INJEX )  | 田辺のリンク集 |
(メールは上の  SL写真展 ( INJEX )  にある送付先へドウゾ。)

…………………………………………………………………………………………………

・ロイヤル ハドソンの牽く“サザン・スチーム・スペシャル”・サザン鉄道
073.  “P eamont Steam Special” のCPR 2839号 ・テネシー州)

〈0001:〉
CPR♯2839・オネイダに到着したロイヤル ハドソン

…………………………………………………………………………………………………
〈紀行文〉
 1970年代の  ヒットソン グの  “Chattanooga Choo Choo(チャタヌガ チュー チュー) で知られるテネシー州のチャタヌガを出発転として1,400フィートの高原にあるオナイダを目指してロイヤル ハドソンが牽引する“Peamont Steam Special”が走った。オナイダより南に10マイルほど戻った所に高い鉄橋があると云うので、それが見える高台を探して写真を撮って直ぐオナイダ駅に戻って見ると、ご覧のように列車は既に転向を済まして、乗客は思い思いに行動を始めようとしていた所であった。
いつものことながら、線路と同一平面がプラットホームであるのは人々とSLとの心理的距離をうんと近づけるように思うのであった。今日も楽しい鉄道風景が見られて嬉しくなった。
どこかで気をきかして“chattanooga choo choo”を流しているのであろうか。益々お祭りムードが盛り上がる。
ところで、このヒットソングの題名の由来が、今、この列車が走って来たサザン鉄道のチャタヌガ〜シンシナチィ間を結んでいる元CNO&TP(シンシナチィ・ニューオルリンズ・アンド・テキサス・パシフィク)と云う壮大な名前を持った鉄道の路線を1880年に最初に走ったチャタヌガ行きの旅客列車に付けられた名前から名のだと云うことをパンフレットで知って驚いた。
何お隠そう、オハイオ河川岸にミシシッピー河運輸で発展した港町であるシンシナチィの有力者は、市の力を結集して次の時代の南部への交通手段としての鉄道をアトランタからメキシコ湾、そして太平洋岸にまで開通させようとする意気込みで真っ直ぐに南下する路線をチャタヌガ目指して建設を始めたのである。コノ経路は山地と谷を横断する地形に当たることから、27のトンネルと急勾配、そして深い谷を渡る橋梁などの難工事を完遂して開通したのである。この路線を引き継いだサザン鉄道ではトンネルの廃止と勾配の緩和、複線かなどの改善に多大な努力を払った事から中西部と南部を直結する大動脈として発展しているルートなのである。
丁度、“Chattanooga Choo Choo”が1941年にグレンミラー・オーケストラによってレコーデングされてひっとしてから、1970年代と1990年代とに歌詞が作られ、物語が作られてヒットナンバーとなるやら、記念旅客列車がニューヨーク〜チゃたぬがを走ったりすると云う人気振りなのも、この鉄道ルートが益々活発でアメリカで最も多忙な路線の一つとなって賑わっているのと面白い一致だと思ったりしている。
 それに蛇足だが、シンシナチィには美しい工業デザインとでも云いたいようなユニオン・ステーションが生き残っており、時折 蒸機牽引の旅客列車の運転階の催される時には往事の賑わいが戻って来るのである。この駅をでて南に一直線に進むと、やがてオハイオ河を渡って対岸にあるサザン鉄道の大きなヤードが現れる。このように駅の配置も南北を貫くように配置されており、1880年代に設定した南部へのこだわりが見て取れのである。
 私は このロイヤルハドソンの活躍の最初の数ヶ月を見守る機会を得て、帰国の途についたが、その後も♯2839はペンシルバニア州にあって活躍しているとのインターネットでの情報には嬉しい限りである。
撮影:1979年
発表:「れいる」誌・1979年10月号、aD19.

…………………………………………………………………………………………………
・「ロイヤル ハドソンの牽く“サザン・スチーム・スペシャル”」シリーズのリンク
071. “Crecent:三日月”ルートを走るCPR 2839号・南部
072. タバコ都市を発射する“Dogwood Steam Special”・ノースカロライナ州
031.   チャタヌガ・チューチューからの CPR 2839号 ・テネシー州