自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
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SL写真展 ( INJEX )
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(メールは上の
SL写真展 ( INJEX )
にある送付先へドウゾ。)
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・ロイヤル ハドソンの牽く“サザン・スチーム・スペシャル”・サザン鉄道
072.
タバコ都市を発射する“Dogwood Steam Special”
・南部
〈0001:〉
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〈紀行文〉
ロイヤル・ハドソンの第二弾は全壊と同じ“Crecent(三日月)”ルート上のノースカロライナ州にある「ウインストン−サレム(Winston-Salem」を出発点にサザン鉄道の支線を走る“Dodwood Steam Special”と銘打ったツアーであった。この“Dogwood”とは隣のバージニア州、それにここのノースカロライナ州の州の花となっている落葉高木の花の名なのである。
四 月も近いこの頃、南部の山々は常緑樹のバージニア松が新しい緑の芽を出し、葉の出ていない木々の中に白い花を沢山つけた「ドッグ ウッド」が咲きほこり、日本の山桜の様であった。この頃ノースカロライナ州の各地では「DOGWOOD祭」が開かれ、いよいよ春の到来と云うところでしょうか。この奇妙な名は皮膚病治療やノミ退治に使ったことから17世紀のイギリスで呼ばれていたと云われているようで、現在は日本でも人気が高く「はなみずき」の名前で公園、街路樹や庭木などにに植えられていますが、元は明治45年に尾崎東京市長が吉野桜の苗木を首府のワシントンしに贈呈したことの返礼で1911年に「ドッグ ウッド」の苗が贈られたのが初めだと云われているのだった。
今度はオハイオ州コロンバス空港からワシントン空港へ夜行便で向かい、レンタカーで行動する予定で、3月30日の夜半に出発しました。
朝のウインストンサレムは快晴となり、ガソリンスタンドで市内地図を手に入れたこともあって、ホテルで朝食と云うゆとりでスタートした。
市内の様子は判ったのだが、肝心の蒸気の走る郡部の地図がないので、又もや勘をたよりに州の大きな地図を孔のあく位見つめて後は想像することで行動することになった。
市内では高架の国道の陸橋の下より白い煙が立ちのぼり駅の所在はすぐ判りましたが、御多分に洩れず地形が複雑のようです。
今日この町から南西に向けて伸びる22マイルのサザン鉄道の支線の通る町Mockvilleを訪ねる小さいツアーのようであった。
ウインストンサレム駅からは、それ程長くない編成の“DOG WOOD SPECIAL"の列車はタバコ会社などの高層ビルの立ち並ぶスカイラインを背景に鐘を鳴らしながらロイヤル ハドソン♯2539は発車して行った。
行く先は国道に沿って平凡。山あいに茶色に染った水をたたえたダム湖があり、“Phto Run By”を期待しながらクルマを走らせている。ここは走行距離が比較的短い旅程なので、どうも途中でやるらしいと云う噂話があったからです。これは写真のとり易い,安全な場所で乗客を降ろしてから、列車は1マイル程後退した後に、勢よく発進。長い気笛を鳴らし、特に黒煙をあげて、鐘を鳴らして鉄道ファンへの大サービスをするもので、このPHOTO RUN
BYを何処で行うかはパンフレットには書いてなく秘密なのです。ですから、クルマが集ると写真が撮りにくくなり、切符を買った人が迷惑を受けるのでそのようになっているとのことです。幸運にも国道より列車が停車したのをみつけたので、道を探したのでしたが湖
の対岸のため断念し,湖越しに逆光でやっと蒸気の上がる風景を撮っただけに終わりました。終点は単なる田舎町のようにみえました。
帰りの列車を無難な陸橋から俯瞰撮影してその日は終わりました。翌日はウイストンサレムの駅を探してクローズアップを撮影したり、古いタバコ会社の煉瓦三階建ての工場へ吸い込まれている引き込み線などを訪ねた後に、別れを告げました。
元来この旅行は、♯4501が予定されていたようでしたが人気の高いサザン鉄道のレタリングを入れたロイヤル・ハドソンのお出ましとなったとの事でした。
ここでサザン鉄道の生い立ちについて少しく述べておこう。サザン鉄道のトレードマークに添え書きされているスローガンにいわく、『サザン鉄道は南部に奉仕する。将来を考慮せよ。南部に注目せよ』とあるのだった。
首府ワシントンを起点に、フロリダへ、ミシシッピー河口に至る南部諸州と中西部の南への玄関口と云われるオハイオ州のシンシナティに、西部への入り口であるセントルイスなどに至る広い領域に9,500マイルの路線を持つ大鉄道網である。最近アメリカでは
早くから開けた東海岸や五大湖地方から・サンシャインベルトといわれる南部への移動発展が注目されており、その中心の一つであるジョージア州アトランタもサザンの幹線が通っている。
1930年頃から鉄道が東海岸の多く
の港町から西に向かって建設され始め、多くの鉄道が各地に出来た。南北戦争後、経済の混乱時代には、各地の小鉄道がお互に合同して運輸のネットを作る傾向が生
まれ、今でも大鉄道会社として名を残しているPRR(ペンシルバニア鉄道)、B&O(ボルチモア&オハイオ)、UP(ユニオン+・パシフィク)が成立したのもこの頃である。ちょうどその頃、フィラデルフィアで東海岸沿岸で蒸気船を経営していたT・フライドが、船と鉄道を連結した運輸システムに注目して小鉄道をヴァージニア州で買収したのがサザン鉄道の始まりである。その後多くの困難を乗り越え、今日の大システムに成長した。先にあげた鉄道会社とやり方が異なって、小鉄道を吸収合併するのではなく、周囲の鉄道と協同して連絡運営することに特徴があり、イギリス資本やモルガン財閥の支配などを経て
特徴のあるユニークな鉄道として発展し
ており、サザン鉄道以下六社により構成されている。サザン鉄道は広大な綿花地帯を通貫し、桃で有名なサウスカロライナ、良質で豊富
な石炭地帯に網をはり、その土地の工場や集荷基地をきめこまかく支線や側線をつないでサービスをしている。サザン鉄道の社長であったH g氏がイギリスを訪問した時に、同名のイギリスのサザン鉄道のロンドンから南へ伸びる鉄道の旅客列車用SLのあまりにも美しい色彩に感銘を受けて帰国し、直ちに全社に命令して、旅客用SLは次のようないでた
ちをまとうことになったのである。
・ディープグリーンの塗装
・動輪とランボードにアルミトリム
・シリンダーにメッキのキャップ
・磨き出したロッド類
・ゴールドのストライプとレタリング
これはちょうどカナディアンルックとして有名なCPR(カナディアン・パシ
フィック鉄道)のワインレッドと淡いブルーと好一対のイギリス調ムードである。
その後に中西部に強いノーフォーク・ウエスタン(NW)鉄道と合併してんS(ノーフォーク・サザン)システムとなって発展を遂げつつある。
撮影:1979年
発表:「レイル」誌・1979年10月号、19.
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・「ロイヤル ハドソンの牽く“サザン・スチーム・スペシャル”」シリーズのリンク
071. “Crecent:三日月”ルートを走るCPR 2839号・南部
ノ
031.
チャタヌガ・チューチューからの
CPR 2839号
・テネシー州
073. “Peamont Steam Special”のCPR 2839号・テネシー州