自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
|
HOME
|
SL写真展 ( INJEX )
|
田辺のリンク集
|
(メールは上の
SL写真展 ( INJEX )
にある送付先へドウゾ。)
…………………………………………………………………………………………………
・CNR♯6060の活躍
049.
カナデアン ナショナル カラーを装った♯
6060
〈0001:〉
…………………………………………………………………………………………………
〈紀行文〉
ストラトフォード駅構内の駐機ラインで一休みしたaD6060は小トリップの仕業に向かうため駅のコームに待つ客車に向かって発信して行った。
さて、良かく知られているように、カナデアン・パシフィック鉄道(CPR)は淡いブルーとワイン レッドの塗装をしたSLは煙室扉にへッドランプを埋め込んだ半流線形を旅客列車の牽引に活躍させてきた。それに対して、カナデアン・ナショナル鉄道(CNR)は1936年には、国の研究機関によって検討された流線形のノーザン・タイプ(4−8−4)を頂点として登場させている。そして渋いグリーンと黒のCNRカラーのスカートからテンダーに至るデザインが目立っていた。
いずれにしても、実用一点張りのアメリカ流に比べて、欧州風の香りのするカナダのSLには一味変った魅力があることに違いはない。
さて第二次世界大戦の末期1944年になって、CNR最後の新製機関車となったマウンテン・タイプ(4−8−2)の高速旅客用SLを一風変った半流線形のスタイルで登場させる余裕を見せた。このaD6060をトップナンバーとするくらすU−1−fが1944年にモントリオール機関車会社で完成し、ケベック、オンタリオ州で使用され、当時CNRとLV(Lehigh Valley)鉄道と連携して、トロントからナイヤガラ経由のニューヨーク特急“Maple Leaf(メイプルの葉)”にも活躍した。ここに出てくるリーハイ・バァレー鉄道はペンシルバニア州のリーハイ河沿いの石炭輸送鉄道として1846年に創立されたが、その後発展し、鉄道黄金時代には、ニューョークのPRR駅からナイヤガラフォールズ行の“新婚特急”を走らせたユニークな運営で知られた鉄道であった。
元来、CNRは寄合世帯でであるから、CPRに比べ線路も、車輌限界も劣っていた。そして、SLの大型化にともない煙突は低くなり、低速時や絶気運転の時、煙がボイラーにまとわりついて視界を妨げることも問題として抱えていて、色々気流の流れについて研究をしていたので、このような半流線形が採用されたのではないだろうか。
そぅ言えぱaD6060の誕生した1944年は、18万人に及ぶアメリカ軍がフランスのノルマンデーに上陸した年でもあり、先にその60周年が祝われたことで記憶に新しい。
1950年になるとSLの末期で、その半数はオイル焚にに変更、その特徴であったコニカル・ノーズも取り外され、スクラップのテンダをと組合された姿で都落ちして、ロッキー山脈の東側に当たるアルバータ州で、ノーザン・タイプの4-8−4と区別なく使用され、特に注目されることもなく1960年に引退、aD6060はロッキー山脈の国立公園のJASPER駅に展示されたのである。
CNRでは1971年には、最後の保存SLaD6218(4-8-4)が引退してしまった。1972年になると、CNRの方針は再び蒸気機関車の保存運転が打ち出され、最後のクラス U−1−fクラスのトッフナンバーのaD6060に白羽の矢が当たった。このSLは軽量ではあるが、補機DLの使用も考慮された結果であった。
そして、JASPERにはカナダ鉄道博物館のaD6015(4-8-4、カナデアン機関車会社1923年製)が整備され代替として送られた。
1972年にはモントリオールのCNRの工場に入り、失われていたコニカル・ノーズとテンダーが用意され、オイル焚きの部分のみが新製時と異なるところであった。
CNRのマウンテン 4−8−2のオリジナルは、1923年に140輛あったが、蒸気流路の抵抗削減と、サスペンションの改良以外はほとんどデザインは踏襲されてぃる。
1973年9月に復元が完成、モントリオールから保存運転が始り,翌年はアメリカのメイン州ポートランドへの長距離ツアー、その後1976年になってトロント〜ナイヤガラフォールズ間の季節列車の登場となったのである。しかし、aD6060の引退は意外にも早く、1980年にトロントで開催されたNRHS(全国鉄道歴史協会)の年次総会のメインィベントのホスト役への出演が最後のCNRの仕業となった。
それはTORONTO RAIL1980と銘打った鉄道ファン待望の年中行事で五日間に及ぶイベントの中で、二回の運転が予定され、その一つは“Maple Leaf と名付けられたナイヤガラフオールズ往復であった。
最後の行事が終るとすぐ.有火のまま昔の古巣であったアルバータ州のエドモントン市にあるA P R A(アルバータ・パイオニア・鉄道協会)に寄贈され,ボイラー免許の切れる九月までアルバータ州創設75年を祝う列車を牽ぃて、各地を訪問していると報じられた。最近のホームページ“6060 locomotive”によると、ロッキー・マウンテン鉄道協会の手で蘇り委、ツアーに活躍中の模様であり、その名も「スピリット・オブ・アルバータ」として親しまれていると云う。
撮影:1978年
発表:「レイル」誌・aD18、1984年10月発行。
…………………………………………………………………………………………………
・「カナダ国鉄・急行旅客用蒸機:♯6060」シリーズのリンク
120.「ナイヤガラフォールズの小さな蒸気列車の旅」(カナダ
/
オンタリオ州
047. CNR♯6060の紅葉のストラトフォードへの旅・カナダ/オンタリオ州
048. ストラトフオード駅で憩う♯6060・カナダ/オンタリオ州