自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・「カリフォルニア鉄道博覧会:1981年・サクラメント市」

040.  復活したマレー式SL・チャレンジャー


〈0001:〉
復活したチャレンジャ

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〈紀行文〉
 多くの人々の夢が現実となって、カリフォルニア州都、サクラメントに花が拓いた。それは“RAIL FAIR 81” 鉄道博覧会の開幕である。1981年の5月にオープンしたカリフオルニア州立鉄道博物館の完成祝賀行事であり、1948年のシカゴ鉄道博覧会以来のレールファン待望のイベントである。
その内容は次の六項目であった。
カリフォルニア州立鉄道博物館の完成
元CPRR(セントラル・パシフィック鉄道)サクラメント駅の再建
鉄道歴史展示館のオープン
ミュージカル・ ページエント・“くろがねの馬の唄“の公演
祝賀来訪SLの展示・大行進
サクラメント四大鉄道人の商館復旧
  オープニングの日、南国のさわやかな早朝、既にユニオン・パシフィック(UP)鉄道ノマレー機“チャレンジャー・3985は安全弁から白い蒸気を噴き上げていた。長音一発の汽笛。この巨大なボイラーから発散する熱の動感に酔いしれるひとときがやって来た。じっと足み回りの動輪群を眺めながら、チヤレンジャーの体臭をかみしめよう。
午後の「くろがねの馬の唄のページェント」が終わると、河岸に沿った昔の線路をチャレンジャーを始めとする動態展示のSLが動き始める。巨体のあちらこちらから洩れる蒸気は、寒冷なワイオミングの高原では、さぞかしボディーにまつわりついて見通しも悪かったことだろう。2マイルほど後退してから、また再び元の展示場に戻って来た。これがSL大行進であった。夕日も落ち始める頃になっても、チャレンジャーの周りには人々の人影は絶えなかった。
 さて、このマレー式SL チャレンジャーの誕生の背景に着いていささか調べてみた。アメリカの鉄道では、長距離・大量の貨物輸送を効率的に行うために、列車の単位は一マイル列車とと呼ばれるほど長大編成の列車が数量の機関車によって牽引されているのがふつうである。SL時代にはそのような重連運転の際には、運転の不便さに加えて、後位置の機関車の乗員がばい煙に巻かれるという苦しさがあった。これらを解決するために、一台の機関車で二台の機関車の能力を発揮出来るような大型機関車が発明された。アメリカではマレー式、すなわち、それぞれの動輪群を備えたフレームを連接して、二台分の長大なボイラーを乗せる方式が実用化され、イギリスではガーラット式と言う方式が発明され、それはボイラーを乗せたフレームの前後端を動輪群を持ったフレームで支える方式であった。いずれも、カーブした線路の通過を容易にするために、フレーム同志の連結はお互いに移動可能なヒンギ構造となっているので連節式と呼ばれるのであった。
当初はそれほどの高速運転をもとめなかったが、UPのように高原を高速で走行したい鉄道にとって、仲々解決できなかった問題点はフロントエンジンの高速運転時における安定性の悪さであった。これを解決するために、UPは「パイロット・トラック」と呼ばれる4つの車輪を持つている先導台車をフロントエンジンの前に付けて、カーブに機関車を導くのを助ける作用を持たせたSLを高速貨物用として設計したのであった。それは6つの動輪の2セットと、最後に、エンジンとその大きい火室の後部を支持する4つの車輪を持つ従台車で構成され、車軸配置は4−6−6−4のけいしきとなり、これに“っチャレンジヤー”(挑戦者)の名をつけた。このSLはワイオミング・ユタ州の高原地帯を69インチの動輪を駆って時速70マイルを容易にはしり、後には旅客列車の牽引にも使われるようになった。UPでは、1936〜43年に105輛のチャレンジャーを製造し、これを母体に世界最大のマレー式SL“ビックボーイ”が誕生している。
  この博覧会の祝賀行事ににUPのチャレンジャーaD3985が参加できるようになるまでの動静について、いささか述べておきたい。このaD3985は105輛の仲間の中でも最も完成度の高い後期に属し、当初石炭焚きであったが後に重油焚きに変更されている。その製造は1943年にALCO(アメリカン機関車会社)であり、最も遅くまで活躍していたものである。そして1962年に引退し、1975年まで シャイアン(ワイオミング州)に保存されていた。その20年間も放置されていた巨大SLを1981年に開催される予定のカリフォルニア鉄道博覧会への参加を目標に復活させるためにボランティアの人々とユニオン・パシフィックの従業員の奉仕作業が始まった。そして、数年掛かりで生まれ変わったものである。そのテストでは本線を十分に疾走する能力があることが判り、何れは7月中旬の慣例の行事には、コロラド州のデンバーからワイオミング州の高原地帯を年に1回,大
勢の鉄道ファンを乗せて走ることになるのであろう。今(1981年当時)、世界の中の唯一の稼働中のマレー式エンジンで、最も大きくて最も強力な牽引力を誇っているのである。

撮影:1981年
発表:「鉄道グラフ雑誌・レールガイ」198年8・9月号、aD58

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・「カリフォルニア鉄道博覧会:1981年・サクラメント市」キリーズのリンク
010.ストリームライナー“Daylight”SP4448・カリフォルニア州サクラメント
088.「“くろがねの馬”の唄のページェント」・サクラメント/カリフォルニア州
(UP 844+SP 4448)
041. 「クライマックス・ギャード・ロコ」の居る風景・ワシントン州