自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・「カリフォルニア鉄道博覧会:1981年・サクラメント市」

010. SP 4448・ストリームライナー “daylight” ・カリフオルニア州サクラメント


SP 4448・ストリームライナー“Daylight
ストリームライナー“デイライト"

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〈紀行文〉
 ここは何年ぶりかの鉄道博覧会、“RAIL FAIR 1981”が催されているアメリカのカリフォルニア州の州都サクラメント市の復元されたオールド・サクラメントの一角である。
州立鉄道博物館のオープニングに合せて開かれたSLの祭典には、各地から多くの動態保存蒸気機関車が出品されたが、何と云っても、その中心は、博物館の屋外ターンテーブル脇の特設舞台で演ぜられる“くろがねの馬・歌のページェント"の舞台へ出演する二輛のホストSLであろう。
それは初めて大陸横断鉄道を成功させたUP(ユニオン・パシフィック(鉄道と、CP(セントラル・パシフィック)鉄道の後身であるSP(サザン・パシフィック)鉄道の両社から特急旅客列車用SLがそれぞれホスト役として出場したのである。
 早朝のオールド・サクラメントの三階建ての駐車場ビルの屋上に登って博覧会の会場を見下ろすと、もう 早くも鉄道ファンが三々五々と集まりつつっあったが、その中にあって、ひときわ鮮やかな色彩を放っている機関車が望まれた。
近付いて見ると、見事なストリームライナー(流線型)SLで、色鮮やかな赤とオレンジのストライプのスカートを付けたSP♯4448であった。これは、SLが活躍した最後の時期である1940年時代での西部を代表する特急旅客用SLの一つで、SPのGS-4クラスで、直径80ンチの大動輪を4軸持った強力機である。このSLは空調が付けられて重量も増した豪華客車を高速で牽引して走り切るスーパー・パワーであった。
このカリフォルニア州民が最も親しんでいた特急列車「デイライト」をサクラメント鉄道博覧会に出品させようとする市民の祈願と運動が次第に盛り上がって来ていた。
この「デイライト」は当初、ロスアンゼルス〜サンフランシスコ間410マイルを
昼間12時間で走破するSPの看板列車であった。特に太平洋岸回りのコースト・デイライトは、走る区間の景観も素晴らしいが、カリフォルニア州のニックネームである“ゴールデン・ステーツ”にふさわしい赤とオレンジのストライプが、流れるように走っていたので、世界一美しい列車とも云われた。その後、デイライト特急は、西部各地を多く走るようになったので、その名称は州を代表するとでも言えるだろう。機関車から展覧車までの14両を再現して、祝賀列車として走らせる計画が成功したのである。各地に保存されている客車のカムバックと、ポートランド市民に寄贈されていた特急旅客機SP♯4448の復元工事が、多くのボランティアとSPの協力の下で進められた。
その中でも、あの鮮やかな色彩を再現するカラーー・ペインティングは、デュポン社の寄付によるポリウレタン塗料“イムロン"で塗装され、保存に万全を期したことは新聞にも採り上げられ、大きく評価された。
そして当日,ポートランド市民を乗せた祝賀列車は、サクラメントへ向けて汽笛一声発進して行った。
 元来実用一点張りのアメリカの鉄道に、このような流線型(ストリームライナー)やカラーデザインが到来した経過について触れてみる。
さて、話は1930年代、アメリカ鉄道100年祭にイギリスから祝賀として出品されたのは、最もイギリス国民に愛され親しまれていたSLの一つである
グレート・ウエスタン鉄道の“ジョージ五世王"号であった。このS Lは濃緑色のボイラー覆い、運転室の美しい色彩、ありきたりの機関車とは異なり、意外な位置にあるシリンダー、その端正な外観は、それを見た多くのアメリカ人の間に大きな反響が巻き起ったものである。アメリカ流のSLと云えば黒一色で、ボイラーの回りに配管やバルブ、付属機械が取り付けられ、複雑そのものであったからである。しかし,その反響に対してアメリカの鉄道はイギリスのそれとは異なって、人口の希薄な広い国土に、低い輸送量の鉄道を早く、しかも長距離を建設して来て、現在、そのレベルアップに傾注している時であって、外観などには手が回らず、余裕がないのは当然だとして対応は少なかった。しかし、国民のニーズは列車の外観に機能美を求めるような時代になっていたこともあって、SLの中には配管を陰に覆い隠す細工を施すのが現れ、反応を見せ始めた。
そして自動車、航空機との競争時代に入った旅客列車の中には、全体をインダストリアル・デザイナーの手により外観設計をして、その中に機械設計を収めるという戦略を採用したPRR(ペンシルバニア鉄道)のシカゴ〜ニューヨーク間の特急旅客列車“ブロードウェイ”が出現するに至ったのである。
このアメリカ流の鉄道は、多くのシステムを世界中に供給し続けて来たし、今日でも貨物輸送のトレーラー運送とのハイブリット化では、世界のお手本であることも忘れてはならない一面である。

撮影:1981年
発表:「塗装技術」誌・1991年4月号 表紙

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・「カリフォルニア鉄道博覧会:1981年・サクラメント市」キリーズのリンク
040. 復活したマレー式SL“チャレンジャー”・アメリカ/UP鉄道
088.「“くろがねの馬”の唄のページェント」・サクラメント/カリフォルニア州
(UP 844+SP 4448)
041. 「クライマックス・ギャード・ロコ」の居る風景・ワシントン州