鍼を打つって言ったって、鍼は小さい。体は大きい・・・
体表面の何処が治療に最適な場所、すなわちツボなのかよくわからない。 とにかく、これでめしを食っている都合上 効かなきゃ話にならないよ。 よく聞く、鍼灸師の悩みである。
治療の天才だったらいいよ、まあそれに近い人もいることは否定しない。
わたしのような凡人がそれなりの治療ができるためにこそ、ツボとか経絡とかのシステムが必要なんじゃないのか。 凡人が使って非凡な効果が得られる、それが本来システムとしての経絡、経穴ではないのか。システムが作動しないんじゃ何のための経絡、経穴か。
先輩、同僚諸兄の教えをうけても、凡人のかなしさ全く納得がいかない、なぜ、俺の頭と感覚は、こうも鈍くできているのか。
理論を求めているんじゃない、鍼灸師に求められている、それなりの治療効果それすら満足に与えることの出来ない鍼灸師など世間から必要とされていないのではないか。それでも、患者さんと 朝から晩まで格闘してきた、気がついたら30年たっていた。
ツボというのは鍼灸師の命であり、唯一のよりどころであるはずだ。
鍼灸学校では、解剖学や生理学、西洋医学の知識も広く教えるけれども、鍼灸のオリジナルといえるものはツボと経絡だけではないか。
まさに「ここ」というポイントが“ツボ”であり、それは皮膚の表面にある“特異点”である。ツボとはすなわち特異点なのだから、ツボではない他の場所に漫然と鍼を打っても効果的な反応は起きない。
鍼の直径はわずか0.1ミリか0.2ミリ程度。それにたいして患者さんの体の広さたるや、大海のごとし、だ。この大海のどこに鍼を打ち込めば一番“効く”のか。
私が言っているのは“番地”の話じゃない。学校で教わるツボの位置や、国際基準のツボの位置なんてのはしょせんツボの“番地”みたいなものだ。だいたいの場所はわかっても、鍼の先の当たるピンポイントの位置はわからない。どこが“ツボの中のツボ”なのか。ベストの位置がつかめなければ、著効は望めない。「ここだ!」というポイントが掴めさえすれば、もっとキレの良い効き目が出せるのに・・・。
ツボに至る道
鍼灸学校の教科書の総論には、 『経穴は疾病の際になんらかの反応をあらわす点であり、鍼灸術を施して疾病を治癒させる点でもある。そして経脈とは機能的なつながりを持ち、経脈を通じて臓腑と関連があると考えられている。即ち経穴とは、疾病の際の反応点であり、診断点であり、治療点である。』 と書いてある。
この記述が正しいとすると、 例えば、合谷 は第一第二中手骨底間の下、陥凹部、第二中手骨よりにとる。 との各論の記載 はおかしいのではないか 。この記述をすなおに理解すれば、上記の場所に常在していると考えるのが自然であろう。そうすると、最初の命題 疾病の際に現れる反応点である。という規定と矛盾するのではないか。
これは、かなり本質的な問題である。 なぜなら反応点としてとらえるならばどのようにして、その反応点を捉えるかの、どんな反応なのかを論じなくてはならない。
常在的定点として規定すると、多くの問題が発生する、例えば古典といわれる文献も多数存在しそれぞれ同名のツボの位置が大きく異なる点である。
仮に、時代的に最も古いものが、正解であると仮定すると、鍼灸甲乙経以外記述は誤りということになろう。 現在においてもこの問題がたびたびむしかえされている。
例えば、2006年の全日本鍼灸学会で高田氏が指摘されたように、本来第七頚椎上にある大堆穴が伝承の過程であやっまって伝えられ、現在の第一胸椎上になったのではないかということなど、このような問題は他にも沢山あり、これが本当だったら、いままで鍼灸院でなおった人はどう説明がつくのだろう。
さらに最近話題となったWHOがツボの基準をきめたというような考えかたもこの文脈上にあると思われる、このような思考は結果としていかに精緻なものができたとしても、出発点の矛盾が最後までついてまわる。 このような思考の終着点が 〜のツボ方式の治療になると思われる。 これが現在 中国 韓国で主流になっている。
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従来のてい鍼 |
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コバルト鍼 |
反応点としての規定は どんな反応をどのような手段でキャッチするかが おおきな問題であるが日本においては、こちらのほうが主流であろう。
最近では、脊柱起立筋中の自律神経性の反射によるトーヌス亢進部に取る、とかいろいろ言い方はあるが
一般的には、圧痛点、過敏点、硬結、緊張、陥下などを触診でキャッチする事になっている、これらは疾病の際の反応点であり、診断点であることは認めるとしても、治療点としてはおそまつなことは臨床家ならだれでも痛感されているところであろう。
ツボ探しの旅は遠い道のりであった、反応点としては、良導点、皮電点、撮診点、丘診点、圧診点、トリガーポイントだとかもろもろある一事をみても先人の努力には頭がさがる。
これらは確かに病変があったときの反応点には違いないが治療点としては、今に伝承されているだろうか。
平凡な鍼灸師が非凡な効果が出せる、システムがほしい
毎日、そんなことばかり考えながら、悩み いろんなことを試していた。
脈診も学んでみたものの、本当にその見立てが正しいのか、いまひとつ確信が持てない。なにしろ、名人が数人並ぶと、同じ患者さんの脈を診て、別の証(診断のことで、証によって使うツボ、経絡などを変える)を立てることもある。どうも確信が持てない。
そんな調子だから「これが腎虚の脈だ」「こっちは脾虚だ」と言われても、ハアそうですかと言うしかない。
名人とちがって、自分はきっと指先の感覚が鈍いに違いない。ついでに頭も鈍くできているのだろう。だから納得がいかないのだ。そう思ってみても迷いは消えるはずもない。
天才鍼灸師なら天性の感覚で治療をするのでシステムなど不要のはずだ。凡人にこそ非凡な結果を出すための治療システムすなわち経絡 経穴が必要なんじゃないのか?
ツボや経絡が正確に作動さえしれば、凡人が非凡な効果を出すこともできるはずだ。
臨床の場で今から使えるシステムでなければ意味がない。
Oリングテスト、入江式フィンガーテストの衝撃
人知れず悩みあぐね、気がついたら鍼灸師になって25年が経っていた。
そんな時だった。『医道の日本』誌上で入江正先生のFT(フィンガーテスト)に関する文章を目にしたのは。
FTとは、簡単に言えば人体が発する微少な信号を自らの指の反応に置き換えてキャッチするもので、これによって正確なツボの位置が確定できる。その上、病んでいる経絡を読みとることもできるので、どの経絡を治療すればよいか、その経絡の中でもどのツボを使えばよいかが分かるのだ。
「これだ!」と思った。私が求めていたのは、こういう診断法だ。理論が実践的に応用できる。
頭脳明晰な入江先生が「30年以上に渡って、文献をあさり、鍼灸の研究に心血を注いできたが、30年たって何も分かっていない事がわかった、いったいわたしの人生は何だったのか」と誌上で心情を吐露されており。
そこで先生は、FTという方法を自ら編み出し、それを使うことで初めて、それまで理論でしか無かった古典などの理論が“治療システム”として使えるものになったのだと述べられていた。
「何も分からなかった」と正直に言ってのけた入江先生の言葉に痛く同感した。さっそく自分でもFTを試してみると、なるほど入江先生の言うように結果が出る。これは使える!
入江先生にはいろいろなことを教えていただいた。学ぶうち、私のFTの技術もずいぶん向上してきた。脈診を学んだときのもやもやした気持ちと違い、患者さんの体が手に取るようにわかる実感があった。正直に白状すると「ついに人の体が読めるようになったか」と思い上がった時期もあった。
FTもORTも、従来からある鍼灸の診断法と比べると画期的であり、まさに革命的である。
有頂天になった私だったが、なぜかうまくいかないケースにもたびたびぶつかる。FTで鍼灸に開眼する人をみているとそれは素晴らしい技術であることは疑問の余地はなかった。
スバラシイ診断法であることにいささかの疑いもないのだが、いかんせん人間の感性によるところが大きく、なかなか誰でもが習得できるものでないようにだんだん思えてきた。
「これではイカン」とわたしは思った。目指すものは、いわば凡人が使える、万人が効果の出せる、伝承可能な方法でなければ意味がない。
そうだ入江先生も天才だったのだ
そもそもわたしは、鈍感な治療家代表であったはずだ。入江先生もしょせんは天才。天性の感性がない凡人には救いにはならないのか・・・とガックリきた。
一時、は脈診などと違っておれも遂に人間の体がある程度読めるようになったかと得意になった時期もあった。
しばらくやってみると、大村先生の開発されたOリングテスト、入江先生の開発されたFTも従来の診断法よりは、数段スバラシイものであることには違いないが、やはり術者の感性に依存している以上、分かる人間と分からぬ人間がいて、どうやら私は分からぬ方に属するのでわないか と言う気持ちが強くなってきた。入江先生の長年の虚しさはFTの完成によって癒された、御同慶の至りである、だがわたしの虚しさは癒されれない。
凡人がいかにすばらしいからといってゴッホやピカソの絵を描こうと考えること事態が間違っている。 入江先生も天才だったのだ。
すごい人が沢山いることもわかり、人間の感性のものすごさには感心した彼らに比べてなんと情けないこと。
やがて、その種の人たちに共通するパーソナリティーがあることにだんだん気がついた、天才、サイキックな人、超能力を持っている人、彼らは凄い 凄過ぎる やがて彼らの能力 治療能力 は勉強や訓練によって後天的には習得でなきないことに気がついた。
彼らの苦しみ方を見ているとき、幸か不幸か 自分が全くそのような性向をもっていない事をむしろ喜ばなければならぬような気がしてきた。
そして、開き直った、わたしのような鈍なる凡人にこそ必要なシステムがツボであり経絡であるはずだ、天才が非凡な成果をあげるためには、何も必要なかったのだ。
いっそのこと器械でツボを探ってみたらどうだろう
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それからわたしは凡人の道を模索しはじめた、ツボの探索にも最初から人間の感性に寄らぬ方法もないことはない、 中谷義雄先生の開発されたノイロメーター等だ、これは、あらゆる意味で人間の感性を無視した点で凡人の道具だ。
せっかくわたしの悩みを救ってくださった入江先生、そしてFTではあったが、こうして新たな迷いは続くことになった。
感性に差があるなら、まったく感性に頼らない器械でツボを探るのはどうか。実は、これは既に開発されていた。
中谷義雄先生が開発されたノイロメーターなどだ。これは良導絡として今も受け継がれ、この器械を使って治療をしている先生がたもたくさんおられる。
器械を使ってツボを探るのだが、教科書的な説明をするならば、良導路・良導点の理論的な根拠は皮脂腺の反射だ。皮脂腺反射は自律神経系の反射のひとつであり、交感神経性の皮膚分節に現れる。
ひらたくいえば、自律神経の調節が狂っているところは脂っぽくなっていて、そこは電気が通りやすくなっている。電気が通りやすい点がすなわち“ツボ”というわけだ。
鍼灸の刺激は、筋肉や神経にも直接届くけれども、なによりも自律神経に作用し、体全体を整えるという効果が大きい。だからこそ、交感神経優位の点を探してそこを刺激し、副交感神経とのバランスをとるという治療が求められるというのだ。
この器械を使ってみると、なるほど明確にツボの位置がとれる。この方法でとった特異点は従来の反応点と比べて治療点として使えるという点で画期的であった。
ただ、伝統的鍼灸教育を受けた人間の悲しさか、器械に頼るのはなんとなくカッコ悪い、気、血の虚実の補寫と電気の関係は という声がどこからか聞こえる気がする。
もちろん、私は良導絡を否定しているのではない。良導絡の器械を使ってきちんと治療するほうがはるかに効きがよいし、なにより良心的な治療家といえる。
ただ、器械の値段も安価とはいえないなど、万人向けとは言えないきらいがある。
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Fig 1 |
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そんな折り、医療器械を研究している知人(三鷹電工所)がツボセンサー (Fig1)を開発した。手のひらに乗るほど小型のサイズで、電源は使わない。持ち運びも使い勝手もよく、面白いようにツボがとれた。
思った通り、同じ人間の同じツボでも日によって場所がずれたり、体調によってツボが現れたり消えたりするのがはっきり分かった。ではこれで万事解決かというと、これも器械であることに違いはなく、故障の危険から自由ではなかった。
それなら、これを教育器具として使うのはどうか。
つまり、このツボセンサーで検出したツボを、自らの指先に覚え込ませるのである。治療院のアシスタントにもやらせて、自分でも必死に練習した。なにしろ正解が分かっているわけだから、やみくもに探るよりずっと簡単なはずだ。
「これがツボの反応か!」と指先で感じられるようになれば、正確なツボがとれるようになる。すなわちよりよい治療ができるわけだ。ところが、これは惨敗だった。 センサーでは分かっても、指先ではちっとも分からない。
「分かるような気がする」ではダメだ。凡人全員が「ここだ!」と確信できる点でなければ。
さてどうしたものか・・・
正解を書いた旗の回りを、無駄な時間を費やして、ただぐるぐると回っているような気がしていた。
手の届くところに私の目指す診断法があるような気がする。
でも、進んでも進んでも届かない・・・・・・
もう一度、原点から
元来鍼灸医学では、生体の病変全てを対表面の変化に変換し、これを類型化することによってその体系をつくりあげてきた。したがってツボ、経絡という生体の微小反応に帰納しなければ疾病に対応できない。さらにいえば治療効果としての変化は期待すべくもない。
てい鍼を上手く使う事によってツボという人体のシステムが凡人にでも活用できるようになったのではないか。
本来システムとは凡人のものである、凡人が非凡な結果がえられるものそれがシステムのはずである。
天才に本来システムは必要ない、一代限りの名人芸があることはみとめる。
だが伝承できない。 私でもわかるなら誰でもわかる!!
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ツボの歴史 |
原典 |
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『鍼灸甲乙経』 |
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皇甫謐の作、古典中の古典、ツボは経絡上に配置されている。 |
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『鍼灸大成』 |
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楊継洲の作で理論的に書かれた。 |
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『鍼灸資生経』 |
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王執中の作ではツボの部位とその主治、鍼灸法や取穴と治療法などが記載された。
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『十四経発揮』 |
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滑寿 経穴には正穴と奇穴があり、正穴は14本の経絡(任脈、督脈と12正経)に属すとの記載。 現代経穴のルーツ。 |
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てい鍼の歴史 |
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てい鍼の歴史を文献で探してみると、霊枢の 官鍼篇 九鍼論篇 九鍼十二原篇の中に不明確ではありますが、その萌芽のようなものがみうけられます。
明確な記載が認められるのは、後代の『古今医統』 『類経図翼』 『鍼灸逢源』などの文献です。
使用目的も邪気を出だし、脈を疎通するという程度でそれ以上の使い方のノウハウは記載されていません。
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