自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・大分水嶺「善知鳥峠(うとうとうげ)を越える」
176.  塩尻のω(オメガ)カーブを登る ・中央東線 /塩尻−東塩尻

〈0001:bO1-10−1−5:ωカーブにはいりかけたかん〉



〈0002:bO1−10−1−6:9ωカーブの銭宮踏切通過の辺りか−〉


〈0003:bO1−10−2−2:三嶽トンネル近し〉




〈0004:鳥居寛治さま撮影の“SL善知鳥峠(うとうとうげ)号”〉
これは、塩尻〜小野、間のオメガカーブに入った所の俯瞰(ふかん)ふうけいであ

・写真の典拠:
写真集「蒸気機関車」 復活、編(鳥居寛治さまのサイト)
http://www.geocities.jp/torii0103/
の中の「善知鳥峠号から。
また、直接には
http://www.geocities.jp/torii0103/uto.html
のなかの「uto.htmluto01s」

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〈紀行文〉
 前のサイトで、辰野から伊那谷の北端をの約13qで標高差 46mをゆっくりと登って善知鳥峠(うとうとうげ、標高 885m)まで北上したが、地形的には穏やかな風情であった。今度は逆にた松本平の南端にある塩尻から急斜面をはい登る善知鳥峠越えをたどってみよう。こちら側は塩尻駅から標高 812mの東塩尻信号場までの標高差 96mを25‰の最大勾配で約4.5qのω(オメガ)カーブで踏破する難路であった。(昭和40年代当時)

このような厳しい峠超えを強いる松本平側の特徴的な地形について少し述べておこう。
この松本平の南部は西側の北アルプスは前衛の山々が張り出しており、それに対向する東側の筑北山地も鉢伏山や高ボッチの前衛の山並みがそびえている。そして南端は北から中央アルプス(木曽山脈)が北端に位置する経ヶ岳(標高 2,296m)で方向を東へ変えて霧訪山(きりとうさん、標高 1,305m)を経て、善知鳥峠の先で、南アルプスからの北端の尾根と、筑北山地の尾根とが交わる塩尻峠(標高 1,020m)へと続いている。
そして、この霧訪山から大芝山(標高 1,210m)、善知鳥山(うとうやま)へが石灰岩層を含んでいる山地であったから、水の浸食に強い石灰岩がのこり、弱い地質の岩は流れさってしまい、急斜面となってしまっていた。特に大芝山はカマボコ状の細長い形で、そこから洞ノ嶺(城ヶ岳、標高 1,199m)のそびえる東北支尾根が張り出している。この霧訪山から大芝山、洞の峰と続く山地は北に開いた大きなカーブを描いているきゅうしゃめんとなって塩尻のある桔梗ヶ原の台地へと続いていた。塩尻からの中央東線は、この急斜面に続く山麓の等高線を忠実になぞって大きく弧を描きているωカーブの線路をはい登って高さを稼ぎながら峠を目指していた。ここが「善知鳥(うとう)峠越え」として知られる撮影名所であった。
このΩ(おめが)カーブというのは、道路や鉄道の線路の形状が地図上からや航空写真上からギリシャ文字の“Ω(おめが)”に似ていることに由来している。日本のΩカーブの道路としてで名高いのは、名阪国道の天理東ICから福住ICにかけて続く急カーブ・急勾配の連続区間を指していた。一方の鉄道では、飯田線の伊那福岡〜田切 間では、大きく谷を迂回し、小さな橋梁を渡り、再び回りこむように谷筋を上っていく様子が見られる。また釜石線にはトンネルの続くΩカーブがあって、昔は“タコの頭”と呼ばれていたそうだ。世界的に有名なのは、アメリカのペンシルバニア州のアルトゥーナ(ALTOONA)の「ホースシュー(馬蹄) カーブ」である。ここはペンシルバニア鉄道が1854年に開通させた区間で、アパラチヤン(アレゲニー)山脈を越えるための勾配緩和のために造られた曲線で、その最小半径は186mで、複線のルートは今もれ現役であり、国の歴史的記念物となっている。
このような線形が現れたのには、明治中頃の技術も資本も資金も不足していた時代じは、長大なトンネルを掘削することができないので、ひたすら山を登って稜線付近で短いトンネルを掘削して峠を越えざるを得なかったからである。これらと比較して、塩尻の大カーブが日本を代表するωカーブであることには疑いはない。
ここで塩尻から東塩尻信号場までの沿線をたどってみよう。当時の塩尻駅は現在の駅から岡谷方面へ約0.5qほど東の塩尻大門と呼ばれた東京−名古屋間の中央本線上に位置していて、広い貨物ヤードにある側線でC50蒸気機関車が貨物の入れ替えに四六時中働いていた。
その西側にあった塩尻駅を発車した上り列車はヤードの中頃にある中山道架道橋を渡って市街地を抜けると右側の「上野山」のすそに沿ってカーブしを切りながら登に始めた。およそ1,6qほどのの右手には「六地蔵蔵尊」を門前に祭った西福寺の山門の前をすり抜けた。お地蔵様は眼前を通過して行く列車を見守っておられるようである。この六体のお地蔵さまは、全ての生命が地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の6つの世界に生まれ変わき繰り返す六道輪廻(りんね)の世界あえいでいるひとぎとをそれぞれの世界で救って下さる姿であるというのであった。
ここの辺りでは既に勾配はかなり厳しくなっているのであろうか、猛然と煙を吐きながら「上の山」の裾を横切って行くようだ。集落の名前で云うと、下西条の山崎から石川あたりまで列車からの展望は広がっていた。この辺りから大カーブが始まっているはずである。それからちょっと視界が閉ざされたが、やがて、銭宮の辺りから最大勾配に入ったようだ。ここから南側に立ちはだかっている霧訪山(きりとうさん)を源にして北に流れ下って来た矢沢川を渡った。この川は間もなく塩尻峠を源に西に流れ下って、みどり湖と云う農場用ダムを経て流下する田川に合流する。この川は名の示すようにこの一帯の豊かな水田を潤す河川で遠くで奈良井川に注いでいるから日本海に流れる信濃川水系に属していた。
このωカーブの線路から一段と低い所には昔の三州街道(伊那街道で、南の塩の路)が通じていて、下、中、上の三つの西条の集落が並んでいた。このあたりの集落は広くて大きな家が多く、道沿いに立派な蔵がいくつも見られたのは稲作収入の多さを示しているようだ。やがて、塩尻から約4qほど登った辺りでωカーブが終わりになって、カーブは反転し、松本平に張り出した洞の峰の北東尾根に沿うことになる。やがて、最初の短い三嶽とんねるに入る汽笛が聞こえてくる。このトンネルと次の寺山トンネルとの間の線路は城跡のある飯綱山の高い山肌を走っており、そのすそには六地蔵がある常光寺の境内となっている。やがて、少し長い寺山トンネルに入って行く。このトンネルの切り通しを抜けると、左側に信号場の下り方向の引き上げ線の築堤が見えて来て、シーサス クロッシングは近い。ここが東塩尻信号場である。
そのトンネルを出た先に、上西条の集落から東塩尻仮乗降場のホームじ通じる歩道の寺山踏切が設けられていた。
その最初のトンネルは三嶽トンネルであって、中西条にある三嶽神社の左手情報にあって、このトンネル上からはωカーブを登ってくる後補機付きのかもつれっしゃの奮闘振りの一部始終を見届けながら、山々にこだまする汽笛、ドラフト、レールのジョイントを通過する車輪の音を、そして流れてくる煙の匂を感じることができた。しかし、塩尻の市街や松本平の展望を入れて撮ることは難しかった。
最初の下西条から寺山トンネルに入るまでずっと見ていて、貨車の輛数を数えたり、機関車が何台ついているのか、る重連なのか、後補機なのかなどが興味の的でもあった。それに、時には、途中で登れなくなって石川あたりまで戻って、また上り直すことがあったり、また、山崎あたりの線路端の山が火事になった時には、間断なく汽笛を鳴らしていたと云う。
私はωカーブを俯瞰しながら塩尻市街や北アルプスへの山々を背景にした写真を撮ることが出来なかったが、鳥居寛治さまのサイトで素晴らしい写真を発見したので御願いして第4番目の写真として転載させて頂いた。ここに厚く感謝を申し上げます。
これは、塩尻〜小野 間のオメガカーブに入った所の俯瞰であった。すぐ下には西条の集落が見えている。オメガカーブの中程にある銭宮踏切左手の高台に登れば北アルプス前衛の山々と塩尻大門の市街を背景にオメガカーブを登って来る列車を、また反転して寺山トンネルに向かう列車を高ボッチ高原の山並みを背景に追い掛けることもできる撮影ポイントであった。
 蛇足だが、ωカーブから松本平を一望に俯瞰しながら、戦国時代の山城跡や360度の大展望のできる山頂を巡る尾根歩きコースが設けられている。これは、ωカーブの中程にある銭宮踏切りで大きくカーブした線路を渡って矢沢側に沿って神の山自然園入り口から、東北への支尾根を登って西条城跡のある洞ノ峰を経て、東野善知鳥峠の鞍部へ向かう山稜に合流して大芝山(標高 1199m)から霧訪山への登山路があるのだが、ここでは東塩尻信号場直下の上西条の常光寺から東北に衝き出た支尾根筋に連なる三つの戦国時代の山城跡をるルートをたどってみた。先ず、この寺の左手にある道を南に登って行くと中央本線の線路が見えて来て、東側にに寺山トンネルがある。これを北側から尾根伝い登って行くと尾根の先端部に出ると、ここに平坦部があって、標高約930m、比高約190mの飯縄城跡がある。ここから南に約0,6q登った所に次の標高 1031m、比高約290mもある嵐城跡となる。その先の深堀を越えて約1.2q南り尾根の急坂を登って、標高 1199mの高所にある西条城跡となる。ここは洞の峰の頂上にあって、その比高は約450mにもなる。この尾根図対に伊那、木曽へ通じていたから松本(深志)を拠点にする小笠原氏の南への防御拠点であった。この比高の大きい山容が出来たのは、この山並みが石灰岩からなっているからで、その石灰岩が他の岩石に比べて侵食に強いため、石灰岩の周りの岩石が侵食により削り除かれて急斜面のとなったと説明されていた。
この先で中央ルプスの最北東端に当たる霧訪山から善知鳥峠へと続主稜線にある大芝山から東北に分かれた尾根につながっていた。左手へは石灰石の採石をしている鉱山が営まれている善知鳥山から国道153号の越えている善知鳥峠へと向かい、右へは石灰岩からできているカマボコ状の細長い形をした大芝山で、その山頂付近は、ほとんどが明るい草原であった。その先は霧訪山に続いており、この辺りから西の稜線には石灰岩はもう見られず、砂岩や泥岩となっていた。この山頂からは槍ヶ岳もわずかニ顔を出している松本平の景観が素晴らしい。

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・「大分水嶺「善知鳥峠(うとうとうげ)を越える」シリーズのリンク
274. 「大八回り(辰野経由)」ルートを行く・中央東線/岡谷〜塩尻
275. 善知鳥(うとう)トンネル & 東塩尻信号場・中央東線/小野−東塩尻



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