自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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124.   ペンシルバニア州立鉄道博物館素描


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〈紀行文〉
 最初にストラスバーグを訪ねたのは1978年の遅い春の季節であったが天候が悪く旅人もまばらであった。何しろ生きた蒸気機関車の走っているストラスバーグ鉄道の方に気を取られて新装なったペンシルバニア州立鉄道博物館はフェンスの外から留置線にシート覆いを掛けられて冬眠中の収蔵された機関車群を眺めただけであった。その年の盛夏にデトロイトの私を訪ねて来たワイフと共に再びストラスバーグを訪ねることになり、この時には、撮り鉄を諦めて、蒸気列車に乗り込んだり、鉄道博物館の陳列物をゆっくり拝見することができた。残念ながら、未だ屋外の蒐集した車輌類の大半はシートを被せられたままであり、僅かに数量がフェンスに沿って並べられている程度であった。
あれから30年の今日の充実振りはWEBサイトで見る限り大変な発展振りであることが判って、この写真を載せるのはいささか気がひけるのだが、“アメリカの鉄道の津都 ストラスバーグを訪ねて」と題したシリーズの一枚として私の訪問した1978年に取った写真を敢えて掲示したものである。今ならさしずめ、テツドウファンのハイライトを浴びているであろう流線型電気機関車“GG1”、鉄道に初めてインダストリアル デザインを施したRaymond Loewyさんの作品であり、またニューヨーク〜シカゴを走った特急旅客用のパシフィク蒸気機関車“K 4”をご披露するべき所なのだが。
 さて、鉄道の黎明(れいめい)期から他の州に先駆けてリーダーシップを取ってきていたペンシルバニア州には鉄道博物館がなかった。世界最大の蒸気機関車製造会社 BLW ボールドウイン機関車会社のお膝元のフィラデルフィアにはフランクリン科学博物館の中に鉄道ホールがあって、BLWの60,000ろろ号記念記感謝が展示されているのみの寂しい限りであった。しかし、関係者の努力がみのって、1963ねんになって州立鉄道博物館の設置が州で決定さて、多くの候補地のなかから当時長年続けてツーリスト列車を運転しているストラスバーグ鉄道の隣接地が選ばれ、1972年に着工したのだった。
この博物館の設置目的のひとつであるペンシルバニア州を代表する鉄道 PRRが長年蒐集し保存してきていた歴史的車輌たちを収蔵して、ペンシルバニア州の鉄道発展の歴史を転じするよていであったのだった。
このPRRは昔から歴史的機関車の保存に熱心であり、PRRコレクションと呼ばれる車輌群を保管していたからである。そして、またPRRは1923年には全米の10%に当る7500輛の蒸機を保有し、一方ではタービンによる直接駆動の蒸機や8000馬力の4-4-6
-4 型などの蒸機を開発するような優れた第一級の鉄道会社であったのだが、か残念ながら旅客鉄道の終焉の頃には財政的ゆとりがなく、そのために近代旅客蒸気機関車たちを保存できなかった。そして、当時のPRRはお定まりの鉄道斜陽の次代に抗しきれずに、競争相手であったNYC(ニューヨーク セントラル)鉄道と合併してPC(ペン セントラル)鉄道を組織して生き残る道を選んだのが1968年のことであった。この新しい会社のトップは元PRRが長年大切に保存して来たPRRコレクションの中の蒸気機関車たちをミズリー州のセントルイス郊外に展開していた ナショナル交通博物館にに移管する計画を1969年の初めに発表したのだったのが、このトラブルの発端であった。そこで地元の関係団体や州政府も入って、この移管計画に反対し、既定方針通りにペンシルバニア州内に留めるべく活動を展開し、事なきをえたのであった。そこで州は直ちに予算を組んで、このPRRコレクションの買収に取りかかった。そして1969年の10月には早くも一部の移動が開始され、そのご博物館の開館の1975年まで数回に分けて移管が完了した。しかし、この間にも貴重な機関車たちが収蔵の手のひらからすり抜ける事態は少なくなかったようだ。
私の訪ねた1978年には元P R R を
中心に多くの蒸機が静態保存されていた。
とうしょ、屋内展示ホールはは四本の並行した留置線で構成されていた。それに連絡する屋外の留置線は、18線が元 Readin鉄道から来たターンテーブルを中心に配置されていたが、未だ整理中で未公開であった。
 先ず、この屋内ホールで撮った写真には、何とか♯7002、bP187、bQ0の3台を見ることが出来た。これらの機関車の来歴を列記しておこう。


ペンシルバニア鉄道博物館内風


 最初に、♯7002はヘットライト マーカーのライトが点灯していて、ナンバーが浮き上がっていて印象的であった。この機関車は制式には「Pennsylvania Railroad ♯7002、4-4-2の車軸配置 Atlantic タイプ」であって、世界最高速度記録を1905年に時速 127.1マイルを出している祈念機関車なのである。
PRRの JUNIATA工場で 1902年に製造された class E7s であって、1902〜39年までに♯7002〜8063まで多数が製造された。
実は世界最速記録を出したのは♯7002だったのだが、1937年に廃車スクラップとなってしまっており、1949年のシカゴ鉄道博覧会(Chicago Railroad Fair)に出品するために現存していた♯8063を♯700にへ改番したのであった。その後1979年にペン セントラル鉄道からペンシルバニア州立博物館に献納された。
 次のPennsylvania Railroad ♯1187は“JOHNSTOWN FLOOD ENGINE"と呼ばれている有名な機関車で。このコンソリデーション タイプの貨物機はPRRのメインラインであるフィラデルフィア〜ピッバーグを結ぶ幹線のほぼ中間に当たるJOHNSTOWN機関区に配属されかつやくしていたが、1889年に起こったオハイオ河の支流アレゲニー河の上流のダム決壊による大洪水に14輛の同僚とともに被災した経験を持っているからである。
コンソリだから2−8-0の車軸配置の H-3クラスで、PRRのALTOONA工場で1888年に製造されたが、このタイプは1885〜89年の間に377輛もの多くが送り出された。弁装置はスチブンソン式である。
この機関車の特徴はベルギーのAlfred Belpaireさんの発明した“Belpaire Firebox”を最初に採用したことでしられる。この方式は火室上部の広い表面積を確保して熱伝導と蒸気発生の増大を狙ったもので、方形の火室と円筒形のボイラーとをスムースに接合する工夫をしたもので、rectangular shapeと云われる角形の火室のスタイルはPRRの蒸気機関車のトレードマークとなった。約25年もの活躍の後に採石場へ譲られて稼動していた。
この♯1187がPRRのJUNIATA工場で製造されて現存する最古の機関車であったことが幸いしてPRRに買い戻されたのである。それは1939-40年に New Yorkで開催された World's Fair(世界博覧会)へ出品するPRRの最古の蒸気機関車として選ばれたからであった。その後 Northumberland 機関庫に収蔵されていたPRRコレクションの仲間に加えられた。1979年にペン セントラル鉄道から博物館に献納された。

最後に、1980年代の薪焚き蒸気機関車の姿を見せているのは Virginia & Truckee Railway ♯20 の “Tahoe”である。この機関車はフィラデルフィァで操業した世界最大として知られるBaldwin機関車会社(BLW)の製造した現存する最古の機関車の1つとして博物館が探し当てて来た貴重な収蔵品であり、1875年製造以来西部のネバダ州でかつやくしていたが、93年振りにペンシルバニアへ里帰りを果たしたのであった。
この機関車は自重38トンの、2-6-0の車軸配置の もーがる タイプであって、金銀鉱山のある Virginia CityからCarson Cityまでの21マイルのショートラインで51年間の活躍を1926年まで続け、戦後の1945年に売却された。そして各地を転々としていたが、最後の稼働は1948ねんであった。1968年にカリフオルニア州のClifford C.Bong & Co.社から買収されたのであった。

次の写真は、未だ屋外展示場が公開する段階まで整備が完了しておらず、すでに美しく復元された僅かの車輌は道路から金網の柵越しに観察出来るように留置してあった。


PRR ♯6755 ペンシルバニア鉄道博物館に


 公道に面した金網柵越えしに観察できた車輌の中の白眉が Pennsylvania Railroad ♯6755であった。
この煙室扉にはペンシルバニア州のシール(州章)である「キーストーン(かなめ石)をかたどった“ keystone shaped numberplates”(キーストーン型なんばーぷれーと)が美しく化粧が施されていたのが印象に強く残った。
これは 4-8-4 の車軸配置のまうんていん タイプで、PRR class M1bであり、自社工業である Juniata工業で 1930年に製造された。
この形式は山岳地帯で高速の貨客兼用サービス用として試作機 #6699が1923年に作られ、3年の試験の後に301輛が量産されている。特に、大陸横断ルート仕業にはテンダーの積載容量を31トンの石炭、22,090 ガロンの水に増加させて長距離運転に対応していたと云う。
この設計上の特徴として、蒸気のシリンダーへの供給経路が内部からとなり、煙突の後ろにワシントン式給水温め器、両サイドに復式コンプレッサーなどのせっちがあり、火室内循環水管の設置などによって蒸気圧力が250 pounds per square inch (1.7 MPa)から270 lb/in2 (1.9 MPa)に増加している。そして直径 72 inch(1.8 m)の動輪、シリンダー
27 × 30 inch、機関車重量 175tonsによって、牽引力  64,550 pounds〜
69,700 poundsを発揮していた。1957年に引退した。ただ♯6755のみがNorthumberland機関庫のPRRコレクションに残った。

さて、その他の目に付いたコレクションを挙げておこう。
・“JohoN BUll” (レプリカ:実物模型)
2-4-0 1940年に PRRのALTOONA工場で製作
この蒸機機関車はイギリスの STEPHENSONで1831年に製造され輸入され、フィラデルフィアの対岸にある港町 Camdenから、北方へ50マイルの所にあるア Amboy港(ニューヨーク市よりハドソン河口を挟んで南20マイル)に至る鉄道 Camden and Amboy Railroad(C&A鉄道)の開業に使われた。元来は 0-4-0 であったが、走行の安定性を確保するために先輪をつけるために連結棒を外して、2-4-0 という車軸配置となり、長く使用された。この蒸機のアメリカの機関車の発展に果した役割は大きく、この車軸配置は“アメリカン”と呼ばれている程である。
実物はワシントンのスミソニアン科学歴史博物館に保存されている。
このC&A鉄道はPRRの前身に当たることから祈念車輌としてPRRがレプリカを転じようとして制作した者である。
・♯5741
4-6-0 “テンホイラー"PRR G-5sクラス
自重116t、71インチ動輪,、フィラデルフィア〜ピッツバー グ間旅客用機関車。

 この他に森林資源の豊富であったペンシルバニア州内での森林鉄道用として活躍したギヤードロコの代表二タイプが収蔵されている。
・Leetonia Railway No. 1 
65 ton three-truck、3CYLINDERS geared Shay locomotive
Lima 1906製
縦型並列3シリンダーによるギャード機関車。
ペンシルバニア州内の木材会社に所属。
1966年にGeorge Silcott.から買収。
・♯4
two-truck Heisler
Heisler Locomotive Works(ペンシルバニア州ERIE市)、1918年製
V字型に配置されたシリンダーのギャード機関車である。
1966年にChicago Mill & Lumber Co. より買収。
ペンシルバニア州 Erie市で発明された森林鉄道用ギャード機関車である。

撮影:1978年
発表:「れいる」誌・1981年4月号



・「“Railroad Town USA” Strasburg を訪ねて(ペンシルバニア州)」リンク
123.Light Dcapod(十本足)の走るストラスバーグ鉄道
127.ストラスバーグ鉄道の「アメリカん」と「キャメルバック」