自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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095.  “Amrican Freedom Train” ・B&O鉄道博物館/メリーランド州


〈0001:〉
American Freedom Train姿の♯210

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〈紀行文〉
アメリカ滞在もやがて終わりを迎えようとしていたので、今年の冬はもう一度大西洋岸のメリーランド州のボルチモアにあるB&O(ボルチモア・アンド・オハイオ)ッ鉄道博物館を再訪して別れを告げようと思いたったのは3月に入ってからであった。事前に様子を確かめてはいなかったこともあって、博物館の玄関口に当たるアメリカ鉄道の発祥地点とされるMount Clare (マウント・クレアー)駅舎の真っ正面には、白と赤とブルーに色分けされて、大きな総統の鷲のエンブレムをテンダーに描かれた“American Freedom Train (AFT)”(アメリカン フリーダム トレィン)の“AFT−1”の出で立ちをした♯2101に出遭ったのには驚かされた。この機関車は私が5年前にアメリカに来て最初に出遭ったメインラインの蒸気機関車がこの元レーデング鉄道の♯2101であったからである。そこで、早速、カメラを持ち出して何とか高くそびえる円形のガラス窓をもったドーム状の円形機関庫の博物館を背景にAFT姿の♯2101を入れて撮影したのがこのショットである。
この機関車ほど恵まれた機会を得た蒸気機関車も少ないだろう。
先ず無煙化によって仲間が次々とスクラップと消える中にしぶとく生き残って、各地で遠足列車運行の先頭に立って活躍している中を、1975年から2年間アメリカ中を巡回した建国200年記念の“AFT”の第1号牽引機関車に起用されたことであり、その後続いて1977年にはアメリカ鉄道100年を記念するB&O鉄道誕生100年記念列車を牽引して走り、更に続く1978年には、その名残を留めたまま「チェシー スチーム スペシャル」の遠足列車を引いて活躍したという輝かしい経歴をもって、本来の石炭列車牽引時代の活躍に花を添えている。ただ、ここに連結されている石炭テンダーはAFT−1で活躍したテンダではない。不運な保管中の火災でダメージを受けたためにスペアーとして保存していた♯2100機のテンダーを転用していることを付け加えておこう。
そして最近の情報(2007年)では、“American Freedom Train (aft)”としての歴史的記念物にしていされて、ワシントンのスミソニアン歴史科学博物館に献納されたと伝えられている。そこで、このアメリカ建国を記念した列車の“AFT”のS史についていささか受け売りをお許しいただきたい。
アメリカの建国100年祭には1876年に開催された“Philadelphia 
Centennial Exposition”(フィラデルフィア建国百年大博覧会)がもよおされており、世界第二次対戦後には第一代となる“AFT”が全国を巡る記念行事が催された。
これは“The 1947-1949 Freedom Train”と呼ばれ、弁護士 General Tom C. Clark さんが独立戦争後の年に承認された自由の原理に再びアメリカ人を目覚めさせようとするアイデアであり、直ぐにハリー・トルーマン大統領などの承認が与えられたと云う。そして三輌の展示車には有名な歴史的書類を中心としたこの国の歴史をてんじすることとなり、それにはワシントンの執筆になる憲法と独立宣言の原本が筆頭となり、各州の設立議案などもコレに続いた。
そして“Freedom Train”の公式songが作られ、Bing Crosby と the Andrews Sistersにより歌われた。
7輌編成の“Freedom Train”を先頭に立って牽引したのは"Spirit of 1776”蒸気機関車#1776で、ペンシルバニア州のALCO(アメリカン機関車会社:実態はゼネラル・エレクトリックの傘下)が1947年8月に74696としてにアメリカン フリーダム トレィン用として建造して提供したものであった。最初の公式展示は1947年9月1日に最初の首府であったフィラデルフィア(Pennsylvania州でおこなわれ、)そして全国行脚に出発し、1949年まで掛かって37,000 マイルを巡回した。そして最期にメリーランド州のボルチモアに展示された後解散した。
終了後のSLは直ちに GM&O(Gulf, Mobile & Ohio鉄道)の292の貨客用として売却されており、1960年代にはスクラップとなってしまっている。
 所が1970年代の早い頃になると、建国200年を迎えようとシテいるのに、この頃はベトナム戦争の終結やウオーターゲート事件など芳しからぬ話題で溢れていることから、この世相に対抗することを考えた上で、人気の蒸気機関車の牽引する建国200年祝賀列車にこの国の建国以来の輝かしき歴史を示す文物を展示して全国を順行させ、これを人々に見てもらって、建国以来のアメリカン・ドリームを追求する志に目を覚まさせようとするアイデアを提案したのがニューヨークの住宅ブローカーで、非常勤の蒸機機関車の機関士を任じていたs, Ross Rowland Jrさんであった。それは彼のグループが1969年に「チームタウン」(世界最大の蒸機のコレクションを誇る鉄道博物館でペンシルバニア州ないにある。)所有の元んKP(Nickle Plate Road:ニッケル・プレート鉄道)の2-8-4 Berkshire 型蒸気機関車#759に牽引させた遠足列車“golden Spike Centennial Limited”(大陸横断鉄道100年祝賀特急列車)を含めた遠足列車運転の成功現象を経験していることから「蒸気機関車が“人々を引きつける磁石”であることを熟知していたからであった。そして、1973年になると、"American Freedom Train”のアイデアを推進するために、列車を編成する車輌を塗装して啓蒙をはかった。それは白とブルーの屋根、広い赤のストライプを窓の回りを前後に通関して塗装し、最初の車輌には"American Freedom Train"のレタリングを屋根の下に、200のレタリングヲ窓の下に飾り付けた。これらの車輌と同様に塗装した D&H(Delaware & Hudson:デラウェア・アンド・ハドソン鉄道)の蒸気機関車#302 (これは実際に元Reading鉄道の T-1クラス  #2102)牽引する1973年五月のアイロンホース 遠足行事として行ない大成功を納めた。
これらの結果を記したレポートが取り挙げられて、第二代の“AFT”のスポンサーとしてnth-hour corporate sponsorshipが設立されて実行に移された。
その全貌は、ここを訪れた人々は12輌の展示車輌の先頭の入り口からはいり、巨大なガラスケースやガラスウインドウ中に飾られた500点を越える輝かしき建国の宝物を見学しながら通りぬけることになる。その展示には、ワシントンの憲法草案や、ルイジアナ買収条約原典、Judy Garland's dress from The Wizard of OZ、Joe Frazier's boxing trunks、Martin Luther King's pulpit  robes、 月面から持ち帰った岩石などが数えられた。
そしてAFTを牽引する蒸気機関車は3方面用として三輌が現在稼働中の候補の中から厳選された。車輌は展示車12輌を含む24輌に補助DLを次位に連結した合計26輌編成となった。
AFTつあーは1975年四月1にちにWilmington(Delaware州)を出発して東北のニューイングランドを目指して全国行脚に旅たった。そして California州に達したのは1975年のクリスマスシーズンであって、乗務員もれっちゃもクリスマス一色に飾られた。蒸気機関車♯4449の先頭の煙室の前にはサンタクロースが飾られた。次いでツアーは続けられ、終わりには再び北に帰りPennsylvania州、New Jersey州、そして大西洋岸を南下して最期に1976年12月26日にMiami, Florida州で完結した。年末には帰着して解散した。
これは20世紀における最大の鉄道イベントであって、21ヶ月間55,833 マイルの走行中には、76カ所で停車展示を行い、7百万人が見学し、400百万人が列車を見送ったと云う。
そして、第一代のAFTが陰も形も無くなってしまったのに懲りて、蒸気機関車ははそれぞれに戻り稼働に備えたし、客車もそれぞれの保存の体制に入っている様子が伺える。
先ず東部から中西部を走ったAFT−1の♯2101は引き続いて“Chessie Steam 
Specials”を牽引したが、その後保管中に火災で損害を受けて再起できず、この写真のようになっている。
太平洋側を走ったのは元SP(サザン・パシフィック)のDS−−4クラスの#4449であって、City of Portland (
Oregonシ州)の所有であり、元来のDaylightカラーに塗り直されていて、各種のイベントで活躍中である。このHPには サクラメント鉄道博覧会 1981に出場した写真が次のリンクに掲載されています。
〈10.SP 4448・ストリームライナー “Daylight”(アメリカ・カリフォルニア州)〉
 最期の南部を走ったのは#610:元 T&P(Texas & Pacific:テキサス・アンド・パシフィック鉄道)の2-10-4 "Texas型で、サザン鉄道の遠足サービスに四年間従事したのち、現在は Texas State Railroad State Park in Palastine,( TX州)に静態保存中である。この蒸機は当時稼働中の最大機であった。
その他に補記として活躍したのは BN(Burlington Northern、バーリングトンン・のーざん鉄道)のBicentennial Locomotives #1776, 1876, 5745, 5747 and 6907であって、SL故障の際には代役をも勤めていたのであった。
 蛇足だが、 ここで4年前の訪問記を付け加えたい。
冬のオハイオ州の休日には天候に左右される長距離ドライブを避けていた私は専ら空路で東部の「SLのある博物館めぐり」に励んでいた。ボルチモアを訪ねるチャンスを作ったのは、1979年秋に見た“Trains”誌のニュース欄に載った小さな記事であった。それには大西洋岸の東部のメガロポリスに沿って北のボスとん―ニュヨーク―フィラデルフィア―ボルチモア―わしんとんを縦貫して走る“AMTRAK”(アムトラック;アメリカ旅客輸送公社)の「ノースイースト コリドー(北東回廊)線」と連絡できる新しい“ぼルチモア/ワシントン空港駅”のオープンを知らせていたからで、間もなく私の滞在するオハイオ州のコロンバス空港からの直行便が開設された。そのボルチモアには所有者のB&O(ボルチモア&オハイオ)鉄道の経営難から閉鎖していた「B&O鉄道博物館」が1977年のアメリカ鉄道誕生150年記念行事として新しい持株会社となった“Chessie System”の支援の下で再びオープンしていた。
 この真新しい未だ接着剤の臭気が微かに漂っているボルチモア/ワシントン空港に降り立つと、“V字型”をしたターミナルビルであった。ここには二階建のハイウエーからの道路が接続し、地上の到着レーンとなっているのは不思議にも成田国際空港の最初のターミナルを一回り小さくしたレイアウトには恐れ入った。そして氷雪に覆われている外界を見て、迷わずタクシーに乗り込んだ。僅か50ドルの距離を走ると左手に大西洋が深く入込んだボるちもあ湾が雪空の間から漏れる逆行に光っており、ウォータフロントの岩壁には歴史の証人として帆式貿易船が係留されているのがちらりと見えて来た所で市街に降りた。僅か数百メートルの所に高いガラス張り天窓を乗せた円形ドーム式の巨大な蒸気機関車庫を付属したB&O鉄道博物館が吹雪の舞う中に姿を見せた。このドーム内のコレクションの白眉ハ、19紀初期の西部開拓時代の西進するエネルギーを今に伝えている大きなダイヤモンド型煙突と大きな反射鏡を付けた灯油前照灯を備えた薪焚き蒸気機関車の群れが転写台を取り囲んだ晴れ姿であろう。この日は中央の転写台にはB&O鉄道の初号蒸気機関車で、馬と競争したと伝えられる「親指トム号」のレプリカ(原寸大複製品)が原始的な姿を見せて鎮座していた。そして円形をした機関車の出入り口の並んでいる壁に沿って、有史以来に発明された蒸気機関車の実物大の木製模型が大切に展示されていた。これは戦前のシカゴ鉄道大博覧会のために制作された貴重な展示品であるとのことだった。
屋外には「ジョージ ワシントン」の名をもらったパシフィックSLや、C&Oの流線型特急SLなどがせいぞろいしていた。

撮影:1982年
発表:初公開
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・“チェシー・スチーム・スペシャル”を牽くリーデング鉄道♯2012号
022.アメリカ鉄道150年祭り記念列車発進(アメリカ・デトロイト)
023.リーデング鉄道の“ぶらつき男”・bQ012・B&鉄道博物館