自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・厳冬のオホーツク海岸(釧網本線)

084.  C58:流氷の北浜海岸 ・釧網本線/北浜駅


〈0003:31-69-5:北浜海岸に押し寄せた流氷群の展望風景〉
0003:海に迫った崖のの真下を国道と釧網本線が走っていた。釧網本線/北浜


〈0001:カラースライド:流氷で埋まったオホーック北浜海岸、釧網本線〉
0001:ギシギシときしむ流氷の上から:昭和47年2

〈0004:31-68-5:盛り上がった流氷の間に現れたSLの姿〉
0004:釧網本線・北浜海岸、昭和47年2

〈0002:bR30532:DE10+C58による無煙化準備中〉
0002:北浜海岸の流氷の最後の訪問、昭和49

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〈紀行文〉
 オホーツク沿岸の流氷とSLを撮ろうと思い津にてから、その足慣らしに5月連休や夏休みに名寄本線から湧く網線、釧網線を訪れた
このオホーツク沿岸の位置付けをしておこう。ここは菱形をしている北海道の北東面に当たり、この海沿いを走る「オホーツク国道」は最北端の宗谷岬からオホーツク海に突きだした知床半島の根本にある斜里町まで約330kmも続いている。冬になるとこの海岸には流氷群が押しよせてくる季節がやってくる。そこで流氷を車窓から眺められる場所は多いのだが、線路が波打ち際近くの砂浜に再接近している区間となると限られていた。最終的には、浜頓別から南へ下った興浜北線の辺り、名寄本線の沙留(さるる岬、それに網走から南東へ釧網本線の北浜海岸、斜里に近い止別の先と云うことに落ち着いた。そして一ヶ所ずつかたづけるべく厳冬の北海道へ旅をした。2月の中頃になって、流氷の接岸を確かめてから、札幌の丘珠空港行きのYS−11の夜行便に乗り込んだ。
そして翌朝の午前中は念願の塩狩峠の辺りを歩いて、午後3時半には「オホーツク海に最も近い駅」で知られる釧網本線の北浜駅にたどり着いた。列車を降り立った寒風のなかを急いで待合室へ入ると、大きなストーブには赤々と炎が燃えていて、そのまわりには暖を求める地元の人々や旅人たちが集まっていた。しばし時をすごしてから、近くの海辺の民宿へ向かった。転向は崩れるような気配はないようなので安心して眠りについた。
 夜明け前に厳重な支度を調えて、海岸に沿っている段丘の崖をに這い上った。ここからは氷結したトウフツ湖の雪原が一望に見えて、夜明け前の明るんだ東の空を逆行に煙をなびかせて驀進して来る斜里発の網走行きの一番列車を撮影した。残念ながら優雅にすそ野を引いている斜里岳は姿を見せてはくれなかった。何しろ寒くて、プレスカメラのレンズシャッターは粘り着いていたようだった。懐に入れた35ミリの望遠は何とか無事であった。次に急いで海を見下ろせる所に移動した。そこからは砂浜に押し寄せて、せり上がった流氷の大きな塊の重なり合って積もった渚を背景に国道に挟まれた線路を北濱を発車して快走に掛かるC58の姿を崖の上から俯瞰撮影することができて、一応流氷とSLの撮影は一旦終わった。
 そして、朝飯を済まして、今度は海側から念願の釧路行きの列車の北浜駅発車を撮りたいと身構えていた。宿の主人に云わせると、氷の状況次第では、上を歩くこともできるが、流氷は風にのって移動するんだから、陸から風が吹いたら流氷には割れ目が出来て危険になるんだよ、と念を押された。一方では、結構、体重をかけるとグラグラと動くものもあるが、接地はしているので、スパイクをつけて滑り落ちないようにすれば、そんなに危なくは無いし、そこで状態によれば、アイゼンとピッケルがあれば完璧(かんぺき)だろうとの意見もあった。また、長い竹竿を抱えて割れ目に落ちた時の対応が取れるようにすべきだとの忠告もを受けたのだった。そこで機材を最小限に絞り、竹竿の変わりにジッツオ製の長い3脚を伸ばして抱え込んで海岸から3百メーターほど沖に出掛けた。流氷はタイルのように見えるのだが、昔は小さな家ぐらいある塊が沢山ひしめきあっていたのだと聞いてはいたが、思ったよりも流氷は小さかったものの、重なりあって凹凸が激しく、歩くのは容易ではなかった。何かしらギシギシと音を発っしており、動いて居るようでもあった。とても詩情を感ずるどころではなかった。そして、20分ほど流氷の上で時の過ぎるのを待った。
後から写真を見ると風は陸から海へ吹いているようで、黒い煙が流氷のうえをはっているのが写っていてどきりとさせられた。
色温度のかんけいであろうか、ブルーに発色した流氷は実際の臨場感を余すところ無く表現しているように思われた。
  あれから30念も過ぎた今日この頃、流氷の人気は絶大で、北濱駅の付近では海岸線に流氷の上に乗らないように柵が設けられたり、高い展望台が新設されているとのことであるようだ。
このオホーツク海に一番近い駅として知られる・JR北海道の釧網本線北浜駅は、もう無人駅になってしまい、今は停車場と言うレストランに生まれ変わっているが、流氷をめざして訪れる人々にとってのオアシスであるのは昔と変わってはいないようだ。
この太平洋沿岸の釧路とオホーツク海沿岸の網走を結ぶ目的で、両側から建設が進められた路線は網走などに流された囚人らの手で建設された。1924(大正14)年、根室本線の池田から北見、網走を結んでいた網走本線(を延長する形で、網走〜北浜間の11キロが開業したことに始まる。つまり、北浜駅は釧網本線の中でも最も歴史のある駅と云えるでしょうか。
この辺りは昔は濤沸(とうふつ)と云う地名でしたが、「とう」が湖を表すアイヌ語であるため、同音地名が多かったことから、「北見の国)の浜、ということから「北浜」と云う日本的な命名がなされたと云われています。この地が流氷以外に有名なのは丹波哲郎・高倉健ら主演の 網走番外地のロケ地は北濱だということです。いぶん古い映画ですが、この映画で高倉健が脚光を あびるきっかけとなった出世作と云われており、また網走刑務所は正確に云えば番地もちゃんとあり、別に番外地というわけではないとのこと。しかし北浜地区には10年前まで番地のない所がけっこうあり、「俺は北浜番外地なんだぜ」と自慢したとの笑い話があるとか。
こんなことを書けるのも流氷の割れ目に落ちずに無事に生きて来られた賜と云えるだろうか。
それからも懲(こ)りずに流氷の季節が来ると北浜海岸に寄り道しをして、一本の列車を撮ってからでないと落ち着いてほかのロケーションに出かけられなかった。そこで厳選して二枚のショットを追加してお目に掛けた。

撮影:最初は1972年
発表:田辺幸男写真展・蒸気機関車日本縦断(1975」

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・厳冬のオホーツク海岸(釧網本線)のリンク
249.積雪の斜里岳をバックに・釧網本線/止別−斜里 間
250. 幻想の止別川(やんべつかわ)橋梁・釧網本線/浜小清水−止別 間
253. 雪景色の中の石北本線・網走〜常紋(信)