自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
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SL写真展 ( INJEX )
にある送付先へドウゾ。)
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・厳冬のオホーツク海岸(釧網本線)
250.
幻想の止別川(やんべつかわ)橋梁
・釧網本線
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浜小清水−止別 間
〈0001:31-7-3:幻想の釧網本線 止別川アーチ橋〉
〈0002:31-8-5:正真正銘の止別川橋梁〉
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〈紀行文〉
黒海道のオホーツク沿岸を訪ねて、湧網線沿線を撮ったフイルムを探していたが見つからないうちに、35ミリカラースライドをモノクロに転写したふいるむ2本が偶然見つかった。その中に、“止別(やんべつ)”とメモ書きのついた奇妙な画像が見つかった。すっかり忘れていた止別駅を調べてみて、やっと、それが湧網線訪問の時に足を伸ばして釧網本線の原生花園を早朝に訪れた時以後の記憶が蘇って来たのだった。この時は季節外れだったから、未だ訪ねたことのない浜小清水の先までの沿線をロケハンしてみることにした。この砂丘には3.8kmにもわたる遊歩道があるのだが、私はクルマなので国道244号を南下しつつ、所々で差ひゅうに登ってみた。しばらく行くと展望牧舎と云う僕場の中の展望台が会って馬があそんでいた。その先の北浜から6kmの辺りの国道の左側にむかしの砂利道の旧道があって、そこには水準点が残っていた。さらに1kmほど進んだ、浜小清水駅が近づいたと思われる所に、「古樋(ふれとい)展望台入口」があった。登って行くとの左手には標高23.7mを示す三角点がある丘陵の頂上で、オコーツク海の先には知床半島の山々、そして山すそを引いた斜里岳、その右は眼前に広々とした水面を見せた濤沸湖(とうふつこ)を全景にした藻琴山と続く展望が素晴らしかった。この“古樋(フレトイ”は小清水の古い地名であるようで、アイヌ語の「フル・ツイ・イ」(丘のきれている所)が語源であるそうで、いかにも小清水原生花園のの砂丘の終わりを示しているようであった。ここの麓の国道の脇にある窪地(くぼち)に「古樋駅逓(えきてい)跡」の碑がひっそりと建っていたのを見付けた。この駅逓は、明治19年、網走根室間の道路開通により設置され、駅逓取扱人が定められ、駅逓所属の牧場12万坪で、牛馬を飼育していた。駅逓は、旅人宿、食糧品取扱を主な業務とし、開拓のための移住者への便宜をはかるのを役目として、昭和4年まで活動していたとあった。前に見た馬の遊んでいた牧場は、その名残ではないだろうか。
やがて浜小清水駅前に到着した。わたしは国道がそのまま線路に沿って止別駅前を通って斜里へむかっているものとすっかり思いこんでいたらしく、そのまま南下した。途中で国道は内陸へ入った小清水の町を経由して斜里へ向かっているのに気がついて、あわてて線路の方へ入る小道を探して左折した。そしてウロウロしているうちに、「くの字」のように蛇行してゆったりと流れている止別川の岸に阻まれて行き止まりとなってしまった。そこでクルマをあきらめて、徒歩で止別川橋梁を探して撮ったのが、この一枚なのである。だが、この写真は個展へのの候補に入らなかったから、そのままアルバムに埋もれて時を過ごしていたのであった。
この写真を見た時、確か網走まで来ていた網走本線が、大正11年に着工して斜里まで開通したのが大正14年(1925年)のことだったから、コンクリートアーチが建設されるのには少し早過ぎる様にもおもわれたし、網走本線には大抵プレートガーター形式の桁橋が架けられていたからこれはおかしいと感じた。
そこでフイルムアルバムを再び調べ尚したところ、今度は“浜小清水”と書かれた昭和47年撮影のモノクロフイルムが見つかった。これは何故か列車の映像がブレていて鑑賞外のマークが付けられていて注目されたことのない写真であった。これは明らかに止別川鉄橋をすぐ上流に架かる町道のコンククリートアーチ橋の上から撮ったものであった。
何と、私が地図で国道と見間違えたのは浜小清水駅前から止別駅前を通って斜里へ抜ける町道であって、今では本数は4本と少ないものののこの町道を経由して原生花園を結ぶバス路線ともなっていたのであった。道を間違えなければ、このような二連コンクリートーアーチ道路橋を全景に釧網本線の止別川橋梁を撮ると云うようなことはなかったであろう。
確かに、この止別川橋梁は大正14年(1925年)の竣工で、全長 67m(12.2mX5連)のプレートガーター形式のれっきとちた鉄橋なのである。この写真の左手手前に写っている小高い砂丘は止別川の鉄橋を見下ろせる絶好の撮影ホイントデ知られていたようで、知床半島の海別岳(うなべつだけ、標高 1419.4m)をバックの正面に、オホーツク海を左手に、止別川を渡って来る列車を捕らえることができることがわかったが、後の祭りであった。昨今は流氷ノロッコ号を撮った傑作がHPに多数登場しているのは頼もしい。
ところで、この止別川は、屈斜路湖の北東に源を発して多くの湧水を集め火山灰土に覆われた深い森林地帯と開拓された肥沃な農地で占められている斜里平野の一角をなす小清水台地を潤してオホック海に注いでいる全長約 40kmほどの大きな川であって、その河口の近くに鉄道橋の止別川橋梁が架かっていて、その
背の低い橋桁の下を浜辺へ抜ける小道が通じていた。やがて秋の季節ともなると、鮭やカラフト鱒などの遡上する群が見られることで知られており、川面は禁漁だが、海面では釣りが出来るので、多くの人がこの小道をくぐって河口に集うという大フイーバー振りとなるとのことだった。おくれたが、この“止別(やんべつ)”の地名はアイヌ語が源であって、「寒い川」の意味であると云う。一方で、小清水は止別川の支流が「小止別川」とでも名付けられるところを、日本語に和訳して名付けられたと云うのも面白い。
撮影:昭和44〜47年
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・厳冬のオホーツク海岸(釧網本線)
84.★
C58:流氷の北浜海岸(釧網本線)
249.積雪の斜里岳をバックに・釧網本線/止別−斜里 間
253. 雪景色の中の石北本線・網走〜常紋(信)