自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役

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・アパラチアン山中の森林鉄道: Cass Scenic Rr を訪ねて・ウエスト バージニア州
065   森林鉄道の朝 Hysler  ♯6

〈0001:〉
森林鉄道の朝、ハイスラー ♯6は準備に忙しい

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〈紀行文〉
 今から十数年も昔の事であるが映画専門のキネマ旬報社から、その名もズバリの「蒸気機関車」と云う鉄道グラビア雑誌が発刊されていた頃のことである。確かな年月は忘れたが、台湾の阿里山(ありさん)森林鉄道で活躍する多くのシェイタイプのギャードろこを活写した報告が載って、私は深い印象をうけたことを覚えている。その頃の私の知識は、八幡製鉄所の構内専用線で溶融した銑鉄を慎重に運ぶシェイの牽く列車の写真を見たことだけであったから尚更であったのだろう。その後、アメリカにたいざいすることがあって、このギャーードロコのふる里であるこの国には、その多くが生き残っていることを知った。
とりわけ標高1,000mの山頂まで11マイルの本格的森林鉄道の痕跡を保存しているCass Scenic Railroad State Park
((キゃす観光鉄道州立公園)がウエストバージニア州の山中にアルコとを知った。早速初夏に訪ねて、その雄大な自然と親しめる森林鉄道の機関区の情景に魅せられてサイド足を向けることになったのだった。
このカナダのガスペ半島からアラバマ州の中央部まで,長さ約2500kmの間を北東から南西の方向に走る数条の山脈から成っており、太西洋側の海岸平野と内陸の中央低地との間の境界線を形成しているのがアパラチアン山脈で、その北西部がアレゲニー山地とよばれており、ウエストバージニア州もこのなかにある。
この州がクルマのライセンスプレートに掲げている州のニックネームは“The Mountain 
State:
Wild Wonderful”であって、さしずめ「自然 万歳」とでもいうところであろうか。今でこそ、木材資源の豊富な点ではカナダやアラスカが一番とされてはいるが、このアパラチヤン山脈を含めた大部分が大変に豊かな針葉樹林で覆われていた時代は、それほど遠い昔のことではない。それは州の樹(State Tree)を一瞥すると,アメリカつげ、ホワイトパイン、アメリカ杉など針葉樹が顔を出していることに気が付くからである。
 1850年代になるとバージニア州東海岸から大地溝帯にそって西北方のオハイオ河川上流へ連絡スル目的でバージニア・セントラル鉄道が建設を始めると、その沿線にパルプ工業などが立地して森林資源を利用し始めた。また同じようにチサピーク湾岸の港からオハイオ河中流を目指して大陸横断鉄道を狙ってC&O(チサピーク・アンド・オハイオ)鉄道がアレゲニー山地を横断するルートを探して建設を進めるようになった。それらに呼応して、たにたににもてつどうを建設して森林や石炭開発をもくろむ経済人が現れはじめて、このCassノある75マイルの深いたGreebrier Valley(グリーンブライヤー渓谷)の谷筋にも森林開発と鉄道が同時にやって来たのであった。
さて、この谷と山が並行するアレゲニー山地の中にあるCassへのアプローチであるが、それにはウエストバージニア州の州都 チャールストンくうこうか、その近くのローカル空港エルキンス空港が出発伝で、あとは100kmほどの山岳ドライブということになるだろう。わたしはオハイオ州から夜のドライブでやって来たが、初夏の早朝は霧と小雨に悩まされてキャンピングカーなどの行き交う州道を峠越えして南下した。さすがに大都会の人々を魅惑するリゾート地らしく道路標識は間違いなく私をCassのある谷へ導いて呉れたのだった。そのGreenbrier谷へ入る交差点では、大きなキャンピングカーでCassを訪ねていたらしい人たちが観光案内板を見て議論していた。そ隣には“バージニアン・セントラル・レイルロード”と云う保存鉄道の大きなかんばんがあって、元カナデアン・パシフィク鉄道の軽パシフィックSLの勇姿が招いているイラストがあった。この鉄道はここから数時間で行ける程のところにあり、大変魅惑的にみえたのであろうか、やがてワーと歓声をあげて走り去って行った。(コノシリーズの34.と35.に探訪記があります。)
そして小さな峠を越えて、目指すGreenbrier谷に下って、やたらに簡易モーテルの看板が目に付く寂れたCASSの町を走り抜けて、Greenbrier Riverの清流を渡ると、やたらに広い駐車場には50題を超すクルマがたむろしていた。後から知ったのだが、先の方には大きな元製材所のボリラーの鉄の煙突がそびえており、この広々とした駐車場は15マイルに及ぶ蒸気加熱管を設けた木材の乾燥場であったということであったのには、その規模の大きさには驚かされた。一段と高くなった河岸土手上には標準軌の線路が二ほんあり、手前が元C&OのGreebrier線の本線で、後方がCSRRの線路のようであった。その先の山側の一段と高いところに白亜の木造三階建のCass County Storeがそびえており、この中に博物館、レストラン、みやげもの屋などがあり、その前の木造の廊下には汽車を待つ人々が思い思いの姿でたむろしていた。
時間があったので、機関区を訪問することにした。線路を川上にスウヒャクメートル進むと右手は元製材所の廃墟、CSRRの線路はC&Oの本線を離れて左に曲がり、機関区の真ん中を直進して山へ向かっていた。
本格的な木造の高架水槽の側線にはしシェイが給水中であり、その手前ではハイスラー♯6がお化粧の真っ最中であった。ここではデルタ線を使って転向しているようだった。どうしたことか、機関庫はは新たに建てた鉄骨建で、シャッター付きであったのにはいささか趣をそがれた。山側に復元を待っているクライマックス♯9が留置され、復元修理中のシェイも2輛が見受けられた。
この機関区はBack Shopと呼ばれており、回りは濃い森林が育っており、白い蒸気が良く映えるのは有り難いはいけいとなる。
小雨模様だったが、次第に雲がとれて陽射しが降ってきた。このヤードへの立ち入りは気軽に許してくれたのは小鉄道の有り難い所だった。現在(2007年)の情報ではシェイ8台、ハイスラー1台、クライマックス1台が動態保存されていると云うから手狭になっていることだろう。シェイの中には“Big Six”と呼ばれた元WM(ウエスタン・メリーランド)鉄道の162トンもある3トラックの最大規模のシェイが2004年に確保されたのだったし、この他にも太平洋岸の各地でで主に使われた大形の“ぱしふぃっく”型のシェイも確保されているとのようだ。
 さて、列車の乗車記は次の66、SCRRの生い立ちについては67.で述べているので、ここではギャーどロコ(歯車式機関車)についていささか触れてみよう。森林鉄道に適した機関車に求められる諸条件としては、先ず急勾配を登れること、ヘアーピンのような急カーブヲ通貨出来ること、比較的軟弱な地盤と仮説と撤去の容易な軽量レールにも適合できること、大きな牽引力が期待されることなどが挙げられよう。これを実現するために三種類の形式が発明され、実用化されたが、それらに共通するメカニズムは次のようなものであった。
先ず車輪は全てボギー台車方式が採用され、大型ではテンダーにも装備して3トラック方式も現れた。いずれの車輪も動輪として作用させたことである。次にそれらを駆動するには回転力を推進軸(プロペラシャフト、ギャーを介してボリー台車の車軸に伝達させたことである。その利点はギャーをかいすることで回転比の設定により牽引力の増加が可能になることと均一な出力がえられることであろうか。
そこで三種類の異なる特徴は蒸気エンジンから推進軸にエネルギーを伝達させる方式にあったから、それに適切なシリンダーの配置が全く異なるいちとなっていることにあった。
先ずギャードロコの代表格であるシェイ型はオハイオ州リマ機関車会社でせいぞうされているもので、ボイラーの左側に直列にシリンダーヲ配置して、その真下にクランクシャフトを設けて、前後の台車へ自由接手と伸縮自在接手を介して推進実前後の台車のそれぞれの軸に装着した傘歯車に回転力を伝達する方式である。メカニズムがよく観察できることと、傘歯車(ベベルギャー)のガチャガチャと云う回転音がシスェイの魅力であろうか。
次のハイスラー型は矢張りオハイオ州のエリーにあるハイスラー機関車工場の制作で、左右のシリンダーはボイラーをはさんでV字状に配置されて、ボイラーノ真下にクランクシャフトが装備されている事である。メーカーのカタログには理想的にバランスの取れたエンジンは標準型に比べて30%は牽引力が増加すると述べていた。
メカニズムが外から見えないのは玉に傷と云うところか。
最後のクライマックスはペンシルバニア州のコリーにあるクライマックス機関車工場で製造されている。シリンダーはボイラーの先頭部両サイドに傾斜して配置され、くらんくで回転板を回転させる。この両側の回転板の回転軸とボイラーの真下にある推進軸との交点はギャーボックスによって回転を伝達している。この回転板の回転力を直接ウインチにかつようするなどの利点も見受けられる。回転板の半径と二つのギャーボックスの設計により回転比の選択自由度の大きいのも特徴とも思われた。
当初のニーズは森林鉄道であったが、この経済性と性能が歓迎されて露天掘り鉱山、土木工事用、工場専用線の入れ替え用、溶融した銑鉄を製鉄所内を移動させる構内鉄道用など多くの用途に使われるようになった。
これらのすべての形式がCASSでお目に掛かれるようになったのは嬉しい限りである。

撮影:1978年
発表:「れいる」誌・1980年3月号,Vol.4,bS9.

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・「アパラチアン山中の森林鉄道: Cass Scenic Rr を訪ねて」シリーズのリンク
066. ホィッタカー高原へ登る登山列車遠望
067. 朝の近距離列車が出発を待つCASS駅頭風景