自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・アメリカで最も訪ねたい町“Essex”のValley鉄道・コネチカット州
063.  “New York,New Haven & Hartford”♯ 103 ・展示中

〈0001:〉
Valley Railroad 103

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〈紀行文〉
大西洋岸に沿ってぼすとん、ニューヘブン、ニューヨークを結ぶ鉄道がかいつうして間もなく1881年にはコネチカット河川沿いに州都ハートフォーに至るコネチカット・バレー鉄道(CVRが開業したことは前に述べた。そしてその100年後の祈念すべき日、1971年7月29日に新VRRの処女列車がaD103に牽かれて走ったと云われている。現在、ごこの栄誉有るaD103は主役の座をaD40に譲って、プラットホームの真っ正面に鎮座しており、その車体には独特な雰囲気を醸し出す“New York,New Haven & Hartford”のロゴが昔の書体で鮮やかに描かれている。
この保存鉄道が全ての面で規範としている宗家であるNY,NH&H鉄道の来歴について少し触れておこう。
この鉄道は単に“New Haven”と呼ばれている南イングランドとニューヨーク州をカバーする大鉄道網であった。1834年と云う早い時期から始められていたこの地域の小鉄道を125社も集合して1872年にはNew Haven & Hartford鉄道となった。このときCVRも吸収されて、一支線となったのである。
そのご1928年にew NYork & New Haven鉄道と合弁して合New Haven鉄道となった。
このニューヨーク〜ニューヘブン間の一,800マイルの幹線を1907〜14年の間に最初611KV・25Hzの 交流電化をアメリカで最初に成功させた区間として有名であり、一方のニューヘブンから北の、ボストンまでは流線型のハドソン タイプのSLが毎日13往復“急行列車を牽いて平担線を疾走していたという。
1959年にコネチカットターンパイクが開通して自動車に押されることになり、1961年に破産している。その後1971年からはこの間の旅客列車は米国旅客輸送公社(AMTRAK)によって運営されており、その他の路線は1976年から破産鉄道を連合して発足したたコンレールによって運営されている。既に、この伝統あるNHの痕跡は消えつつあるなかで、エセックスで活躍するVRRの中で生き続けている。
 この処女列車を牽引したaD103は2-6-2の車軸配置で、西部のオレゴン州のロッキー山中の小鉄道のためにボールドウィン機関車工場(BLW)で1924年に製造された。

1960年に設立されたEMPIRE STATE RWY MUSEUM(エンパイヤー・ステーツ(ニューヨーク州)鉄道博物館)が入手し、ニューヨーク州のミドルタウン付近で運転会で使用して、3〜4輛の客車を牽いて25km/hr位の小さい牽引力を発揮していた。その後、VRRの設立とともにエセッスに移り活躍したが、当時は煙室とテンダーの修復を待つ程度の動態保存中で、美しい姿をエセックス駅頭で見せている。
 このほかにVRRせつりつの際に、ホネチカット・バレー鉄道クラブが持ち込んで来たaD97が動態保存されている。これは2-8-0の車軸配置のコンソリデーションであり、ALCo(COOKE)、で1926年に製造されたもので、南部アラバマ州の僅か 7 マイルの小鉄道のために建造されたと云う。ここで貨物を引いていたが、1965年に引退した。ニューヨーク州の鉄道ファン BOGEN氏が買収して、各地のファン行事に活躍していた。VRRのオープンの頃は、蒸気が上らず、やっと1973年から、稼動する様になった。小さな火室と過熱器のおかげで燃料消費も少く、スクラップ商から入手したCV(セントラル・ぱーもんと)のテンダーを取りつけた軽量設計のためVRRのレールにもぴったりで、Xマス列車運転には必ず出場して暖房用パイプを持つ強味を発揮すると云う。10月に催される鉄道ファンのための週末には重連運転が今年も計画されている。

撮影:1979年
発表:「レイル」誌・.9(1983年3月)
“New York,New Haven & Hartford”のロゴが昔の書体で鮮やかに描かれている。
この保存鉄道が全ての面で規範としている宗家であるNY,NH&H鉄道の来歴について少し触れておこう。
この鉄道は単に“New Haven”と呼ばれている南イングランドとニューヨーク州をカバーする大鉄道網であった。1834年と云う早い時期から始められていたこの地域の小鉄道を125社も集合して1872年にはNew Haven & Hartford鉄道となった。このときCVRも吸収されて、一支線となったのである。
そのご1928年にew NYork & New Haven鉄道と合弁して合New Haven鉄道となった。
このニューヨーク〜ニューヘブン間の一,800マイルの幹線を1907〜14年の間に最初611KV・25Hzの 交流電化をアメリカで最初に成功させた区間として有名であり、一方のニューヘブンから北の、ボストンまでは流線型のハドソン タイプのSLが毎日13往復“急行列車を牽いて平担線を疾走していたという。
1959年にコネチカットターンパイクが開通して自動車に押されることになり、1961年に破産している。その後1971年からはこの間の旅客列車は米国旅客輸送公社(AMTRAK)によって運営されており、その他の路線は1976年から破産鉄道を連合して発足したたコンレールによって運営されている。既に、この伝統あるNHの痕跡は消えつつあるなかで、エセックスで活躍するVRRの中で生き続けている。
 この処女列車を牽引したaD103は2-6-2の車軸配置で、西部のオレゴン州のロッキー山中の小鉄道のためにボールドウィン機関車工場(BLW)で1924年に製造された。

1960年に設立されたEMPIRE STATE RWY MUSEUM(エンパイヤー・ステーツ(ニューヨーク州)鉄道博物館)が入手し、ニューヨーク州のミドルタウン付近で運転会で使用して、3〜4輛の客車を牽いて25km/hr位の小さい牽引力を発揮していた。その後、VRRの設立とともにエセッスに移り活躍したが、当時は煙室とテンダーの修復を待つ程度の動態保存中で、美しい姿をエセックス駅頭で見せている。
 このほかにVRRせつりつの際に、ホネチカット・バレー鉄道クラブが持ち込んで来たaD97が動態保存されている。これは2-8-0の車軸配置のコンソリデーションであり、ALCo(COOKE)、で1926年に製造されたもので、南部アラバマ州の僅か 7 マイルの小鉄道のために建造されたと云う。ここで貨物を引いていたが、1965年に引退した。ニューヨーク州の鉄道ファン BOGEN氏が買収して、各地のファン行事に活躍していた。VRRのオープンの頃は、蒸気が上らず、やっと1973年から、稼動する様になった。小さな火室と過熱器のおかげで燃料消費も少く、スクラップ商から入手したCV(セントラル・ぱーもんと)のテンダーを取りつけた軽量設計のためVRRのレールにもぴったりで、Xマス列車運転には必ず出場して暖房用パイプを持つ強味を発揮すると云う。10月に催される鉄道ファンのための週末には重連運転が今年も計画されている。

撮影:1979年
発表:「レイル」誌・.9(1983年3月)

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・「アメリカで最も訪ねたい町“Essex”のValley鉄道」シリーズのリンク
061. 豊かな自然の中を快走する“Essex Steam Train”

062. 遊覧船と接続する Deep River駅での ♯ 40