自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・アメリカで最も訪ねたい町“Essex”のValley鉄道・コネチカット州

062.  遊覧船と接続する Deep River駅での ♯ 40


〈0001:〉 
Valley RR..40:Deep River駅に

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〈紀行文〉
 エセックスを発射した列車を追い掛けて、コネチカット河に沿って走るVRRの線路の近くを併走する道を探していると、右手にマリーナが見えて来るとDeep River駅も近い筈なのだが道は見つからず州道へ戻った。
再び細い田舎道を川岸に向かうと踏切が現れ、桟橋には二隻のRiver boat(遊覧船)が姿を見せていた。これはそれ程古い由緒のある船ではないようだが、真白にペイントされた姿は美しい。
やがて、河面が緑に映える中の約1時間の演出に、胸を躍らせながら列車を降りた人々は徒歩で船に向う所であった。船は川上をめざして逆行し橋のある EAST HADAMでU ターンして戻る船旅で、この他にエセックスからも遊覧船が出ている。この旅のメインイベントは右手の崖の上にそびえている GILLETE城.樫の大木と自然石を利用して或る俳優、シャロックホームス役で知られたW.じれっとさん、の別荘として造られ、今は州立公園となっている。次は船がターンする手前でやはり右岸にビクトリヤ朝の白い建物が美しい姿を現わしてくる。Goodspeebのオペラハウスで、ニューヨーク,ブロードウェイの名作“La Manchaの男"などの誕生の地として知られる所であるとか。遠くカナダとの国境から流れ下る広々とした川面からの田園風景は,大都会や工業地帯の環境を逃れて憩う人々の心を楽しませてくれる。
随分大勢の人が訪ねて来ると云うVRRの季節は、5月から秋深い10月末とクリスマス前後であるが、他の季節には月曜火曜が休みとなるようだ。毎日、3〜4往復の列車にRIVER BOAT(リバー・ボート)が接続して航行されている。
この先の線路を2マイルほど行ったCHESTER まで列車は行き、マリーナに集まるボートを遠くから眺めると、
間もなく、バック運転で戻ることになる。DEEP RIVERで側線を使い先にカマを付け替えると出発となる。この附近は広々とした貨物ヤード跡があり、ポツンとレールサイド荷貨物プラットホームを持った小屋が残るのみであるが午後の柔らかい陽光を浴びて転戦するSLを眺められるのは楽しい。またこの先のCHESTERの向こうにある長くて高い木橋を渡る列車が、水に映る良い撮影ポイントがあり、パンフレットに載ってはいるのだが、今はその直前が終点となっていて残念であった。
さて、この鉄道線路の歴史をひもどいてみよう。大西洋岸をボストン〜ニューヨークを結ぶ鉄道が開通すると、直ぐに、
1871年にはコネチカット河の西岸に沿って、その幹線から州都ハートフォードを結ぶ
Conneticut Valley Railroad(コネチカット・バレー鉄道)が開通したのも、この河筋は豊かな農業地帯と大西洋岸の港との交通が盛んであったからである。このリバーボートに代るために開通した鉄道ではあったが、河沿いの地域は、それ程発展することがなかったから、1905年には一日五往復の旅客列車が運転されたのが最盛期であった。やがて沿線の道路の発達に押されて1933年には旅客、1967年には海岸への24マイルの貨物サービスも廃止されてしまった。当時の所有者であったNH鉄道(New york,New Haven & Harthord RR)ではレールを撤去して,跡地をハイキング・トレイルとして活用する計画をしていたと云われる。その後、州の公園局が自然の豊かなこの地域をリクリエーション地区とするため買収した。この1960年代はSLの引退し終った頃で、各地でSL列車の運転会が盛んに開催された頃であったからでもある。
実は、その頃NH鉄道の援助の下で、コネチカット・バレー鉄道クラブがaD97(2-8-0)と云う小型SLを借用して、SL列車運転を開いていた。その様な時にグループの中では、「永久的に運行の出来る線路を持ちたい」と云う考えが高まって来たのは自然の成り行きである。その中のリーダー達は次のような条件を掲げて廃線になった支線を探していた。それは、1.安価であること、2.旅行者の通る経路上にあること、3.モーテル、レストランなどの集まっているところ、4.自然の豊かな風光明眉な所、であった。数年の苦労の後、1967年にはEMPIRE STATE RWY.MUSEUMと共同して、コメチカット州のCVRの線路を借用することにして、1970年の夏には新しいVRR会社が設立されたのである。
そして、雑草の生い繁った側線には、ESRMから借用した客車やaD97のSLを持ち込んで整備に余念のないボランティアの姿が見られた。
次の年の7月29日は元CV鉄道の誕生100周年の記念すべき日を開業の日と計画して、当日は州知事の出席の下で、aD103が僅か3輛の客車を牽いてエセックスからデープリバーを走ったのである。
この年は13,000人の乗客があり、その後の10年間に10倍以上となる様な大成功を納め、今や“Essex Steam Train”として、アメリカの保存鉄道の五指に入る地位を保っている。
アメリカでの保存鉄道の栄枯衰勢は誠にめまぐるしいが、長期にわたって安定して成長して行くことは、なかなか難しいようである。このV RRの成功には多くの好条件が揃っているようである。それは立地条件、支援するボランティア団体、州の援助の他に、この鉄道を運営についても、趣味人に不足になり勝ちな安全面、法律面に特に注意を払っているとのことである。中でも、運転面には、プロの指導下で、1920年代のNHの習慣を守っているのであった。

撮影:1979年
発表:「れいる」誌・.9(1983年3月)1985

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・「アメリカで最も訪ねたい町“Essex”のValley鉄道」シリーズのリンク
061. 豊かな自然の中を快走する“Essex Steam Train”
063. “New York,New Haven & Hartford”♯ 103 ・展示中