自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
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SL写真展 ( INJEX )
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SL写真展 ( INJEX )
にある送付先へドウゾ。)
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・アメリカで最も訪ねたい町“Essex”のValley鉄道・コネチカット州
061.
豊かな自然の中を快走する“Essex Steam Train”
〈0001:
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〈紀行文〉
春も3月ともなると、アメリカの模型店には今年版の“Steam Passenger Directory”と云う「蒸気旅客列車年鑑)とでも云ったら良いであろうか、アメリカとカナダの蒸気機関車が牽引する旅客列車の運転イベントと、鉄道博物館をガイドした小型の本が店頭に並べられる。この本を発行しているのは、EMPIRE STATE RWY MUSEUM(ESRM)と云う鉄道趣味のグループで、その昔、1960年から6年間ニわたって、ミドルタウン(ニューヨーク州)で蒸気旅客列車の運行イベントを行っていたが、現在はコネチカット・ばーレー・鉄道くらぶと共同でValley Railroad(VRR)
を運営しているのであった。何年版であっただろうか、この本の表紙に VRRの蒸気機関車の牽引するツーリスト列車が自然の豊かな谷の緑の中を力走する写真が掲載されていたことを覚えており、今回の遠征の契機となったのであった。
この地方はその名の如く、母国イギリスを逃れてメイフラワー号と云う小帆船に乗り込んで新大陸に辿り着いた清教徒の人々が、1620年に開いた植民地で、ボストンやプリマスの港町を中心として発展したマサチューセッツ植民地は、アメリカの民主主義の発祥の文化が育まれた風土である。ボストンからニューヨークに至る350km余りの海岸は、入りくんだリヤス式海岸と砂浜が続き、アメリカ建国の十三の植民地が並び、今は北からメイン州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネチカット州と小さな耳慣れない州が並んでいる。この海岸線沿いは北東回廊と呼ばれる交通の大動脈で、“AMTRAK”(あめりか旅客輸送公社)のボストン〜ニューヨーク〜ワシントン間をメトロライナーが走る幹線が貫き、
平行してインターステーツ・ハイウェー I-95が走り、交通の至って便利な所で、この海岸沿いは南の大都会の人々の避暑地でもあり、バカンスや休日に旅をする人が多く訪れる所でもある。
1980年の夏からは、ニューヨーク〜ボストン間を走るAMTRAKの列車が、その中間のOLD SAYE
ROOK駅でツーリスト鉄道として知られるVRRに直接連絡することになったので鉄道によるアプローチも可能になった。
私はボストンのローガン国際空港からレンタカーを駆って、ダウンタウンの手前を大西洋岸に沿って南北に貫くI-95を南へ走り出したのだった。翌朝のモヤの中を海岸に沿ってイギリス風の地名の町々が通り過ぎてゆく。この南ニューイングランドは海に生きた植民地で、貿易、捕鯨、漁業で繁栄していたことのようである。やがてコネチカット州に入ったようで、ボストンから 3時間余,海の向い側にはニューヨークまで続く細長い島、ロングアイランドが横たわり,静かな内海となっている。やがて河幅の広いコネチカット河を渡るところ、海側には、AMTRAKの鉄橋が掛り、列車を撮りたい衝動を抑えて、コネチカット河沿いに州都ハードフォードに向かう州道9号のフリーウェーに乗ってVRRヒの根拠地であるエセックスの街に向かった。この一帯はモーテル、ガソリンスタンド、レストラン集まっており、夏の夜は深夜までざわめきが続くにぎやかな地域なのであった。
所で、大西洋に注ぐ大河の河口には大都会や工業地帯が繁栄しているのが普通なのに、コネチカット河の河口には自然の姿が残っているのは不思議なことであった。1614年の遠い昔、初めてオランダ人が上陸したと記録が残されているが、その後1636年マサチューセッツ植民地から、宗教上の理由で分離した人達がコネチカット谷の中程にコネチカット植民地を創り、タバコ栽培などの豊かな農業地帯を作り上げたのがコネチカット州の始りであったからである。
この河口から9マイルほど遡ったエセックスの町はコネチカット河の岸辺が複雑に入りくんでいる所にある小さな港町で、人口僅か4,400人ではあるのだが、しかし雑誌 “New Yorker"が十八世紀の香りのスル街として、一度は訪ねて見たい町の特集で紹介したり、アメリカ建国の歴史を残すスモールタンでも第二に推奨されている所であると云う。
それは1678年に建てられたPratt house、1776年から営業しているレストラン/ホテルのGriswold Innが、昔のたたずまいを残しているからでもある。この静かな港町の夕暮れの散策や、ニューイングランド自慢のシーフードのロブスターやオイスター)を試すのも良いだろうし、またOpera Houseへ出掛けるのも良いだろう。いずれにせよ、ニューヨークから週末の一日を過すために訪れる人々でにぎやかになっている所であった。云い忘れたが、この町は手工芸品の製造でも名高く、昔は象牙細工で知られていたと云うとか。
朝9時にエセックスのヤードを訪ねると、一筋の煙が淡く立ちのぼっているのを見てほっとするのであった。知らぬ土地を訪ねて運転の中止に出遭うったり、途中で道を間違えて時間に遅れたりする事もあるので,この一瞬は全くスリルを感じるのが常である。毎度の事ながら、綿布製の紺の縦縞の入った機関士帽に黄色地にSR(Southern Railway)の緑の文字の入ったバッヂを取り付けてかぶった上で、カメラと三脚を持った「いでたち」をして、で一目で鉄道ファンであることの証(あかし)となるように心がけて来たのだったが、ヤードには人影は見あたらなかった。裏ての宿舎風の建物ではボランテアらしき人々が朝食の最中であった。ヤード内には展示されているSLが二輛と双頭式の除雪車やパーラーカーなどが見られた。
そこで、エセックスの町を一回りしてから、それほど距離のない沿線のロケハンに出掛けようとして、市街路のサイドに止めて地図を眺めていると、上品そうな老婦人が「何かお教えしましょぅか」と親切に云ってくれるのも、ニューイングランドの社会のホスピタリティ(奉仕の精神)のあらわれであろうか。
やがて、11時が近づくと、人々がどこからともなく集まって来たようである。今日もaD40の出番のようで、既に蒸気が上りつつあり、グリスアップの作業が始まろうとしていた。標準軌のカマだが、そんなに大きくない。広々としたヤードも駐車した乗客のクルマで次第に一杯となりつつあった。NH(New Heven鉄道)の車掌帽の若者が大声で“ALL ABROAD!!"(皆さん、乗車して下さい)と叫んで、今日の一番列車がゆっくりと発車となった。駅前の通りは州道30号が踏切りになっており、にぎやかなギフトショップやレストランなどの店が並んだセンターブルツクのメインストリートであり、一番列車の乗れなかった人々が右往左往している。やがて、鐘とドレーンに送られてゆっくり重そうに発車して行く列車を見送った。
ここの機関車は北の方向を向いているために朝の光線のぐあいはよくない。VRRにはターンテーブルはなく、必要に応じてAMTRAKの側線に設けられた WYE(デルタ線) を借用して転向しているとのことである。
さて、芝生の広い住宅街の裏をすり抜けるようにして、町を離れてゆく列車は緑のむせかえるような濃い林のある辺り、水辺を好む樫や榎の大樹が繁っているコネチカット河に注ぐ支流の木製の橋を渡り、切り通しを抜けると河辺まで見通せるような原野に出て、次第にスピードも上って来る。遠くに高速道路9号の高架が見えて来た。この高架橋からのVRRの蒸気列車の力走風景は看板シーンの一つであった。このあたり小さな登りであり、煙を噴き上げて八輛編成の重い客車を牽いたaD40は石炭の香りを残して走り去って行った。
所でVRRの主役のaD40について語らねばならない。
ほこのミカド型2-8-2のプロフィールは小型ながら1920年代アメリカ形の整った格好は親しみが持てると云えるだろう。ALCo(BROOKS)がPortland, Astoria & Pacific鉄道の#101として1920年に製造したと云われ、その後転々と所有者が替わった。そして1935年にノースカロライナ州のピーモント山地を走る小鉄道のAberdeen & Rockfish RR.に売却され #40として1952年まで貨物輸送に活躍した。引退後は大切に保存されていたが、1977年にコネチカット州が5万ドルを投じて買収して、SLの非力に悩んでいたVRRに貸与され、現在は8輛の重い客車を牽いて制限速度一杯の28マイル/時で走ることのできる主役である。
このSLが入って来た1976年末から、3年掛りでボランテアーの手でオーバーフォールが行われた。その記録が発表されている。これは汗と脂の結晶の物語である。
その時、フレームに1923の刻印が発見されて、この機関車の誕生にも色々な疑問が浮かんだ。
それは1923年キューバ島の砂糖キビ農園向けに製造されたが、引き取られることもなく眠りつづけ、1926年になって新にaD200としてアラバマに納入されたのであると云う異説も現れた。次にボランティアの手による補修された個所を示そう。
・エンジンピストンとピストンバルブの修理とピストンリング交換
・ ピストンバルブの蒸気力、ソトバルブの熔接仕上加工
・新しい樫の木のパイロットビーム
・クッンションスプリング交換
・新先導輪のセット交換
・煙室扉の更新
・フロントヘッドライトブラケットの再製と煙室上部に再配置
・油圧式潤滑器をメカニカルに変更
・新ボイラ胴覆の取付
・スゲージ 板トリム
・リベット式で作ったキャブフロント
・助手席シリンダー排水弁のエアー作動式設計製作
・キャブ床,電装の更新
・ロード.が紛失中のもの取付
・動力逆転機の取付
・リベットテンダーに改善
・安全弁調整,ペイント作業
・テンダーのエンドにProwBar Pocketsの装着
注記*ん“Provar pocket”:関車の前梁の両端とテンダーの後梁の両端に1個づつ取つけられている皿状の凹みを持った鋳物である。機関車の隣りの線路の車輛を動かす時にこの受け皿と車輛の方の受皿の間に棒を当てるようにして使用するものである。
撮影:1980年
発表:「レイル」誌・.9(198年3月)
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・「アメリカで最も訪ねたい町“Essex”のValley鉄道」シリーズのリンク
062. 遊覧船と接続する Deep River駅での ♯
40
063. “New York,New Haven & Hartford”♯
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・展示中