自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・南インデアナの White WATER VALLEY  鉄道を訪ねて・インデアナ州
056.  ホワイトウオーター運河公園で憩う♯100


〈0001:ホワイトウオーター運河公園にて〉
水車小屋の脇で憩うwv rrの♯100

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〈紀行文〉
 或る初夏の休日に、駐在していたオハイオ州都のコロンバスからドライブでシンシナティへ出掛けた。最近開通した環状ハイウエーを経て、ホワイト・ウオーターの谷を遡る国道を北上すると、やがてBrooksville 、Metamoraの街村を通り過ぎて、トラス橋でホワイトッ・ウォーター河を渡り国道52号に別れをつげて、州道121の田舎道に入る。鉄道に沿っているので明日のロケハンを兼ねながら走ると目指す、Connersvilleの町はすぐ近くである。そのまま街に入るとB&O(バルチモア・アンド・オハイオ)鉄道のシンシナチィ〜インデアナポリス線の高い鉄橋の下をくぐるとそれほど大きくない町の西側を抜けたようで、左手には有蓋貨車の行列が見えたが、フォード社のエアコン製造工場であった。各地に分散する組立工場への製品の輸送は、鉄道が主役であるようだ。黒いCR(Con Rail:連合鉄道)の旧型DLが十数輛の貨車の引き出しを始めていた。町外れにはモーテルが看板を掲げており、早速、地図や案内パンフレットを頂くために立ち寄った。
それによれば意外なことに、1920年代には、この町は“Little Detroit of Indiana"と呼ばれた自動車部品工業の栄えた土地であった。それは馬車や乳母車の製造から発展して、CORD AUTo(箱型自動車)の時代には、クラシックカーマニアなら、よだれが出るであろうと思われる銘柄の自動車工場が建設され隆盛を誇ったのだった。その名としては、
“LEXINGTON”、“VAN AUKEN”、"KELSEY CYCLE”、"HOWARD”、ANSTED”、"AUBURN”などである。
現在は往時の最大生産量である250台/日の規模の組立工場が“CORD AUTO PLANT”(箱形自動車工場)と称して、丁度、昼休みの状態で息を止めた姿で保存公開されている。
また、オハイオ州から移って来たルーツ兄弟はこの町でヒット商品となった“ルーツ・プロアー”(二つのローターが非接触で回転しながら送風するオイルレスのブロアー)を発明して、量産化すると云う輝かしい歴史を持ってもいる。
一方、静かな田園地帯の象徴としても著名なMARY GRAY BIRDSANCTUARY (鳥類保護区)が設立されており、運河会社の古い建築など多くの保存が行われているようだ。
 さて来た道を戻ると,線路沿いに1972年に設立された保存鉄道
WWV RRの基地がある。運河公園のMetamoraまでの17マイルを 5月から10月迄の週末をもう12年も走り続けている。この活動の母体は全員ボランティアーによって運営され、週末に、200マイルもドライブしてこの活動に参加する人もいるとのこと。冬になれば機械のメンテナンスと安全のトレーニングで通年忙しく活動しているとのことである。
朝早く基地を訪ねるともう薪を燃している最中で、今日は薪焚きアレスターのaD100、坊主のような火粉止めをつけたユニークな S Lの仕業なのも幸運であったし,年に何回か重連運転もされるとのことである。ヤードの隅の方には,数年前まで車掌車を運河沿いで押していた軽量の 2 トラック・ハイスラーの 2輛が復活を待っていた。薪焚きSLのためであろうヤードは古材の山が至るところに積まれ、石炭は片すみに僅か貯蔵されていた。
朝9時、罐の圧が上り、グリースアップが始った頃、DLも活動を始め、狭いヤードの隅に押し込められていた車輛がメインラインに平行する側線に引き出され、B&O、NYC(ニューヨーク・セントラル)、Erie(えりー)の車掌車はDLaD25に牽かれMe-
tamoraに向けて出発して行った。
ここの主役は薪焚きのaD100で、フロリダの森林鉄道が製材所の入換をやっていたものらしく、車軸配置は2-6−2で、BLW、1919年製の特別注文品であったらしい。
他のもう1輛aD6はペンシルバニア州のEBT鉄道の標準ゲージ入換用SL、6(0-6ー0、BLW、1907年製)
を譲り受けたものである。ともか
く印象に強く残るものはaD100の煙突のスタイルと、テンダーに鮮かに描かれたWWV RRのロゴである。
やっと客車を引き出して列車の編成を終ったaD100 は、気笛を鳴らして乗客たちを集めるのである。それは州道の向い側にある由緒正しい、緑したたる芝生庭園を備えた邸が公開されていて、そこを見学に行った人々を呼び戻すためであった。理由は聞き洩してしまったが、日に一本の列車の発車時刻は12時01分である。“ALL ABROAD”(皆さん乗ってください)ノちょっとかすれた気笛と共に道路に平行に走り始めた。やがて、元運河のの土手とおぼしき所をゆるいカーブを描いて進む。この付近のWhite water河釣り場も多いらしく、州道脇の雑木林に中に頭を突っ込んで駐車している。White Water河は荒れ川で,大きな木の根が広い河原に転んでおり、雷鳴を伴ったサンダーストームと呼ばれる大雨が降ると、たちまち増水するとのことである。
US-52号が運河を渡るあたりは土手一杯に水をたたえ、水辺を好むオーク(樫)の林が続いている。Metamoraは州立運河公園の中心地、aD25の閘門が保存されており、鉄道の終点近くの廃石材工場への引き込み線を使って機関車の転向と付け替えを済ますのであった。
今日はメインストリートに面したレストランの軒の下では、デキシーランドをかき鳴らす楽団が御出迎えであった。公園自慢の製粉水車小屋は運河が使われなくなると、直ぐに閘門の脇に建設され、船の入るドックの中に水車が設けられ、1分間 5回転で50馬力を発生させて、フランス製の石臼を使って製粉が実演されている。運河の下流は次の閘門までの間を遊覧船が用意され、川岸にある線路では車掌車の運行が人気を集めている。
私も古道具屋に入り、大きな樽の中に詰めてある鉄道の古いカレンダーの中から古典的アメリカ型SLであるボイラーの上に運転室が設けられているえ“Camel Back型機関車“”の一冊を探し出して買って来た。
御多分に洩れず列車で来た人も、も車で来た人たち、ハーレーダビットソンで乗りつけた一連隊も一通り歩き廻ったあとは運河沿いの芝生でひと休みとなる。
aD100もタンクローリーから給水を受けたり、グリースアップの後に、車掌車を押して運河沿いを走っては見せたが、それも一回だけで、その後は水車小屋の蔭で展示のサービスと心得ていたようであった。初夏の昼下がりの陽を浴びて銀色に輝く煙突と、黒にオレンヂの鮮やかなデザインノロゴに名残を惜しんで別れを告げた。

撮影:1981年
発表:「レイル」誌・aD12、一九八四年7月発行

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・「南インデアナの White WATER VALLEY  鉄道を訪ねて」シリーズのリンク
055. 広々とした谷間を快走する薪焚き♯100
057. 煙突の美学:White WATER VALLEY RRの♯100