自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・ペンシルバニアの軽井沢 “Mew Hope”を訪ねて・ペンシルバニア州
053.   深い谷がデラウエア河へ合流するニューホープの街

〈0001:〉
デラウエア河に流れ込む深い谷を渡るNH&I RRの列

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〈紀行文〉
 1982年に再開された蒸気旅客列車の旅は僅か5マイル弱の短かなものになってしまったけれども、その内容は濃いのが特徴と云えるだろう。ブリッジ・ストリートの人波を手信号でとめると、鐘を打ち鳴らし、遠慮がちにドレーンを切りながらはっしゃとなった。少し進むと再び土産物を後広げた店の並んだ狭い通りを横断して、家と家との間を抜けると裏ては深い谷になっていたのだった。そう云えば、ニューホープの町はデラウェア河とインガム・クリークとの合流点に出来た宿場町であったのだ。インガム・クリークは森林に覆われた低い丘の続くバックス郡の水を集めて流れ下り、合流点に近い河岸段丘の辺りでは深い谷をなしてデラウエア河に注いでいるのだった。だからデラウエア運河は立派な石造りの運河橋でこの谷をわたっているのだった。カーブした高い鉄橋の手前で一旦停止、やおらそろりそろりと鉄橋を渡り始めた。狭い町中では遠慮していたドレーンを精一杯切りながら深い谷間を渡って行く。
背景には白いペンキ塗りのホテルでは遅いブランチ(ブレックファースト+早いランチ)の窓からは鉄橋が良く見える。橋を渡れば深い森林を縫うように勾配のSカーブを遠のいて行く。
このアートコロニイを自負するニューホープのコミュニティ誌が、私の訪れた時に、その創刊第二号が出たところであったようで、モーテルのカウンターを占領していた。
それは艶のあるアート紙に淡い青紫色のインキで刷りあげたクラシックなデザインで、保存鉄道特集として、NHSR(New Hope Steam Railroad)で働く23人のボランティア連の生活を描いた詩や写真,、手記などが載っていて、いつまでも私に強い印象を与え続けている。どうも、この時期だけはNHIRではなくて、NHSRを名乗っていたようであった。
 そこでこの鉄道の生い立ちを一別しておこう。この鉄道も現在の隆盛に至るまでの苦難の道は容易に語り尽くせない道程であったようだが、ここに多くのボランテアーの力があったればこそとの感慨が募るのである。
所で、このニューホープの町に鉄道が来たのは1881年のことで、P&R(フィラデルフィア・あんど・リーデング)鉄道が支線を伸した時である。このP&Rは1833年創立の古い鉄道で、フィラデルフィアの背後の山地から産出する無煙炭を搬出する目的で作られた。
しかし、1896年に破産してしまい、州のお声掛かりもあってReading鉄道として再建され、近郊の各都市への鉄道を吸収して東南ペンシルばニアの強力なローカル鉄道となり、“READING LINE”と呼ばれ、フィラデルフィアのだうんたうんのターミナル駅を起点とする1,785マイルを運営して繁栄した。現在は二方面から中西部や、南部への貨物輸送のバイパスルートとしての役割りを誇っている。
 そして年代が下ると、あれほど繁盛したフィラデルフィイア行きの直通列車も自動車の発達に押されて早々と廃止となり、僅かな工場への貨物サービスだけが残っていた。
その頃から、フィラデルフィアのグループが4年掛かりで、この支線の16.2マイルと元CNR(カナダ国鉄)aD1533(4-6-)のSLと7輛の鋼製客車を入手して、1966年7月にNew Hope and
Ivyland Railroad(NHIR)を開業し、SLツーリスト列車をニューホープとBuckingham Valley間に走らせた。その直径63インチの動輪を履いたaD1533は貨物と乗客との混合列車を牽引して最後の8年を過ごした。そして、苦難の末に手に入れたaD40と後退して引退した。しかし71年に破産してしまい、72年までは無給ボランテアにより運行は続けられた。
そこで、地元の建設業で成功していた鉄道好きのMCHugh兄弟が中心となってボランテアの協力を得て、契約の下でNew Hopesteam Railway(NHSR)を組織して、1980年7月から週末にSLツーリスト客列車を再開した。その後、1990年に新経営体となって、再びNHIRに戻り、貨物施設の改善や大型SLの導入などを果たして、特別列車の運転イベントも拓かれるようになり、発展しているようだ。
 所で、早春の人での少ない当日のSLは手軽な元陸軍の入れ替え機(0−6−0)の生き残りbXのようであった。このスウイッチャーはアメリカ機関車会社(ALCO)のSスケネクタディ工場で1942年に製造され、1958年ヴァージニア・ブルーリッジ鉄道の貨物機となって活躍した。その後NHIRに買収され、植民200年祭記念列車を牽引した。そして1981年に免許が切れるると展示されることになり、火室とボイラー修理を1993年に受けて再起しているとのことだ。
また、ここで余生を送る客車は元リーデング鉄道の物が主体であった。
このNHIRの情報はインターネットの“new hope railroad”lで索引すると沢山出てくるのには驚いたが、さすがに大都会フィラデルフィアに近いニューホープならではであると思った。

撮影:1979年
発表:「れいる」誌・



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★★
54.New Hope & Ivyland Railroadのカーブした鉄橋(アメリカ・ペンシルバニア州)
 アメリカの保存鉄道のガイドブックにNHIRを紹介する代表シーンに取りあげられているカーブした鉄橋を渡るSLを求めてもてーの看板シーンとして掲載されているカーブした鉄橋を渡るSLを追って見た。この日の仕業は幸運にもaD40のコンソリであった。いつも駅前や街の狭い風景の中にでノスタルジックルな情景を探すのに時間を費やしてしまうのだが、この鉄橋の周辺は鉄道写真撮影名所であるらしく色々のアングルが楽しめるとのことだったから、向こう側の山林を崖を降りて橋の周りの撮影地点を探した。しかし最終的に最も通俗的なシーンに落ち着いてしまった。
やがて、列車は商店街の隙間を入ると眼前が急に開けて谷の直前に出たらしく、その家並みの間にSLの顔が覗いて居るように見えた。そこで、僅か4輛の客車をつないだ列車は一旦停車してから、深い谷に架かったカーブした鉄橋を息をつめるようにゆっくりと枕木をきしませながら渡って来た。
案内記によれば、この鉄橋はアクション映画のシーンで知られ,目もくらむ深い谷を渡る列車で演じられるアクションは、手に汗を握らせたとか。
渡り終わると、S字カーブの線路は森林の中を縫いながら続いている。
さて、この2-8-0のコンソリデーション型のaD40はボールドウイン機関車工場で1925年にせいぞうされ、サウス カロライナ州で貨物機としてつかわれ、clifside 鉄道から1970年にNHIRにやって来た。そして1975年から老朽化した元CNRaD1533機と交代し、86年まで活躍し続けた。その後しばらく展示されていたが、1991年6月に再起しているとのことだ。
起臥し来た最近の情報では元メキシコ国鉄のaD3028、4-8-4のナイアガラ型をグレート北東鉄道基金から長期借り受けに成功し、特別列車の運転のイベントに活躍させている。
これは1946年ALCO(Schenectady)で製造された近代化SLで、急カーブ・勾配の山岳路線で好成績をあげた32輛の1輛であったとか。

撮影:1981年
発表:「れいる」誌・1985年冬の号

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・アメリカの軽井沢“New Hope”を訪ねて・ペンシルバニア州
052. ニューホープ & アイビーランド鉄道のニューホープ駅前にて
054. New Hope & Ivyland鉄道のカーブした鉄橋