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・カントリー ウエスタンの里「ブリストル」を訪れて・バージイア/テネシー州

045.  Q鉄道のミカド“♯4960”の復活 ・バージニア州


〈0001〉
テネシー州との州境の町に復活したミカド型S

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〈紀行文〉 
これは1981年に生まれた保存鉄道のブリストル・アンド・ノースウエスタン鉄道の看板シーンである。30パーミルの勾配のカーブしたティンバー・トレッスル(木材架橋)のキシむ音、レールとフランジの鳴く音が入り交じり最徐行で通過して行くのはシカゴ・バーリントン・クインシイ(CB&Q)鉄道のミカドbS960の復活した姿なのである。
さて、ヴァージニア州とテネシー州の境をその町のメインストリートとすることで有名なブリストルと云うイギリス風の名を持った小都市の地理から始めよう。
大西洋岸に面した最古の植民地はヴァージニアであるが、海沿いの平地から西の奧地に入ろうとすると先ず低い丘陵の続くピートモント台地があり、それに続いてプルーリッジ(青い尾根)の山々が立ちはだかっている。この山脈は大西洋岸にほぼ平行していてワシントン付近から南はグレート・スモーキー山に至る高さ2,000mを越える山々が長く連らなり、海岸地方からの移住者の西方への進出を阻んでいたのである。
この西側には平行してアパラチアン台地がやはり長々と連らなり、北はアレゲニー台地、南はカンバーランド台地と呼ばれる復雑な地形である。この二つの山脈に挟まれた谷間は、東北から南西に伸びていて、北はぺンシルバニア州からテネシ-州まで続ぃているグレート・ヴァレー(大地溝帯)である。そしてこの谷の西の山裾は、,リッジ・アンド・ヴァレー(尾根と谷)と呼ぱれる谷底から尾根迄、標高差100m位の尾根と
谷が幾重にも平行してカンバーランド台地につながっている。そこで、プリストルの町は、このグレート・バレーのほぽ中央に位置し、北にはヴァージニア州のロアノーク市、南はテネシー州のノックスピル市があり、その間は260マイル、ほどは高速道路I-81号で結ばれている。 
17世紀の頃、険しいアパラチヤン山脈に阻まれた初期の移住者たちはグレート・ヴアレーの北の入口から南下してこの谷に入って来た。それは主にイギリス人、スコットランド人、アイルランド人などが主力で、インデアンと争いながら、濃い森林地帯を伐り開き、丸太小屋を造り北欧風の生活が営まれた。これらの人々の中には家財を持たない下層階級の人々で、排他的で宗教心が厚く、特に中央の政治に対して敵意や疑を持っ傾向の人もいて、彼等はより西部に移動せずアパラチヤン山地に定住したのであった。その後1825年にエリ-運河が開通すると西への移住者の流れは、ニューョークから五大湖地方へのルートが主流となり、アパラチヤン山地の南部の一帯は,その後も交通に恵まれず、孤立してしまった。このために17世紀イギリスのエリザベス朝の文化をにおわせるような独特の言葉や音楽や習慣が生れ、古い英語の歌が残り、フオークソングとして歌いつがれて来た。スコットランドから来た人々は,トウモロコシからバーボンウィスキーを生み出したりしていた。1917年になってイギリスのフォークソング蒐集家シャープ氏がこのプリストルを中心とする山岳地帯に、18世紀の古ぃ英語のフオーク・バラードなどであふれていることを発見した。これを契機としてビクターレコード会社は、ブリストルに電気式カッテングマシンを備えたスタジオを古ぃ練瓦造りの帽子工場の一室に開設し、そして多くのファミリーやタレント達が集りレコーデングをした。そしてたちまち世界中にカントリーゥェスタンとして拡がり、プリストルの町は音楽一色の時代となった。その後、音楽の中心地は山を越えたテネシー州のナッシュピルに移ったが、5月の第一週末にはアパラチヤン・ミュージック・ディが催され、全国の音楽ファンが集って来て、この静かな田舎町も活気を取り戻すのである。この州境の町はデープ・サウスへの玄関口でもあって、これから南に入ると南部らしぃ風俗文化が濃くなって来る。
 さて、鉄道マニアの趣味の行き着く頂点は、何と言っても自ら鉄道を動かして旅客を運び、喜んでもらうことに尽きるようである。そのような夢を実現させているグループがアメリカでは決して珍しいことではない。古い鉄道を保存して運転することは、歴史的にも教育的にも高い価値が認められており、社会生活の中の市民活動として盛んに行われているのである。ここで、B&NW鉄道の場合を追ってみよう。地元で石炭などの事業で成功したKeeneさんは、友人達と図り交通の便のよい由緒あるブリストルに,価値のあるアトラクションを創造しようと考えたのも、元来この一家も鉄道に縁が深く父親はノーフォーク・ウエスタン(NW)鉄道の列車の仕事を50年余り務めてきた人であったとのことである。1979年には非営利団体を組織して、ブリストルからアパラチア方向のサザン鉄道の支線が廃止になると、すぐに譲り受けて、保存鉄道の凖備を始めた。そして、長い検討と交渉の末に、aD4960を借りる契約に成功したのであった。その条件はQ鉄道の伝統的な姿を変えない前堤で15年間のリースが結ばれたと報じられている。彼はオハイオ州のジャクソンに構内鉄道を持った廃製鉄所を買収して、オバーホールの凖備を整えた。真冬の1月に入り雪のウイスコンシンからC & NWの貨物列車に牽かれた4960がシカゴ経由で到着し、数年前にィンデアナ州のフオートウエィンでニッケル・ぷれーと・ロード(NKP)鉄道のaD765(末尾に注記あり)を甦らせたグループの手によって修繕が進められ、3月に入るとヴァジニア州のボイラ規則による水圧テストに合格し、元来の仕様であるボイラー圧200ポンド/平方インチに対して150ポンド/平方インチで使用許可が出たのである。この圧力の低下はB&NWの30パーミルの勾配に対して充分であり、汽笛の作動にも支障がないとのことであったが、ボイラー胴には保温ジャケットを装着する時間的余裕がないため、1981年シーズンは火室のステイボルトの頭が無数に見える異様な姿は、かえって力強さが印象づけられたのであった。一方、ぺイントワークは、Q鉄道の伝統的姿で、煙室扉の前面につけられた.プレート,テンダーに画かれたロゴはひときわ鮮かな赤色である。そして、客車も三輛が各地からリースして用意が整った。
一方、線路の方は10年間の空白の時を埋めるために多勢のボランテアが参加して,路盤に生えた雑木の整理や木製の橋の手入れが精力的に進められたのである。
 所で、この路線は北にある豊富な良質の石炭を産出する地域をめざしており、元サザン鉄道ブリストル支線で、ブリストルから西へモッカシンギャップの間低い尾根と谷が幾重にも並行するリッヂ・アンド・バレーを横断する29.6マイルの山岳るーとである。その石炭列車はサザン鉄道で最初の2-8-8-2の複式マレー機が配置され、30パーミルの勾配を17輛のホッパー車を引き上げ、ブリストルの北の工場に運搬していた。それも1970年に工場の閉鎖と共に廃線となってしまった。その後、保存鉄道が実現するのもB&んWが三回目であることからしても、このルートの美しい自然環境と,バカンス季節に自動車旅行の集まる地域に当ることが このロケーションの素晴しさを物語るものである。
(注記:?NKPのaD765NKP(ニッケル・フレート・ロード)は1881年創立の古い鉄道会社で、制式の名前は
New York,Chicago & St LouisRR(ニューヨーク・シカゴ・アンド・セントルイス鉄道)であって、その略称の“NYCL”の発音から“Nickel”との愛称が生まれたと云う。2,170マイルのルートはバッファロー〜シカゴ〜セントルイスに至っている。
1964年にN&W(ノーフォーク・アンド・ウエスタン)に九州された。
NKPは大きな火室を四輪従代車に乗せたバークシャー・タイプ(2−8−4)の新しい方式に先鞭をつけた。それは1925年にLIMA機関車会社が開発した“Super Power”と称する大型貨物機を導入したのである。特に1942〜49年のNKP の65輛は有名で、その中の1944年製の一大である。


撮影:1981年
発表:「イル」誌・1984年5月号

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・「カントリー ウエスタンの里「ブリストル」を訪れて」シリーズのリンク
046. 汽車好きの子供たちとQ鉄道のミカド・バージニア州
301. カントリーウエスタンの流れる葉たばこ畑・バージニア州