自動車塗装の自分史 とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のHp
SL蒸気機関車写真展〜アメリカ & 日本現役

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301.  カントリー ウエスタンの流れる葉たばこ畑 ・バージニア州


〈0001:〉
ブリストル&ウエスタン鉄

…………………キャ〈紀行文〉
鉄道マニアの趣味の行き着く頂点は、何と云っても自ら鉄道を運営して旅客や貨物を運び、喜んでもらうことに尽きるようである。そのような夢を実現させている運の強いグループがアメリカには決して珍しいことではないようだ。それらの活動は鉄道趣味の一環ではあるものの、古い鉄道を保存して運転することは、歴史的にも教育的にも高い価値が認められており、社会生活の中の市民活動として盛んに行われているのである。
ここに紹介する息子を連れたエンジニア(機関士)ルックさんも,その一人であって、現役を離れてから,この地方で家具と不動産販売事業で成功した実業家であるとか。
北野ウィスコンシン州にある鉄道の博物館から大変な苦労をした末に、由緒ある SLを借り受けることに成功した。そして、非営利団体であるブリストル・アンド・ウエスタン鉄道と呼ばれる運転グループを結成し、3両の古典客車と大型のSLをオーバーフォールして運転にこぎ着けたのであった。その鉄道のある町は、イギリスの古い都市の名を持った南部の小さな町なのだが、バージニア州とテネシー州の州境が街のメインストリートであることで有名であるばかりでなく、カントリーウエスタンの発祥の地としても知られている町なのであった。
この地方は、大西洋岸に沿って走るアパラチャン山脈の南西に位置し、複雑な地形の山と谷が折り重なるように交錯する山中である。
17世紀には、イギリス・スコットランド・ドイツなどからの移住者が、この山中を西に向けて進んでいたが、この険しい山々は人々の西進を拒んでいた。そのうちに、北部の諸州のうち、ニューヨークはエリー運河を建設して五大湖地域から、ボルチモアは鉄道馬車で、ペンシルバニアは運河とインクラインとの組み合わせでミシシッピー河の大支流のオハイオ河川岸を経由して、西部への移動と、交通の手段を獲得して人の流れの主流となった。そのために、この地方は発展から取り残されたままの姿で20世紀を迎えた。1900年の初めに、英国人のシャープ氏が、この地方に古いエリザベス朝時代の文化の香りを残す歌やメロディーが保存されていることを発見し、それを広く紹介したのがカントリーウエスタンの始まりとある。
 さて、ブリストルの町外れをすぎるとすぐ山間に入り込む。二つの谷と峠を越えると終点のベンハムとなる。駅前?の雑貨屋を兼ねた休憩所のような店からウエスタンのバンジョーの音が流れていた。
線路の向こう側は、バーキニアン・ブライトと呼ばれる高級葉たばこの畠が、なうねるように広がる丘を埋め尽くしていた。人間の背丈ほどにも伸びた葉たばこ、その輝くような黄緑色の濃さが強く心に残った。収穫の頃になって、刈り取った葉を束にした物を、高温乾燥すると黄金色に輝くバージニアン・ブライトの誕生となるとのことで、高級葉巻が日本の専売公社への納入品になるとのことだった。
イギリスから移住して来た人々は、この美しい自然の中にバ
ーボンウィスキーを発明し、カントリーウエスタンの音楽天国を営み楽しんでいたのである。外から見ると,やせた農地に赤色に濁った川の水、また山の奥地といった荒んだ印象の強いこの地方ではあったが、新しい発見は尽きないものだ。そう云えば、この葉たばこの山地から、大西洋岸の欧州との貿易港へのバージニアン・ブライトを詰めた樽を積んだ馬車が通った道筋が「たばこ街道として」残っていると聞いた。
 この機関車と鉄道にについては
・カントリー ウエスタンの里「ブリストル」を訪れて・バージニア/テネシー州
045. Q鉄道のミカド“♯4960”の復活・バージニア州
046. 汽車好きの子供たちとQ鉄道のミカド・バージニア州

に記述がありますのでご覧下さい。

撮影:1980年
発表:「塗装技術」誌・1991年12月号表紙