自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
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にある送付先へドウゾ。)
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・「クヤホガ・バーレー・らいん」/オハイオ州
039.
B&O鉄道アクロン・ヤードでのGTW ♯4070
・
オハイオ州
〈0001:〉
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〈紀行文〉
Hale Farmの停車場を出発すると、アクロンまでは台地の上に這い登るための勾配がつづく。狭い切り同志や住宅の裏庭をすり抜けて高見の台地の縁に登りついてノロノロと動く列車は谷のそこからは煙が上がっているのでその位置はおおよそ判るので安心だ。
B&O(バルチモア・アンド・オハイオ)のアクロン北駅とでも云うべき所で乗客を降ろして、再びゆっくり前進し始めた所で追いついた。
列車はB&Oの貨物ヤード脇を通り抜け、複雑に入りくんだデルタ線のあるB&Oの基地に着いたのだった。列車に残っていた鉄道マニアは直ぐに飛び降りて、機関車の転向風景をを撮影するために右往左往しているのであった。
この支線は先のカントンへ続いているが、この地点はDL基地になっており、近くを通過するCR(Consolidated Railroad:コンレール)や、B&O、AC&Y(アクロン・カントン・アンド・ヤングストン)の三鉄道のインターチェンジがあり交通の要所であった。少しの間に、東へ石炭を積みに行く空のホッパー車、東海岸へ行くピギーバック専用列車がCR7の機関車に牽かれて通り過ぎる。アメリカの貨車は思い思いのデザイン(色,マーク,スローガン)で満ちており、見ていても楽しい。貨物ヤードのポイントは全て手動式で、遠隔操作式は採用されていないので、機関車の引き回し方が手に取るように判るのは有難い。そして、アクロンの基地で、DL(ディーゼル機関車)の傍で小休止のaD4070はしばしの憩いのひとときである。やがて帰路の時間が近づき、ゆっくりと客車を引いて発車して行った。
このクガホヤ渓谷ラインの主役であるSLのaD4070は2-8-2の車軸配置を持った、いわゆるミカド・タイプのSLである。1918年にALCO(アメリカン・ロコモーディブ会社)
のノスケネクタデイ工場(ニューヨーク州)でGTW(グランド・トランク・ウエスタン)鉄道(カナダ国鉄のアメリカ子会社)向けに製造された。この仕様はUSRA(United States Railway Administration)のright Mikado(軽ミカド)であった。
そしてミシガン州とデトロイト近郊で高速旅客や貨物サービスを1960年まで続けた。1946年には、トルーマン大統領選挙の初戦のキャンペーン列車を牽いたと云う経歴が残っているとか。
また、ご存じのように、2−8−2の車軸配置のミカド・タイプのSLは日本の東北本線を建設した日本鉄道(私鉄)がアメリカのボールドウィン機関車工場に注文して、1893年に製造されたのが最初であるとされている。そこで、この形式の車軸配置に“MIKADO”と云う呼称を日本の天皇=帝(みかど)に因んで命名したと云う。戦時中は敵国後なので“マッカーサー”と呼ばれて居たこともあったらしい。二輪台車の上に広い火室を載せることにより、動輪径を大きくすることも可能になったといわれ、アメリカでは一万台余りが製造され活躍した。GTWには147輛のミカドが在籍したとあった。
このUSRA仕様の♯4070と同じ軽ミカドは628輛がせいぞうされたし、その後USRAの統制がなくなってからも更に641輛が製造され、重宝されたと云う。
この♯4070はUSRA仕様だけあって、アメリカ型の簡素なデザインの姿であって、ボイラー上砂ドームサイドに描かれたNRHS(National Railroad Histrical Society:アメリカ鉄道歴史学会)のレタリングの文字だけが唯一の装飾と云えるだろうか。
動輪直径が63インチと比較的大きいために、いるので、ストーカー缶の中心が高く背が高い感じがするようである。この缶(かま)は塊炭を焚いているので、ストーカーが装着していないので助手を務めるボランテアは大変であろう。
また、♯4070はUSRAの軽ミカドの中で唯一の“Coffin style・feed water heater”:コッヒン式給水暖め器)を装着している特徴がある。
・GTW♯4070の仕様:
Whyte Classification :2-8-2
Type:USRA Light Mikado
Railroad Class:S-3-a
Built By:American Locomotive Co, Schenectady, New York
Date Built:December 1918
Construction Number:60319
Original Cost:$53,600
Locomotive Wheelbase:36・1・
Tender Length:71・4 ス・
Dry Weight:290,000 lbs / 145 Tons
Weight on Drivers:220,000 lbs / 110 Tons
Pilot Diameter:33・
Driver Diameter:63・
Trailer Diameter:43・
Tractive Effort(牽引力):54,724 lbs
Boiler Pressure:200 PSI
Cylinder Bore x Stroke26・x 30・
Fuel:Coal
Gauge:U.S. Standard ・4・8 ス・
Tender Water Capacity:10,000 Gallons
GTWを引退してから、1965年末まで National Museum of Steam PropulsionにてConneaut Lake Park にて定期運行列車に従事していたが、その後 Midwest Railway Historical Foundationに買収された。そして1966〜68年までは各地の行事に走った。
1975年から、MRPS(Midwest Railway Historical SOCIETY)が組織されて、新しいCuyahoga uValley Lineと云う保存鉄道を運行することになり、クリーブランド〜アクロンを走ることになった。
そして長い活躍の最中、1990年に起こった機械的トラブルにより引退せざるをえなくなり、71年の生涯を終えた。そして、B&Oのクリーブランドのラウンドハウス(扇形機関庫)に留置されているとの話を聞いた。
その代替えとして数輛のSLが手配されているようだ。2005年の情報によれば次のSLが記載されていた。
・#6771 (EX. CN #6771) FPA-4、1993年に入手
・#6777 (EX. CN #6777) FPA-4、1994年に入手、
・B&O #800 (EX. CN #6780) FPA-4、2001年入手
・#6767 (CN #6767) FPA-4、2001年入手、1959年にモントリオール機関車会社でカナダ国鉄向けに建造された流線型の旅客急行用の機関車36輛の一台であり、モントリオール〜トロント間を走り、時速90まいるで走行できた。
・#365 (EX. Atlantic Coastline #127) C420、2001年入手、
・#1689、2003年入手、ALCO(1954)、Chicago North Western.
また客車には、エリー・ラカワナ鉄道、ニューヨーク・セントラル鉄道、ノーホーク・ウェスタン鉄道、ニッケル・プレート・ロード鉄道などのオハイオ州内の鉄道の旅客用の車輛を使用している。いずれも鋼製、二 または3軸ボギーで10数輛使用しており、車体はダークグリーンに統一して塗装されている。
撮影:1978〜9年
発表:「レイル」1980年6月号
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・「クヤホガ・バーレー・らいん」シリーズのリンク
037.クヤホガ渓谷をオハイオ運河に沿って走る(オハイオ州)
038. GTW ♯4070・保存農場への停車場にて・オハイオ州