自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
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にある送付先へドウゾ。)
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・「クヤホガ・バーレー・らいん」/オハイオ州
037.
クヤホガ渓谷をオハイオ運河に沿って走る
・
オハイオ州
〈0001:〉
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〈紀行文〉
五大湖の一つであるエリー湖の南岸にある工業都市クリーブランドから、クガホヤ河の渓谷を南に遡ってゴム工業都市のアクロンに至る27マイルを往復するクガホヤ渓谷ラインと云う保存鉄道を1978〜9年にわたって数回訪ねた。この辺りはオハイオ州の北東部に当たるが、この州ははアメリカ大陸の大西洋岸とほぼ平行に南北に走るアパラチャン山脈の西側に位置しており、エリー湖への斜面と、ミシシッピー河の支流であるオハイオ河流域とに別れており、このアクロンは丁度、その分水れいに当たる標高291bの高所に位置していた。エリー湖に流れ込むクヤホガ河はU字型の谷を作りながらオハイオの内陸部からゆっくりと流れ下る.この上流の台地上にアクロンには多くの氷河湖が青い水をたたえている。
鉄道の発達する前のエリー湖の水運はクヤホガ河に平行して残るオハイオ運河(OHio CANAL)を遡って,アクロンの台地を数十段の閘門をを使ってマイアミ川へでてオハイオ川流域に足をのばして、西部開拓地への工業製品の流通を担っていた。
やがて、五大湖最北のスペリオル湖附近に良質な鉄鉱石が発見されるにおよんで、これを水運によってエリー湖岸に運ぶと同時にあぱラチャン山中に産する豊富な石炭を利用することによって、鉄工業がクリーブランドやオハイオ河上流部のピッツバーグなどに勃興したのであった。
それ故に、クガホヤ渓谷ラインの走るバルチモア・アンド・オハイオ(B&O)鉄道の路線も今なお、その鉄鉱石ペレットや石炭の輸送に活躍しているのである。
クガホヤ河はクリーブランドの東でエリー湖に流れこむ長さ160きろの大河で内陸の森林地帯の水を集めながら、深いU字状溪谷の地形を作っている。この広い溪底ではゆったりと流れるクヤホガ河に沿って国定レクリエーション地域が設けられ、開拓時代の農場とともに、やガラスや鍛冶などの手工業などもそのまま残っており、音楽堂、スポーツ、特にカヌーなどの施設が設けられているようだ。これらを訪れる大都会のクリーブランドの市民の足としてクガホヤ渓谷ラインのSL列車も親しまれているのであろう。
この列車の運行には「中西部鉄道歴史基金」が所有するSLと客車を使用して行われている。この基金は、NRHS(アメリカ鉄道歴史協会)」の中西部支部の努力によって集められたもので、先ずLと客車を所有した上で、その維持と運転を含めてボランティアに支えられて運営されているようである。
アメリカではこの様な活動は社会教育活動として認められ,州鉄道局も惜しまずに援助を払っていることもあって、この様な現役のB&O鉄道の本線上を運転すると云う催しが続けられるのだとのことであった。
ミカド型SL aD4070の牽く10数輛の客車は近郊都市のインンデペンデンスを出発点としてクヤホガ溪谷を約27マイル、昇降差400 フィートを遡りアクロンに至っている。この間、大きなドラフトが切り立った谷間にこだまして,蒸機ならではのタイムトンネルの旅を演出している。
或る休日の朝、10時頃、クリーブランドの隣町のインデペンデンスの家具スパーマーケットの駐車場の傍らで、大型乗用車を出札口の替わりにしてボランティアの人々がお客を待っていた。私は撮影させてもらうので、御礼としてクリーブランド〜アクロン間の切符を 二枚16ドルで買いながら、SL撮影場所などのことを尋ねているうちに、遠くの方から鐘を鳴らして列車が到着した。まったく飾り気はないが美しく磨かれたSL aD4070と、ダークグリーンに統一された鋼製客車であったが、どこからとなくいつの間にか人が集って来た。教会のグループ,学校の生徒達の遠足グループなどに混じって年輩の御夫妻もちらほら.カメラやテレコを片手の鉄道ファンも行儀よく砂利の線路脇に並び始めた。そのうちに、蒸機狩と覚しきジープが偵察に来てそそくさと立ち去っていく。
出発した列車は工場や住宅のある街並を抜けると,谷底に当る森林を分け進んでいく.高くそびえ立つ両岸の上は美しい住宅が並んでいる.鉄道は川に沿って進み,運河沿いには水車による製粉工場や水門,船着場の倉庫などが残っており、豊かな水がゆったり流れ、やがて運河はダムの上流で河に合している。ここはU字谷の上を州道が美しいアーチを画いて HIGHLEVEL BRIDGE が河、運河、鉄道をひとまたぎしている.1931年製のコンクリート製で冬の厳しい氷雪に風化し,当時の土木技術のモニュメントになっている。橋桁の上からは遠くアクロンの台地が濃い緑の森林の先に連なり、眼下に谷底を迂回する旧道の踏切りが見え、カヌーで下って来た若人たちはカヌーを肩に線路脇を歩いてダムの下流で再び水上に降りて下り去って行く。
ここの"HIGH LEVEL BRIDGE“を望む風景は有名撮影地点らしく、数人の鉄道マニアらしき人々が集まって来た。この辺りは、上りも下りも力行するが特に上りの列車は谷間にも充分日のさす頃であり、深い谷間にドラフトを響かせ、愛嬌の警笛を存分に鳴らしながら走り去るのである。
こ今日こそはと意気込んで訪れたのだったが、雨模様の初夏のショットの一枚だけが私の手元に残っているだけである。
尚、SL aD4070と客車については次の39.をご覧下さい。
撮影:1979年
発表:「レイル)誌・1980年六月号
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・「クヤホガ・バーレー・らいん」シリーズのリンク
038. GTW ♯4070・保存農場への停車場にて・オハイオ州
039.
B&O鉄道アクロン・ヤードでのGTW ♯4070
・
オハイオ州