自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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025. 冬枯れのえびの盆地 ・吉都線/加久藤)付近


〈0001:朝の逆光の韓国岳(からくにだけ)を背景に〉
冬枯れのえび

〈0002:吉都線京町温泉駅発車〉
〈京町温泉駅を発車するC55

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〈紀行文〉
 このシリーズでは宮崎県西北と鹿児島県の北東の県境に広がる霧島山系に囲まれた「エビノ盆地」(加久藤盆地とも云う)の周辺で撮った鉄道風景をご披露したい。
この霧島山系は長さ約20km、短径約20km)に広がる霧島火山帯にある多くの火山群と、そのほぼ中央に広がる東西約15km、南北5kmのカルデラ性の「えびの盆地」が含まれている。
 この盆地の北はカルデラ外輪山である肥薩国境をなす矢岳山(標高 739m)それにつながる矢岳高原(標高 700m)、南はカルデラ南縁に形成された霧島山に挟まれている。このカルデラには解明されてない点もあるが、約33万年前の大噴火で発生した加久藤火砕流は薩摩半島と大隅半島の中部以北と人吉市付近および宮崎平野にまで広がり、半径約50kmの範囲に溶結凝灰岩の地層を形成した程の大規模であった。そしてはげしい陥没が起こり、そこに水がたまり、更に霧島山西端にある栗野岳の溶岩によって水の出口を塞がれて大きな堰き止め湖が出来上がった。この湖の南部は霧島山の火山活動によって埋められて堆積が進み、最終的には川内川による湖口部の侵食が進んで排水され陸地化して盆地となった。
湖の水位変化の痕跡が川内川の河岸段丘として残っている。
この盆地内には川内川がゆったりと西流し、西から鹿児島県湧水町(元の吉松/栗野)から宮崎県えびの市、および小林市が広がっている。ここは内陸性気候で、夏の日中は高温で、冬は「霧島おろし」の底冷えのするところで、12月頃には雲海や霧の多いことでも知られている。
 或る年末年始の休みに、SLの撮影を兼ねながら家族と共に南九州を旅した。宮崎二生まれの知人に教えられて、エビの盆地にある情緒たっぷりな地名の京町温泉と云う所に二日ほど泊まった。それには、昔の「鉄道ピクトリアル」誌で見たと思うのだが、美しい細身のボイラーと水かきの付いたスポーク動輪を履いたC55のサイドビューを、「レンゲ」の咲き乱れる田んぼを前景として撮ったのが、この京町温泉を通る吉都線の風景であったことが記憶に鮮やかに残っていたからでもある。
 この吉都線は日豊本線の都城から小林を経て、肥薩線の吉松に至るエビノ盆地を貫くローカル線であるが、その昔は日豊本線として、小倉から宮崎を経て、肥薩国境の矢岳越えを通っていた鹿児島本線の吉松に至る幹線の一部であったのだった。その後に鹿児島本線が有明湾沿いのルートが開通して、そちらに移ると、吉松〜鹿児島の旧鹿児島本線を編入した日豊本線は小倉〜鹿児島までとなった。
しかし、その後に、都城から直接霧島山麓を越えて鹿児島湾沿いに抜けるショートカット 国都線ルートが完成してからは幹線の地位を譲ってしまったのである。
さて翌朝は霧島連山を背景にと意気込んで出かけた。山並みが手頃に入る所を探して走り回った末に、広々とした川内川の河原を見渡せる河岸段丘を見つけた。とにかく広々とした冬枯れのすばらしいすすひの河原が広がっていた。丁度、朝の列車が通貨して行く白い蒸気が「霧島おろし」にあおられて流されて行く様をしばし眺めていた。冬の日の出は遅いので、山並みは逆光で黒く沈んでいたが、河原のすすきの穂並みは光輝いているように見えた。列車を引いていたのはおそらくC55のはずだのだが。
ここから眺められた山脈は左(西)から、韓国(からくに)岳)1,700m、ししとだけ(獅子戸岳)1,429m、しんもえだけ(新燃岳)1,421m、なかだけ(中岳)1,332m、たかちほのみね(高千穂峰)1,574mなであろうか。この韓国岳の北西面中腹の標高1,200b付近には「えびの高原」がひろがり、広々としたすすき原、原始林と美しい沢山の火口湖に囲まれた広々とした高原で、春はミヤマキリシマと、カイドウが咲き乱れる温泉郷でもあるとか。えびの高原のススキは毎年、8月下旬になると一斉に「えびね色」に変わり、韓国岳中腹から見るとまるで赤いじゅうたんを敷き詰めたようになり、とても美しい。これは硫黄山の辺りから噴出する硫酸ガスによって変色するためで、この“えびの”の地名もすすきが一面の「えびね色」の野になることから名付けられたとか。この「えびね」は日本に自制している蘭の一種であるとのことだった。
 ところで、この「エビノ盆地」も昔の薩摩藩(鹿児島県と宮崎県の一部)の風習が色濃く残っている地域であり、とりわけ農民たちが豊作の願いを込めて祭って来た田の神とも云うべき“田の神さぁ”が各所の田んぼ脇にまつられているとの話を聞いてきていた。それ故、是非とも前景にと努めてみたが、今回はモノにはできなかった。その代わりとなってしまったが、冬の田の中に収穫を終えて刈り取った稲の穂を遠景に積んで自然乾燥をさせている、この地方独特の丸野積みを前景にして、C55重連が牽く旅客列車の京町温泉駅発車風景を撮ることができた。
 昔から私は石仏や板碑には興味をそそられていて何度も試みていたことがあったが、確か磐越東線の3春駅の近くの用水路際で残雪の中に祭られている水神様と発車して来たD60を撮ってまんぞくしたことがあった。
ここの“田の神さぁ”のバリエーションは数多く、一般的なお地蔵さんのようなものから、神官や自然石、ユニークな見たら笑える風貌のものまで様々で、しかもカラフルな色彩が特徴なのだと云うのだが、何とか試みてみたいものだ。
   ここで、吉松駅前に保存されている(蒸気機関車「C55 52号」がやはり産業遺産の保存車両としてにんていされていることも付け加えておこう。この門鐵デフを付けたSLの細身のボイラー胴と直径1750mmスポーク動輪+棒台枠が作り出す透き通ったサイドビューは象徴的な美しさと云えると思うのだが。(写真は下記をリンク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:C55_52.jpg

撮影:1968年
発表:個展「日本縦断 蒸気機関車写真展、年賀状

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・「霧島山系を巡る鉄道風景」シリーズのリンク
25.冬枯れのえびの盆地(JR九州・吉都線)
102.「樹氷を装った霧島山の冬景色」(肥薩線・栗野〜大隅横川)
303. C57「けむりの構図」・日豊本線/国分−南霧島(信)