余市鉱山(よいちこうざん)

探訪日:失念


前回ここを訪れたのは、今から15年〜20年前のことである。閉山から20年余りを経ても依然赤茶けた荒地が広がり、幽鬼に肩を叩かれんばかりの暗陰さにワクワクさせられたが、現在、公園らしき真新しい施設があり、浄水場施設から断続的に機械音が聴こえきて、血の気を感じる場所になっていた。沈殿池と坑口だけが鉱山であったことを物語っている。
坑口は主鉱床を採鉱するための坑道(恐らく「湯内坑」)と呼ばれるものが二つ残存(写真)。橋を渡らねば近づけない。橋を渡った所に一つ、右に登った所に一つ。封印はされていないようだが、立入禁止と書かれた扉で閉じられている。この他に「古住坑」と他2坑あるようなのだが、この日の廃鉱探訪は「おまけ」であったのと、湯内坑が記憶のまま残存していたことに満足し、余市鉱山を後にした。

●地名「湯内(ゆうない)」
同名の地名が北海道各地にある。アイヌ語で yu-nai 訳すと「温泉・川」という意味になる。火の無い所に煙は立たずで、この奥に温泉があるのだという(ちにみに、武四郎もそう書き残している)。



余市鉱山について
余市鉱山は明治18年、秋田県の対馬重太郎により発見されている。同27年三井鉱山株式会社が探鉱。同45年頃田中鉱業株式会社が買収し探鉱したが放棄。昭和8年、小樽の山崎幸之輔、大野幸三郎が探鉱したが資金不足に陥り、同9年住友に譲渡し「住友余市鉱山の支山 湯内坑」として本格的に開発される。昭和17年、帝国鉱業開発株式会社に委託され、終戦と共に休山。昭和22年井華鉱業株式会社(住友金属鉱業)が再開し、昭和26年「別子鉱業株式会社国富鉱業所余市鉱」と改称。銅、亜鉛、鉛、を産出する。しか
参考:該当する5万分1地質図幅