手稲鉱山 〜札幌の大金山〜

探訪日:2004/09/26



 手稲山の山腹にある手稲鉱山は、戦後も採掘を続けていた数少ない金山の一つです。閉山から30年以上経っていますが、大きな鉱山だったので、ズリも大きく未だ緑化していない部分が多く、林道や沢には転石や露頭があります。一部の坑口やヒは未だ残っていて観察することができます。地表付近まで掘り抜き陥没した危険な所もありますので注意が必要が所もあります。
左写真は、手稲鉱山の元山付近です。三つ山と言われています。

鉱石は、ズリや林道を歩くだけでもたくさん拾えます。ですが、立派なものはありません。石英、水晶、重晶石、安四面銅鉱、黄鉄鉱、自然テルル、テルル石、などは転石やヒで見られます。有名な手稲石の採集は、極めて難しいです。
一方、鉱山住宅跡(といっても土台しか)や選鉱場、斜坑、坑口、といった施設が未だ残っており、産業遺跡見物には良いのではと思います。
なお、鉱山跡地は"エコマネジメント"の管理下にあり、許可を取らないと立ち入ることができません。という僕は、2006年の9月まで許可の必要性を知らずにいました。採集していたときに注意され、退去を命じられました。

手稲鉱山について

手稲鉱山は多くの金属鉱山同様、戦前に隆盛を極めた金銀銅山でした。戦前は全国第2位の産金量を誇ったことがあり、総産金量でも北海道で第3位にある大きな鉱山です。戦後は採算の問題からでしょう他の諸鉱山同様急速に縮小してしまい、昭和25年には休山状態に陥り、以後、上鉱採掘を細々と続けていたものの昭和46年に閉山してしまいました。
手稲山を含む札幌西南部の山地は、第三紀のグリーンタフ活動により形成された緑色凝灰岩や変朽安山岩が分厚い基盤を成しており、鉱脈は、その基盤に生じた割れ目や断層に充填しています。手稲鉱山の鉱脈生成は400万年前で、新第三紀末期にあたります。この時期、札幌西南部の山地は、海底において、グリーンタフ基盤生成後、隆起して陸地化した後で、馴染みの札幌の山々はまだ噴火していません。第三紀末期の熱水活動がここにあったのでしょうね。

手稲鉱山で採集した石

胆礬(たんばん)(露頭から剥がしたもの)
四面銅鉱の多い脈の表面に粉を吹くように生成していました。水に溶けるので胆礬だとしています。

重晶石(ズリの転石)
標本としては今一つですが、たくさんあります。写真の左側に灰色の帯ありますが、さて何の鉱物かよくわかりません。

水晶(露頭下の転石)
このような晶洞が落ちていることは珍しいので採集しました。

水亜鉛銅鉱(ズリ)
このような晶洞が落ちていることは珍しいので採集しました。

四面銅鉱(恐らく)(ズリの転石)
写真では分かり辛いですが、酸化して青味を帯びている所があります。もう、このような小さなものを調べていくしか...。ズリにはこのような石英の塊が多いです。

テルル石(ズリの転石)
黄色い部分がテルル石です。テルル石は、自然テルルの酸化した鉱物です。

テルル(ズリの転石)
灰色の部分が自然テルルです。いくつかは光沢を放っています。