千歳(ちとせ)鉱山 〜比較的最近まで採掘していた金山〜

探訪日:2002/04/13,2005/07/17


千歳鉱山は、気軽に行くことが出来る鉱山です。国道から入ってまもなくの所にあります。鉱山としては珍しく比較的最近まで(といっても20年前)、稼行していました。道路地図にも鉱山マークが載っていますんですぐわかります。鴻ノ舞の坑道は、老朽化のために埋められたようなのですが、ここは、未だ維持されているようで、十分現役で使えそうな施設が残っています。上の写真は、地図上の鉱山マークのある所にある廃水処理施設っぽいです。春先でまだまだ雪があります。施設までは綺麗に除雪されていましたが、周囲はまだ1〜2mの積雪で、写真は、ちょうど坑口の上辺りから撮影しています。

千歳鉱山は鉱山マークの所だけではないのですよ。この周りの地下には、多くの鉱脈があって、それらを採掘していました。付近の林道を歩いてみましょう。あんまし目立たないですが、ズリ、露頭、坑口などを見つけることができます。金を含む露頭が未だ存在しています。草木で邪魔されない春先か初冬が良いです。金属鉱物以外では、石英はそこら辺にありますが、氷長石も落ちていますので探してみましょう。写真は神山第一通洞坑で、未だしっかり残っています。舞鶴ヒという鉱脈を採掘していたところだと思われます。



千歳鉱山について

千歳鉱山は1933年に発見されました。川の転石を調査しながら遡って、幅2.5mの含金銀石英脈を発見したようです。これが元山(後の舞鶴ヒ)です。ということは、現在の神山第一通洞坑辺りで見つかったのかもしれませんね。
千歳鉱山は、金銀の品位が高く、最大1トン中に40キログラム含まれていました。この究極の鉱脈は僅かしかなかったのですが。。。

昭和11年に千歳鉱山株式会社が創立し本格化。国の金増産政策により活発に採掘されました。
人もどんどん増えて、一大鉱山街が構築されていったようです。今でも開けている場所ではないわけで、戦前であればなおさら。そんな山奥に、一通り生活できる街が作られ、5000人余りが暮らしていたらしいです。ですが、戦争によって金山は整理されることとなって、昭和18年に休山してしまいます。しかし、重要金山の一つとされて、坑道は保持されていたのです。
昭和20年に高品位な部分のみ採掘する形で再開し、昭和25年に三菱金属鉱業株式会社の所有となります。昭和43年に、金の価格低迷と資源枯渇の見込みのため、生産量が半減し、昭和52年に従業員が千歳市街に移住して鉱山街は姿を消したらしい。昭和54年に高品位鉱が枯渇してしまう。操業は荒川鉱業株式会社千歳事業所に移管。この後、品位、産出量、従業員共に減少を続け、ついに、昭和61年に閉山となりました。

閉山までの約50年の間に産出した金は、20トン。これは、鴻ノ舞の70トンに次ぐナンバー2の実績です。

僕が子供の頃、千歳鉱山はまだ稼行していました。一度だけ見に行ったことがあります。事務所に、採掘された金鉱石の標本が並べられていたなぁ〜と、今でも思い出されます。昔は良かったなぁ〜と思ったりします。