鬼子母神は本来インドの神様で訶梨帝母(カリテイモ)と称されていました。
その由来はお釈迦さまの時代にさかのぼります。

インドのマカダ国にハンシカ、カンキという夫婦の夜叉が住んでいました。
二人には五百人の子供が有りました。
カンキは五百人の子供を養うため、いつも空腹で
ハンシカにきつくたしなめられていた禁を破り
マカダ国王舎城で次々に子供をさらっては食べてしまいました。
城下では連日子供がいなくなり、親たちはなげき悲しみ
ついにお釈迦さまに救いを求めました。

そこでお釈迦さまは神通力を使って
カンキの五百人の子のうち、最愛の末子をかくされました。
やがて城下の子供を腹一杯食べたカンキは家に帰ってきました。
ところが一番かわいい末子の姿が見えません。
いくら捜しても見つからず絶望したカンキは、ついにお釈迦さまのもとにかけこみ
「世尊よ、私の最愛の末子がさらわれました。どうか我が手に戻るようにお願いします」
と助けを求めました。  
お釈迦さまはなにくわぬ顔で
『それは気の毒に。ところでお前には子供が何人いるのだね』 
「五百人の子があります」
『五百人もあれば一人ぐらいいなくても悲しむことはあるまい。
それなのにお前はたった一人の子がいないからといって悲しんでいるのか。
わずか二、三人しかいない子をお前にさらわれた親たちの苦しみはどうだ』
お釈迦さまにこうさとされたカンキは涙を流し
自分の誤ちを悟り、前非を悔い改め、子供をかえしてもらいました。
これよりカンキは仏に帰依し、人々を守り、安楽を与へることをお誓いしました。

こういった由来により、人々はカンキを鬼子母神とよび
子授け、安産、子育ての守護神として敬うようになりました。
日本にも仏教の伝来と共に鬼子母神信仰も広まり
日蓮宗では法華経第二十六陀羅尼品(ダラニホン)に
「世尊よ、私たちは法華経を受持する者を守り
その人たちの衰えと憂いをとり除き、害をなす者には罰を加えます」
と誓われていることから、御祈祷の守護神として崇めています。

「恐れ入谷の鬼子母神」とよく言いますが
江戸時代には鬼子母神は広く信仰され、ポピュラーな神となりました。
当山の鬼子母神様は百六十余年前、開山の周天院日輝上人が彫刻され
九州はもとより、中国四国地方からも守護を求めて参詣されたと伝えられています。
体内には経文を写した十二枚の御経が納められ
その内の二枚を本堂陳列コーナーに安置しています。





本来、鬼子母神の「鬼」の漢字は
正しくは左の文字です。
初めは人の子を食べる鬼でしたが
お釈迦様の教えにより改心し
「鬼」の角が取れ、子(人)を抱く仏となったことから
右のような文字となったと言われています。

しかし現在では一般的に使われていない
漢字の為、「鬼」の字を使用しています。



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