「郷土誌あさひかわ」に2007年6月から掲載しています。思いがままのテーマで書き綴っていますので気楽にお読みいただければ幸いです。
 11年7月号が発行されました。

 炊き出し
  (2011年7月号)

 3月11日に発生した東日本大震災は、大津波などで多数の死者や行方不明者を出すという大災害になり、自然災害の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。そして、今なお10万人を超える避難者がおり、大変な生活をしている。本当に気の毒だ。 
 この間国内はもちろん世界各国から救援の手が差し伸べられ、支援物資が各地から届き、炊き出しも続いている。
 昭和23年に両親や兄姉が樺太から引き揚げて数日間函館に留まった時も炊き出しがあったそうだ。本土の食料事情は決して良くなかったと思うが、

心温まるおもてなしだったと兄は言っていた。最近聞いた話だが、樺太から岩内漁港に引き揚げて来た人々は、炊き出しが無く、海岸に行って昆布などの海藻を拾ってきて食べ、飢えを凌いだという。40数年前になるが、私の故郷朱鞠内では大火によって百数十戸の住宅などが焼失した時も、炊き出しが行われ、支援物資が山ほど届いた。また、仮設住宅が建てられたが、今日よりはかなり貧弱なプレハブ住宅だったと思う。冬の厳しくシバレた時は外に面した内壁が霜で真っ白になったのだ。
 炊き出しは、もともと、被災者の周辺の人々が公的な支援が行われるまでの繋ぎとしてご飯を炊いて出したことから「炊き出し」と言ったという。その意味では炊き出しには、困っている人に対する周りの人々の温かい思いやりの気持ちが伝わってくる。

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白 鳥 秀 樹
旭川市議会議員
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