月刊誌「郷土誌あさひかわ」に2007年6月から掲載しています。思いがままのテーマで書き綴っていますので気楽にお読みいただければ幸いです。
 10年10月号が発行されました。

なつかしい駄菓子の味
  (2010年10月号)

 その昔、雨竜ダム建設の時期には、最大、日に七千人が建設に従事し、ダム完成までには延べ六百万人に上った。戦時中ではあったが雑貨店や飲食店が軒を連ね、大きな集落を形成していたと聞く。
 ダム完成後は大幅に人口が減り、私が子どもの頃には小さな集落となり雑貨店も二軒となっていた。一軒は父母が営む店。もう一軒は朱鞠内駅前が本店で、その支店が道路を挟んで斜め向かいにあった。
 向かいの店には子ども達が喜ぶ駄菓子がたくさん店頭に並んでいたので、なけなしの十円玉を握って、買いに行ったものだ。たくさんの子ども達が集まり、いろいろ
な会話をし、遊びの場にもなっていたと思う。 
 直径3pもある飴玉が4個入りで十円だった。きびだんごやガリガリのアイスキャンディーも人気があった。また、少し高かったがビー玉が欲しくてラムネも買ったものである。
 友達には農家の子が多かったが、家の仕事を手伝っては、僅かな小遣いを貰い店屋に集まっていたのだ。大きな子が小さな子に買って上げたりして、小さな子が子分のようにぞろぞろ付いて歩いていることもあった。
 リヤカーに製造機を積んで年に二、三度回って来る「ドン屋さん」も忘れられない。米やトウモロコシを持って行ってポン菓子を作ってもらうのだ。大きな袋に一杯作ってもらって、いくらだったのか忘れてしまった。
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白 鳥 秀 樹
旭川市議会議員
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