月刊誌「郷土誌あさひかわ」に2007年6月から掲載しています。思いがままのテーマで書き綴っていますので気楽にお読みいただければ幸いです。
 10年7月号が発行されました。

   海からの恵み
  (2010年7月号)

 生まれ育った田舎は、四周が山に囲まれ海からは遠く離れた所だった。 
 時々行商人が訪れ、「こなご」や「煮干し」を売りに来ていた。直径三十p高さが九十pぐらいの白い油紙の袋にびっちり入っていたと思う。おやつがほとんど無い時代だから、この干し魚を兄妹で、おやつ代わりに摘み喰いをしたものだ。今でも煮干しは、昔を思い出し酒の肴にしてたまには食べる事がある。美味しいと思う。
 毎年晩秋になると母は「ホッケのいずし」を作っていた。今だと鮭のいずしがポピュラーなのだが、当時は鮭が高かったのだろうと思う。
 ある年、ホッケのいずしにあたり体中に 
蕁麻疹を発症した事があり、その後はいずしが苦手になってしまった。
 日保ちがする魚は、やっぱり糠鰊と糠ホッケだった。塩味を活かすには、焼き魚にしてご飯に乗せ、お湯をかけて食べるのが一番だと思う。この食べ方は今でも時々行う。旨い。
 今考えてみるとこの魚類はどこで捕れたのが入ってきていたのだろうか。名寄を経由してるとしたらオホーツクの海だろうし、深川からだと日本海なのかなと想像するがわからない。
 海草類もいろいろ売りに来ていた。長めの昆布をはじめ、とろろ昆布は何種類もあった。おぼろ昆布やきざみ昆布などだが、きざみ昆布でとても粘りが強いのがあった。丼に入れて混ぜ、ご飯に掛けようとすると、ツルツルと全て繋がってくるのだ。
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白 鳥 秀 樹
旭川市議会議員
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