月刊誌「郷土誌あさひかわ」に2007年6月から掲載しています。思いがままのテーマで書き綴っていますので気楽にお読みいただければ幸いです。
|
通学の路 (2009年2-4月号) 私は小学四年生まで、夏は、山奥からおおよそ四qの道程を、兄や妹といっしょに歩いて通った。どのくらいの時間がかかったのか記憶にないが、もたもたと歩いていたことは確かだ。 春は馬車道がタンポポの花で埋まり、あちこちの湿地には水芭蕉や谷地蕗の花が咲き、蛙やエゾサンショウウオの卵が水面に浮かんでいた。蛙を捕まえては、お尻から空気を吹き込むという少し残酷な遊びもした。山の斜面には桜の花と共にカタクリやエゾエンゴサクの花が咲き乱れ、春満開を告げるのだ。夏は畑一面の白や薄紫の馬鈴薯の花が強く印象に残っている。 中学生の時は、小学校の時と同じくらい |
の距離を春から秋までは自転車で通った。小高い丘を一つ越えるのだが、帰りは自転車を押して上るのだ。 その丘の頂上にはお寺があり、その裏山は墓地になっていた。補習授業などの後、暗くなってからそこを通るのだが、怖がる女子生徒をサポートしながら何人かで走り抜けたものだ。 冬の通学路は二つあった。一つは夏に通っている道で正統派のコースである。もう一つは内緒の道である線路道なのだ。冬の線路は、実にきれいに除雪しているため歩きやすい。ただ途中に鉄橋が2カ所有り、幅四十pほどの歩み板を渡るのだ。枕木の間から橋下の川が見えるので、けっこう怖かった。 また、一つの鉄橋からは兄が溺れて死んだ淵の場所が見え、手を合わせて渡ったものだ。 |