月刊誌「郷土誌あさひかわ」に2007年6月から掲載しています。思いがままのテーマで書き綴っていますので気楽にお読みいただければ幸いです。
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朱鞠内大火 (2009年1月号) 昭和三十九年春、遠足の日だった。 強い風が吹き荒れ、消防訓練の日でもあった。 けたたましくサイレンが鳴り響き、消防訓練なのだろうと思った。しかし、それは火災発生の知らせだったのだ。 火事は新市街の中心当たりで火の手が上がったという。遠足帰りの途中だったので、多くの生徒が小高い丘から火事の状況を見つめた。 何カ所からか火の手が上がり強い風とともに次から次へと燃え広がっていく光景を目の当たりにした。 焼け野原になった火災現場に行ってみる |
と、家を焼失し呆然と立ちつくす人々。 延焼を防ぐために燃えていない家が緩衝帯として壊され、その前で涙ぐむ人達の姿を目の当たりにし、私も胸が痛くなった。 この大火で士別市から駆けつける途中に交通事故で消防団員一人が死亡し、火災現場で数人が負傷したと聞く。なんとも痛ましい事故である。 その後、旧市街、ダムの商店街と三年続けて火災が発生し、放火ではないかという噂が一部で流れたが原因は不明のままとなった。旧市街の火事は我が家の向かいだったので、今でもその時の恐怖感は忘れることができない。 戦争中はダム建設で数千人もの人口になり、ダム完成後は徐々に人口減になっていた朱鞠内であったが、この大火で百十六戸が消失し、その後、この地を離れる人が続出し、一挙に過疎化が進んでしまったという。 |