月刊誌「郷土誌あさひかわ」に2007年6月から掲載しています。思いがままのテーマで書き綴っていますので気楽にお読みいただければ幸いです。

 兄のこと(二) 2008年2月号

 私は男七人女三人兄弟の九番目だ。現在は男三人女三人である。
 昭和五十四年に二番目の兄がクモ膜下出血で倒れ、急逝した。まだ、四十二歳という若さだった。この兄は十代の時に家を飛び出し、相当期間行方知らずの状況にあった。結婚することになって帯広の地から連絡があり、所在がわかったのである。その後、親や多くの兄弟が旭川に移り住んだことから旭川に転居してきた。
 幼い時の思い出に「節分」の時の豆まきがある。友達の家では落花生などをまいて、たくさん拾ったことが次の日の学校での話題になるのだが、私の家では豆まきはしなかった。
「福はうち」「鬼はそと」と豆をまいて
 鬼に豆をぶつけることによって、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあるそうだが、母は真剣になって「我が家は豆は絶対にまかないよ」と言うのである。それは物心がついて意味が理解できたのだが、兄が外に居たからだ。
 旭川に移り住んでから兄を知ることとなったのだが、実に人の面倒をよくみる兄だった。その意味では多くの人に慕われていたと思う。酒が好きで、酒が好きで、休みの日には朝から一杯ひっかけるのが習慣だったとも義姉から聞いた。
 酒飲みが嫌いだった私だが、今は酒の無い人生はつまらないと思うようになった。飲む量に気をつけなければ、兄の二の舞になるのかもしれない。
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白 鳥 秀 樹
旭川市議会議員
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