自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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        ・四国 高徳線スナップ旅行

147.   老雄「ハチロク 78647号」の牽く旅客列車   ・高徳線/


〈0002:〉
四国|@高徳線 78647号機の引く旅客列

〈0003:タブレット交換のC5888号機〉
C5888 タブレット交換風景 高徳

〈0001:コンネナー貨物列車を引く 、C58121号機・高徳本線/板野-阿波大宮 間〉


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〈紀行文〉
 最も無煙化の早かった四国では、1969(昭和44)年には既に蒸気機関車の活躍はもう見られなくなってしまっていたはずである。だから私が始めて四国でSLの写真を撮ったのは昭和42年か、43年の夏のことであったろう。
当時、私の勤めていたホンダはやっと軽乗用車“ホンダ  N360”を発売して少し人気が出始めていた頃で、完成したクルマは内航貨物船に載せられて四国の坂出港に陸揚げされて、塩田跡に作られた倉庫群の一角に設けられた坂出配車センターで整備されてから、四国内の販売店さまに陸送されていた。その配車センターから塗装の苦情が寄せられて私が承るために急遽、夜行列車に跳び乗り、宇高連絡線を乗りついで昼前には坂出に到着した。そして3日間にわたる販売店さまへの訪問を終わって、その終末には高徳線沿線への旅をしてから、小松島港から帰ることにした。この旅で撮ったSLの写真は、残念ながら1975年3月の“田辺幸男写真展「SLのある風景 日本縦断」”の展示作品に取りあげられることもなく、いたずらに35年余りの長い沈黙を守っていたのだった。所が、今度のHP制作に当たって、失明した私の眼に替わって、ワイフの眼によって全てのフィルムが再点検されることになり、このシリーズの5ショットが陽の目を見ることになったのである。そこで、私には撮影場所の判定が難しく、カマの機番によってのみ「四国」での撮影を確信している次第なのです。ご閲覧の方のなかで、ご存知の方がおられましたら、「 めーる 」にてご教示をお願い致します。
  土曜日の早朝坂出駅をでて、高松駅から大坂峠を越えた徳島側の阿波大宮駅までの往復を試みて車窓風景を確かめた。そして讃岐白鳥駅から峠の麓の讃岐相生駅の間で撮影ポイントを求めてスナップに時を費やした。この讃岐白鳥を出るとと右にカーブして海から離れて行き、少し山の中に入って行き、翼山を周り込むように走り、再び左手に海を臨むようになると引田駅となるのであった。夕暮れの迫った頃に、今となっては、何処だったかは思い出せないのだが、おそらく讃岐相生駅ではなかったかと思ううのだが。駅の方の紹介で公共の宿に泊めてもらうことができた。
 先ず最初は、老雄ハチロク 「78647号」の牽引する旅客列車に遭遇すると云う幸運に恵まれた。夏の休日の午前中であるから、これから旅に出かける人々であろうか、車窓には楽しそうな顔が見える。
webの情報に寄れば、この機関車は1922年に汽車会社の製番635として製造され、当初は新小岩区に配置され、1947年から小松島へ配置換えとなって四国入りしたようだ。その後、四国最後の蒸気機関車として、1970年3月31日に、 牟岐線で旅客列車を牽引したことで知られ、廃車後は多度津駅前に静態保存されているとあった。
 次は、どこかの駅で、タブレットを交換する風景を捉えたが、この頃は高徳線にも腕木式信号機が健在であった。
機関車は C5888 のようで、これは昭和13年に汽車会社で製番1633で製造され、新見区、戦後しばらくして四国の松山、多度津、最後は小松島区へ、昭和46年廃車となった。動輪が香川県 JR土讃線琴平駅前に保存されていると云う。
最後は、C58121の牽引する貨物列車です。

撮影:1947〜1978年?

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・四国 高徳線スナップ旅行シリーズのリンク
146. 大阪峠に挑むSL列車俯瞰(高徳線)