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・2 フィート ナローゲージ鉄道 Edaville Railroad  訪問記(マサチューセッツ州)
122.  B & M ♯ 1455と流線型DC “Flying Yankee”

〈0001:〉
B&M ♯1455・ DC Flying Yankee

〈0003:〉
森の中を通る農園周回こーすの途中で

〈0004:Edaville 鉄道 ♯3、ポストカード・オーデオ ビジュアル デザイン刊〉
クランベリー農園への一週5マイルの旅を終え

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〈紀行文〉
 アメリカでナローゲージ鉄道と云えば、何尾おいても、ロッキー山脈のコロラド高原の金銀鉱山を目指して発達した軌間 3 フートのナロー ゲージ鉄道となるのが常だろう。しかし、大西洋岸の東北東部に当たるニューイングランドのメイン州の森林地帯には、イギリスのウエールズ直伝の軌間 2フィートのナローゲージ鉄道が延長200マイルに及ぶ発達を魅せていたことを忘れてはなるまい。この“two footer ”(2 フィート ナローゲージ鉄道)の発祥については、マサチューセッツ州の農場主である George Mansfieldさんがイギリス旅行をした際に、ウェールズ地方で見聞したナローゲージ鉄道の発達と、その経済性と利便性に感激して帰国したことに始まると云のだ。
 元来イギリスでは、発明されてこのかた、大衆の人気が高まりつつあった鉄道の建設に対しては、当時の交通の主役であった馬車輸送業者への配慮もあって、法律によって厳しく管理されていたことから、その建設には莫大な資金を必要としていたのだった。そこで、未開発の地方や人口の稀薄な地方のために、その規則をゆるくした軽便鉄道が許されるようになってから、山地の多いウェールズ地方では、より経済的な 軌間が 2 フィートの鉄道が研究され、実用化されて活躍し、世界の注目を浴びていた頃であった。この経済性の高い軽便鉄道の技術は、当時イギリスが海外に多く持っていた植民地の開発に利用するには極めて好都合であったから、このナローゲージ鉄道はブラジル、オーストラリア、インドなどにも進出したのであった。
帰国した MANSFIELDさんは先ず自分の農場で実験を成功させた上で、その経済性と便利性を地元の町の人々に説得して、1876年になってアメリカ初の商業的な 2フィート ナローゲージ鉄道となった Billerica & Bedford Railroadを設立した。そして、その実用性を北部のメイン州に広がる森林開発の盛んな地域に売り込んでいた。やがて1879年3月になると、山ひだに沿って山奥の森林資源を開発するための Sandy River Railroadが誕生することになった。奇妙なことに、ちょうど その頃に彼の B&B鉄道が財政的に行きずまり破産すると云う事態に見舞われたのだった。そこで、 sanday River Railroadでは破産したB&B鉄道から機関車などの車輌やレールなどを譲り受けると同時に、経験豊富な Mansfieldさんを招聘して、困難な鉄道建設と運営を指揮してもらったのであった。そして、この事業は順調に発展した。1908年には隣の鉄道と合併して Sandy River & Rangeley 
lake railroadと発展して、120 マイルの路線と20輛の機関車を有するメイン州最大の鉄道システムとなった。この1870年代からは、メイン州内に多数の Two footer が建設され活躍するようになり、その最盛期を迎えるのは1920年代であったと云う。
やがて、森林資源の枯渇やトラック輸送にマーケットを奪われるようになり衰退期に入り、そして世界第二次大戦後まで生き残ったのは次の二つのショートラインのみであった。
 Bridgton & Saco River Railroad: 1883〜1941 
Monson Railroad: 1883〜1943 
 そして、これらが廃線になってスクラップとなった “ Two Footer”の遺物は南のマサチューセッツ州のクランベリー農園の運搬用鉄道として生き延びることになったのだった。その EDAVILLEに買収されて活躍している車輌たちは、蒸気機関車の Monson RRの ♯3、4、 Bridgton & Saco River RR の♯7,8の四輛であり、その他に客車や貨車が余命をつないでいる。
ここでは、先の
121.クランペリー農園に向かう ♯ 3 の牽くツーリスト列車
でご覧に入れている♯3、♯8についても少し来歴を述べてみよう。
  まず、Monson Railroadは1883年に設立された僅か5マイルの路線のショートラインであって、電機スィッチボードに利用されるスレート石材を鉱山から工場へ、そして製品を標準軌の幹線鉄道へと輸送するのが役割であった。何と云っても、創立時代のままの鉄道技術、ナローゲージ特有の「stub switches」や、アメリカでは珍しい「リンク式連結方式」が近代化されずに使われて居ることで有名でアッタ。それに最後の “two footer” として廃止されたのが1943ねんのことであった。
Monson Railroad ♯ 3はVulcan Iron Works で1913年に2093として製造された軸配置 0-4-4T の
Forneyタイプと呼ばれる水槽がキャブの背後に配置されているタンク式蒸気機関車である。この形式はアメリカ生まれの典型的 Two footer用蒸気機関車のタイプで、水槽が動輪上重量に含まれないため牽引力が一定である特徴があるのだが、水槽容量が小さいのが欠点とされている。この他に♯4があり、これもVulcan、1918年に2780として製造された 0-4-4Tの軸配置である。
 次に Bridgton & Saco River Railroad は1883年に設立され、路線21マイルで Harrison に至るショートラインで、両端の標準軌のMaine Central Railroad(MC)に連絡して貨客サービスを行っていた。元来は 1898にBridgtonからHarrisonまで開通し、更にLong Lakeまで延伸開通したのだったが、この延伸部分をMC鉄道に買収されて、1927年に Bridgton & Harrison railroad となったが経営は振るわず、MC鉄道の支配下に入っていた。
Bridgton & Harrison railroad ♯8 は Baldwin Locomotive Works で、1924年に#57659として製造された2-4-4Tの軸配置のForneyタイプのタンク式蒸気機関車である。これはメイン州で作られた“ Two footer”で最大級の機関車であると同時に最後まで生き残った機関車でもあった。今までは1882年のSandy River Railroadの♯1で実用化されていた内側台枠式が踏襲されていたが、♯8では外枠式の台枠が採用されて、広がった台枠に合わせたボイラーが搭載されてより強力となった。その後に製造された monson Railroad ♯4などにも踏襲された。この♯8の他に、B&S ♯7、2-4-4T、Baldwin 1913年に ♯40864として製造された機関車がある。
 さて、ここで二代目の Edaville Railroad の社長となったBlountさんが“Two footer 王国”であるメイン州に縁の深い車輌を蒐集して展示している広場を紹介しておこう。
先ず目を引くのが Edaville ♯3 に比べるとて巨大に見える標準軌の BBoston & Maine ♯ 1455の姿である。この機関車はALCO (American Locomotive Company(Manchester工場で 1907年に製造された2-6-0の軸配置を持つモーガル タイプで、貨客兼用であって、157輛と云う多数の同僚の中で唯一の現存機関車だと云われる。
所で、このB&M鉄道は1833年に多くの小鉄道が集って創立した1464マイルの路線をニューイングランド地方に保有している。そして、♯ 1455はB&M鉄道の最後のSL形式であり、1956年にボストン郊外の通勤列車仕業を最後に引退、Blountさんの手で買収されて、彼のEdaville Railroadへ移送されたと云う。
この文を書いている2009年現在の情報では、Connecticut州のDanburyにあるDanbury Railway Museum, Inc の手によって1999年に買収されて、復元に努力中とのことのようだ。
 この♯ 1455 の隣に すまし顔で鎮座している流線型のステンレス車体の DC(ディーゼルカー)は、かの有名なあ“Flying Yankee”と呼ばれる最初の電気式でーぜるかーであった。案内によれば、制式には、「B&M/MEC 6000, the Flying Yankee/Cheshire articulated streamliner」となっている。
これは1935年に hiladelphiaにあるBudd Company(mechanical /electrical部分はGeneral Motors Electro-Motive Division製)によってMaine Central Railroad と Boston & Maine Corporationのために一両だけ製造された モデル B&M-MEC 6000で、
軸配置はB-B-B であって、小荷物/郵便のスペースと座席142人分を三部分の articulated(連接式)の流線型の車輌で構成していた。この軽量広幅の車体はBudd社特許のステンレス鋼材の溶接方により作られており、当時では初のエアーコンデショニング装置を備えて固定のガラス窓が採用されている。特に車体の流線型デザインはその後の長距離特急旅客列車に多大な影響を与えたと云う。エンジンは8シリンダーのWinton 201-A dieselであって、これによる発電と、台車に設けたモーター駆動方式で、出力600馬力であった。そして、Boston〜Portland間など750マイル/日の仕業を成功させていた。最後の走行は1957年7月であった。
このような車輌が作られた背景には1930年代の世界恐慌による経済活動の低迷による鉄道の旅客輸送サービスが全く利益を生まない事業に落ち込んでいたから、その打開策の1つとして実施されたのだと云う。
そして引退後、B&M鉄道が“Flying Yankee”の列車セットを  Edaville Railroadへ献納したのであった。わたしの訪ねた1980年の頃の外観は全く衰えを魅せておらず、これが40年前の輝きかと驚かされたものであった。
ここで40年を過ごした後に、現在はNew Hampshire州が所有しており、既に内外装と機能面も復元が完了して運転可能な状態で保存中である。
このほかにも多くのコレクションが所狭しとてんじしてあったことを覚えている。最近のインターネットによる情報によれば、ここで紹介した車輌はそれぞれの住処へ去ってしまったが、再会した EDAVILLE Railroad には新たに欧州から蒐集して来た機関車などが昔の車輌に混じって活躍を始めているとのことだったが、ループ線は2マイル余りと短縮されているようだ。(文記述 09-01-10)

撮影:1980年
発表:「レイル」誌・.9(198年3月)

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