自動車塗装の自分史
とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のHP
SL蒸気機関車写真展〜アメリカ & 日本現役
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SL写真展 ( INJEX )
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(メールは上の
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にある送付先へドウゾ。)
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・2 フィート ナローゲージ鉄道 Edaville Railroad 訪問記(マサチューセッツ州)
121.
クランペリー農園に向かう ♯ 3 の牽くツーリスト列車
「0001:」
〈0002:ホストカードより〉
「 EDAVILLE RAILROAD No. 8の牽引する列車。
クランベリー農園での収穫風景」
〈お土産のポストカードより。(オーデオ ビジュアル デザイン刊)」。
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〈紀行文〉
アメリカ大陸の大西洋岸のカナダ国境に近いニューイングランド、その中心都市 ボストンの付近の地図を眺めていると、サソリの尾のような奇妙な形をした長さ100kmを越えるほどの細長い半島が大西洋に突き出している。この先端はケープ・コッド(たらの岬)と呼ばれ、その内側は砂洲が発達した内海になっている。
1620年、長い苦しい航海の末に、イギリスから大西洋を横断して新大陸のバージニア植民地に向っていた清教徒たちを乗せたメイフラワー号は、ずい分北に位置していた この砂浜にたどり着いた。そして、人々は慣れない風土で、飢えや寒さ、病気などと闘いながらマサチューセッツ植民地を開いたのである。この頃、先住のインデアンの人たちから食べものや薬草、耕作の仕方などを教えてモライ、特に野生のクランベリー(つるこけもも)の株を別けてもらい、冬の食糧として大切にしてきたと伝えられる。
その後、クランベリーの紅い実から ジャムやソースが作られて、“世界の料理"の本に紹介されてからは、このアメリカ大陸最初の果物は、この地の砂浜で栽培され,欧州へ輸出されるようになった。昨今は健康食品として世界中で人気が高くなっている。そして今では、このマサチューセッツ州がアメリカの80%に達するクランベリーを生産すると云う特産品となっているのだった。
さてこのクランベリー農園の成功者の一人である Ellis D. Atwood さんは、世界第U次大戦の後になってから、1800エーカーを越える農園の運搬用に鉄道を利用することを思い立ったのである。ちょうど その頃、北隣のメイン州に最後まで残っていた“Two Footer”とん呼ばれていたナローゲージ鉄道が乗用車やトラックに押されて遂に廃線となったばかりであった。こで、その Bridgton and Saco River Railroad、Monson Railroadの二つの2フィート ナローゲージ鉄道のスクラップを買収して来たのであった。その中には4輛の蒸気機関車と各種の車輌、レール、工具などが含まれていた。そして、農園内に約に5.5マイルのループ状の線路を敷設して、クランペリーの収獲期の運搬に使い始めた。まもなく、この話題が評判になって来た。彼は世界一を誇るクランペリーー農園に、自分の名を冠した「Ellis D. Atwoodの村Villege()」とも云うべき「EDAVILLE」と命名した。そして、この評判の良い鉄道は“edaville Railroad”として、マサチューセッツ州でも知られたアトラクションに成長した。
1950年代の中頃になって、南隣のロードアイランド州で海産食品会社のオーナーであり、しかも知られた鉄道蒐集家であったるF. Nelson Blountさんが既に数年も発展しつつあったEdaville Railroadを買収して運営する一方、過去の鉄道技術の栄光を静態展示するために標準軌の蒸気機関車や車輌類を買収して来て展示した。
その後に蒐集が進み、数が増えた機関車たちを1959年にNew Hampshire州のNorth Walpoleに、続いてバーモント州のBellows Fallsに移り、世界一の蒸気機関車のコレクションを誇る“Steam Town USA”となった。その点からすればEDAVILLE Railroadは'Steam town USA'の原典と言うことになる。やがて Blountさんの不慮の死によって運営は困難な時代を迎えることになった。そして現在は、Steamtown USA'博物館はペンシルバニア州の Scrantonに移転して、“National Historical Site”に指定されて発展しつつあり、また、1993年には元EdaVILLE railroadの2フィート鉄道施設はメイン州に里帰りして、Portlandに新設されたlmaine Narrow Gauge Railroad Museumの主によみがえったし、一方では、1999年新しく発足したEDAVILLE鉄道によって新展開が進みつつあるようだ。
さて1980年の夏、イングランドSL二日の旅に出かけたが、その二日目にはボストンからEdaVILLE railroadを訪ねることにした。早速高速道路 I-495で,プロビデンスへ、そしてI-195で近くまで行き高速道路を降りる。その先の道は狭く曲りくねって極めて不案内であるが,有名なEdaVILLE railroadなので道を尋ねながら何とか到着することが出来た。
その園内の中心部には消防博物館、クラシックカーの乗車、鉄道車輛の展示の広場があり、その先には木造のプラットホームを構えた復元された小さなステーションがあって、既に蒸気列車がお待ちかねであった。
今日のお役目はEDAVILLのbRで、この機関車はForney-typeと呼ばれる水槽がキャブの背後に配置しているタンク機関車で の0−4−4Tの軸配置であった。この狭いキャブには大きなアメリカ人が縮こまるように二人も乗り込み、身体が半分外にはみだしそうであった。
やがて出発だろう、近くの池の周りを一周してから展示してあるB&M鉄道のモーガルを横目で見ながら遠くの農園まで 2 フート旅客列車の旅
を楽しむことにした。進行方向右側に座ったら、森と小川の世界が広がる。沼地とクランベリーの畑が広がっている。クランベリーはまだ小さなピンク色の花が咲いている状態で、青々とした水面に茂るクランベリーの畑は日本の田んぼ風景に似ているようだ。汽車のガタゴト揺れる音、周りのはしゃいだ家族連れの交わす英語、雨が降りそうな湿った空気はクランベリーに好ましい気候とのことだった。
鮮やかな赤に色づいた収穫期のクランベリー畑中を小さな黄色に塗られた 2 フーターがお客を満載して走り巡る風景が最高のシーンなのだが、みやげに買ったポストカードをみていただくことにする。この写真に写っているシャープ8は2−4−4Tの外枠式のタンク機関車であって、大きな油焚きのく灯かか式の前照灯は電球が付けられていて、クリスマスの電飾の夜には昔の情景をかもしだすことだろう。それに加えて似合わない位大きな金がつけられているのも特徴である。
ところで、クランベリーは「つるこけもも)と呼ばれるのは、「ツル」の好物であることからだが、花が開く前、茎、萼、花弁が「ツル」の首、頭、くちばしに似ているからとの説もあるという。高さ10cm程度の低木で、枝は細く小さな常緑の葉をつける。花はダークピンクで反り返った花弁を持っている。果実は小さく、熟すとピンク色から深紅に色づく。野生種は北半球の寒帯の酸性の沼地に見られる。昔は砂地の畠に植えられたのに対して、今は大きな貯水地を中心に数十の沼沢農地に美しい砂が敷かれ植えられている。この囲りには延長50マイルを越える排水路が造られている。厳寒の冬を雪や氷のの水の中で過した「つるこけもも」は、春ともなれば水が抜かれて青々としたつるが現われる。新しいつるは鮮かな緑に見えると言う。時々襲って来る遅霜の時は、水で凍るのを防ぐのである。秋の収穫の殆どはクランベリー畑に木が完全に沈むほどまで水をはり、水中で木を揺すると、果実の中が数室に分かれた空洞になっているため、果実が水面に浮かぶので、これをすくい取って収穫するのであった。この果実は非常に酸味が強く、生食には向かないが、菓子やジャム、クランベリージュースの原料となる。七面鳥の丸焼きに添える甘いクランベリーソースは、アメリカとカナダの感謝祭には欠かせない。最近は、この赤い色素の元であるポリフェノール類が健康食品として、また薬効が認められて人気の的になっている。だが、ゲートの売店でソースの小瓶の値段を見たら8ドルであったので手を出さずに帰途についてしまったのは大失敗であったことがくやまれてならない。(文改訂 09−01−10)
撮影:1980年
発表:「レイル」誌・.9(198年3月)
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・「フィート ナローゲージ鉄道 Edaville Railroad 訪問記」シリーズのりんく
122. 静態保存の B & M ♯ 1455と流線型DC “Flying Yankee
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